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第112話

 ルドベキアはその場から飛び上がり、空間を繋げ、降りる時よりも早く地上へと上がっていった。


 そして光の玉があった場所、中でイエーラがいた場所へと辿り着く。


 もうそこには光の玉は無く、ただ一人の老婆が虚ろな顔で浮いていた。


「イエーラ‼」


 そんなイエーラの肩を掴みルドベキアは声を掛ける。今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうな華奢な体を支えながら。


「イエーラ様!」


 他の魔法使い達だろう、その声が奈落の上から聞こえてくる。


 ルドベキアはそれを一瞥して、ソーエンスに戻ろうかと転移しようとする。


 しかし腕を掴まれ、転移するのを止めた。それを遮ったのは他でもない、イエーラだった。


「ルドベキア……」

「久しぶりだな」


 絞り出すように声を出すイエーラに対して、ルドベキアは素っ気なく返す。


 なにをしていたんだと、呆れを滲ませて言う。そしてそれと同時に、邪魔をされないよう空間を分断した。


「神なら殺した」


 すると、ルドベキアの腕を握る手に力が込められた。それも、弱々しい力ではない。その腕を握りつぶさんとばかりの力だ。


 イエーラの内側から、魔力がふつふつと、もう間もなく沸騰するであろうかと細々とした魔力の飛沫が飛び出そうとしている。


「殺した……だと……?」


 しわがれた声でそう言うイエーラ。ただ、その声の中には、相手を押しつぶさんとする気迫が込められていた。


 その声にルドベキアは僅かに顔を歪ませる。


 下手にこれ以上刺激をしない方がいいのだろうかと、ただ放っておいてもなにをしでかすのか分らない。


「貴様……! なぜ邪魔をした……!」


 どこまでも伸びた茶褐色の髪を振り乱しながら、イエーラはルドベキアの喉笛を噛みちぎらんとばかりに詰め寄る。


 それを押さえながら、あくまで冷静に落ちついてルドベキアは言葉を返す。


「邪魔ぐらいするだろ。神から魔力を吸い取るなんて馬鹿な真似をしていたら」


 イエーラはなにも言わず歯を食いしばっていた。


「魔法使いじゃいられなくなったんだろ?」


 ここでルドベキアはイエーラがこんなことをした理由に踏み込んだ。これしか理由がない。イエーラ程の魔法使いが、神を殺さずその力を吸収した理由など。


「黙れ……、黙れ黙れっ」


 叫び声と共に、ルドベキアを押し返したイエーラ。その姿はさっきまで老婆だったはずなのだが、今は少し若く、ルドベキアと同じぐらいの歳の姿になっている。


「……⁉」


 その若返りに目を瞠っている間にも、どんどんイエーラの姿は若返っていく。


 時計の針が急速に巻き戻されていくように止まることなく。やがて、イエーラの姿はルドベキアの記憶に残る時の姿になっていた。


「ははっ……できた……!」


 その瞬間、イエーラから莫大な量の魔力が溢れだした。風が吹き、溢れる魔力が肌を刺す。


 若返ったイエーラは茶褐色の長く伸びた髪を無造作に切り捨て、妖艶な笑みを浮かべる。


 その笑みに、一瞬心を掴まれたルドベキアだが、すぐに首を振りいらぬ思考を弾き出す。妖艶な笑みを浮かべるイエーラに負けじと、ルドベキアも不敵な笑みを返す。


 ――刹那。


 ルドベキアの顎をイエーラの撓った脚が襲う。身を守る間もなく打ち上げられ、空間が割れ、奈落の外へと重力に逆らって飛んでいく。


「わあ‼」


 折よくそこへ飛んできていたアサリナが箒を急停止してなんとか激突を免れた。


「ん、アサリナか?」


 急停止したことによりアオの集中力も途切れ、姿は見える状態になっていた。


「びっくりしたー‼ もーう! 連絡ぐらいしてよね!」


 ぷんすか怒るアサリナだが、ルドベキアの視線は眼下を向いたままだ。


「悪かった。忘れてた」


 淡白な返事にアサリナもすぐに真剣な表情でルドベキアの視線を追う。


 張りぼての建物の天井は崩れ落ち、建物の中を覗き見ることができる。


 そこには、一人の女性だけが上を見上げ、周りには跪く魔法使い達の姿があった。


「うわなにあれ」


 その様子を見たアオが顔を歪めながら言葉を吐き出す。


 今のこの状況など全くもってどうでもいいアオだ。ルドベキアは無事だったんだし早く帰りたいというのが本音だ。


「あの真ん中にいる女がイエーラだ。俺もなんでいきなり蹴られたのか分からん」

「どーするの?」


 アサリナもかなり困った様子だった。


「文句を言ってやるつもりだったがまあ……いきなり暴れられるよりマシだろ」


 そしてルドベキアも心底困った様子なのだ。


 イエーラが神の魔力を吸い取っていた理由は、魔法使いでいるためだということは確かだ。それでイエーラの姿は若返ったし、魔力も尋常では無い量を持っている。ただ、なぜ魔法使いでありたかったのか。自分を蹴り飛ばし、あまつさえこう敵対しているのかが解らない。


 戦うにしても特に理由が無いしメリットも無い。


 相手側にはあるかもしれないが、それは知らない。


「で、どうするの?」

「「うーん……」」


 こうして三人が悩んでいるところに地上から炎の粒や氷の粒、岩石などが飛んできた。


 悩んでいる片手間にその攻撃の進行方向を入れ替えたルドベキア。三人を狙った攻撃が反対に地上へ降り注ぐ。


 それを皮切りに訳の分からない戦いが始まった。


「アオ、アサリナ、とりあえず他は任せた」


 ルドベキアがそう言い終わると同時に、三人の前にイエーラが現れた。アサリナは反射的にその場を離脱しようとし、アオはアサリナと一緒に姿を消した。


「へえ、面白い魔法」


 周囲の空間がひしゃげている。


 瞬き一回分、アオとアサリナが遅ければ、二人は今頃人の形を留めていなかったはずだ。


 そのひしゃげた空間で、落ち着き払ったルドベキアが眉を顰める。


「相変わらず物騒な魔法を使う」

「貴様と同じ空間魔法だ」


 鼻を鳴らして答えるイエーラ。かつての姿、短い茶褐色の髪に、気の強そうな美しい顔立ち、四肢は細く長い。


 もう見慣れたものだと思っていたが、久しぶりに見るとやはり見惚れてしまう。


 ただ――。


「死んでくれ。私と」


 見惚れている暇は無い。


 物騒なことを言いながら空間を潰すイエーラから少し距離を取りつつ、ルドベキアは空間を切り離して周りに被害が及ばないようにする更に上昇する。


 タステの上空を切り離し、地上で戦う者達に被害が出ないようにする。


 そして、聞かなかったことにしたいが、そうもいかないことを聞き返す。


「なんだって?」

「死んでくれ。私と」

「なんでそうなる……?」


 前半はまだ理解できるが、後半の一言がいまいち理解できない。


 なぜイエーラと共に死ななければならないのか。ルドベキアはまだまだ生きたいのだ。


「そうだな。落ち着いたことだ、話そう」


 そう言いながらも、イエーラはルドベキアに攻撃を仕掛ける。空間を潰すのを軸にした体術で休む間無く攻め立てる。


「それは良かった。いきなり暴れられると敵わんからな」


 ルドベキアも淡々と攻撃をいなしながらイエーラとの会話を始める。


 他の誰も付け入る隙が無い上空とは正反対の地上では、アサリナが箒を巧みに操りながら攻撃を掻い潜っていた。


 荒れ狂う炎を、行く手を阻む岩を落ち着いて避けながら、アサリナは逃げることに集中していた。


 姿は消さない、アオには攻撃をしてもらわなければいけないからだ。


 荒れ狂う炎を使い、アオは反撃を試みる。しかし相手の数が多く狙いを絞ることができない。あっちを狙えばこっちが攻撃を、こっちを狙えばあっちが攻撃をという風に、相手は十人以上いるのだ。二人のアオとアサリナでは真正面から戦うのは難しい。


 アオが姿を消し、逃げに徹すれば逃げられるだろうが、それをしてしまうと相手は上空に狙いを変えるだろう。それだけは阻止しなくてはならない。


 先程飛ばされたルドベキア。そしてルドベキア自身いきなり蹴られたと言っていた。油断もあったのだろうが、ルドベキアが攻撃を受けるなんて、アサリナにとっては考えられないことなのだ。


 それ程、イエーラはとんでもない相手なのだろう。


「どうするの?」

「そーいえばラグルス達呼ばないと!」


 アサリナはポケットに入れていた革袋をアオに取ってもらう。状況を伝えることを忘れていた。ラグルスとニゲラが来てくれればかなり楽になること間違いなしだ。


「助けてほしいんだけど!」


 アオが革袋に向かって話す。


 すると返って来たのはクレピスの声だった。


『アオか! ラグルスとニゲラはもう向かったぜ! なにがあったんだ』

「二人共向ってるって」

「じゃー良かった」

『二人共、今どうなってんだ?』

「戦ってる! ルドベキアも! 相手が多くて困ってる」

『ならこれを使ってくれ!』


 アオが状況を説明すると、すぐさま革袋を通じてクレピスから道具が渡された。


 こぶし大の球だ。アオはこれを煙幕だと予想する。


「なにこれ、煙幕?」


 確かに煙幕ならば姿を隠すことができるが、それと同時に相手の攻撃を見づらくなる。この状況でいい道具だとは思えない。


『もっといいもんだぜ、投げてくれ』


 しかしクレピスは煙幕よりもいい物だと言う。ならばその言葉を信じて投げるしかない。


 四方八方から襲い掛かる攻撃を避けながら、相手が一番多く重なった位置でアオは球を相手に向かって投擲する。


 相手に向かって飛んで行った球などお構いなしに攻撃がアオとアサリナへ殺到するが、その攻撃が全てアオの投げた球に吸い込まれていく。


「「おおー‼」」


 二人は同時に驚きの声を上げる。


『離れろ!』


 そんな呑気なことをしていると、革袋からクレピスの鋭い声が聞こえ、アサリナは慌てて箒を飛ばす。


 しばらくすると大爆発が起き、爆風がアオの背中を押した。


「どーなってるの?」

『あれは魔法を吸収して、限界まで吸収するとその魔力を使って爆発する魔道具だ』

「凄い便利」

『へへっ、だろ?』


 顔は見えないが、指で鼻の下を擦っているだろうと容易に想像できる。


 それと同時に辺りには雪が降り始め、気がつけば白く細かな雪が視界を奪う。


「なに? これも?」

「来てくれたんだー!」


 驚くアオとは対照的に、アサリナは空に向かって手を振る。


『着いたみたいだな』


 クレピスの言葉で、それはラグルスとニゲラの仕業だということに気がついた。


 音を吸い込む雪が積もり、どこからも攻撃が止み、安全地帯が生まれていた。


「お待たせしました!」

「間に合って良かった」


 二人はラグルスとニゲラと合流した。


 そしてすぐに、アサリナが状況を説明する。


 状況を聞いた二人はげんなりした表情をしていたが、事実なのだからしょうがない。


「私達も上空から来ましたが、更に高い場所にいるとは、手が出せそうに無いですね」

「幸いにも、ここら一帯に隠匿の魔法がかけられている。住人に被害は出そうにない」

『とりあえずイエーラはルドベキアに任せて、他の中央の魔法使いを倒せばいいんだな。オレも行った方がいいか?』

「いや、クレピスはそこで待機してくれ。アオのサポートを頼む」

『分かった』

「よく分からないけど分かった」


 ニゲラが次々と決めていくことに待ったをかけようと思ったが、この状況で話の腰を折る程アオも愚かではない。


 とりあえず中央の魔法使いを倒せばいいのだろう。そうしなければスイの下へ帰れないということなら全力で挑む。


「とりあえず四方向に別れよう」

「分かったー」

「分かりました」

「うん」


 それと同時に、積もる雪を解かす炎が上がる。


 自らの力を誇示するかのように燃え盛る獄炎から一人の黒装束の男が現れる。


「殺していいとのことだ」


 下卑た笑みを浮かべた黒装束の男の前に大きな杖を構えたニゲラが立ち塞がる。


「そうか。僕は殺さないよう加減をしてやる」

「じゃーあたしこっち行くねー。はい、アオの杖」

「ありがと」

「ニゲラ、気をつけてくださいね」

『アオ、オレ達も行こうぜ』


 それを皮切りに、四人は四方に散らばる。


 背後で大きくなにかが爆ぜたが振り返らず、アオは自分の役割をこなすことに注力する。


『なあ、これを使って革袋を腰に巻いてくれ』


 そんなクレピスの声と同時に革袋から出てきたのは、シンプルななんの装飾の無いベルトと大きめピンだった。


『ベルト巻いて、そのピンを使って革袋とくっつけるんだ』

「分かったけどこれなに?」

『このピンは強力で、そのピンを通してこっちでも様子が見える魔道具だ。これなら、なにかあった時フォローできるだろ?』

「そういうことね。……ということはスイも見てる?」

『見てるぜ』


 アオは地面を蹴り、魔法使いを一人蹴り飛ばす。


『……すげーな』

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