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間 元の世界

第116話

「碧⁉ 戻ったか」


 今の今まで忘れていた仙人の声を聞いて、やっぱり帰ってきたんだと碧はへたり込んだまま動くことができない。


 目を動かすとやっぱり、長らく見ていなかったが岩壁が囲っている空間だ。背後には水瓶がある。


 もうあの世界は無くなってしまった。


 スイのことしか考えていなかったが、あの世界で過ごした時間は大切なものでもあった。それが無くなってしまい、碧はしばらくの間岩の天井を見上げていた。


 それを仙人なにも言わずに見ていた。


 やがて大きく息を吐いた碧が立ちあがり、反対側で寝ている翠の下へとやってきた。アオの周囲を漂っていた光が、翠の胸に吸い込まれていった。


 これで喜怒哀の感情を取り戻すことができた。後は一つ、次が最後の世界『楽』の世界だ。


「成功したんじゃな」

「うん」


 隣にやってきた仙人に碧は鼻をすすって頷く。


 アオの答えを聞いて、仙人は安堵の息を吐く。


「急に碧からの連絡が来なくなってのう、気が気じゃなかったんじゃよ」

「あー……ごめん。スイを助けられたから、嬉しくてね」


 ホッホッホと笑った仙人が碧を気づかうような素振りを見せて言う。


「よく頑張ったのう。あの世界は消えてしまったが、あの世界で得たものは消えん」

「うん……感謝してる」


 見透かされていた碧は、照れることも無く、穏やかに答える。手を握り手を開く。あの世界で得た技術は、たとえ世界が無くなっても消えはしない。それだけで前を向いて進む力が溢れる。


 あと一つの世界。次で最後。


 もう怖くない。眠る翠の口に唇を重ねる。


「もう行くのか?」

「うん。――あっ」

「どうしたんじゃ?」


 背を向けた碧が突如止まったことに仙人は首を傾げる。


 なにかに思い出した様子の碧。これを言うべきかどうか、少し悩んだが今のうちに言っておいた方がいいだろうと振り返る。


「さっきの世界で、また地獄に行ったの」

「なんじゃと……」

「それで、鬼と戦って……勝ったんだけど……」

「あの鬼に勝ったのか⁉」

「うん。それはまあ置いておいて、その後なんだけど……」


 言い淀む碧に、仙人は少し距離を詰める。


 ここにいるのは三人。その中で翠は目覚めないから実質二人だ。だから他には誰も聞いていないのだが、声を潜めて碧が言う。


「人にあったの」


 その言葉に、仙人は目を目一杯開いた。それは明らかになにかを知っている者の反応だ。


「赤い髪、瞳は暗くて、得体の知れない男だった。なぜかわたしの名前を知っていたし。もしかして――」

「碧」


 碧の言葉を遮った仙人は大きく息を吸い込んで言う。


あけ――それがその子の名じゃ……」


 碧は黙って続きを促す。


「わしが救おうとした子じゃ。結果は知っての通りじゃがな……」


 仙人は吸った息をゆっくりと吐き出しながら言った。


 碧は別に驚く訳でもなく、半ば予想していた通り、仙人の言葉を聞いて納得した碧であった。


 人の形をしているが人とは違うなにか。なにかが欠落した人ならざるモノ。


 その相手が、一応人間であることが分かって良かったと思う。


「それが分かっただけでよかった。じゃ、行ってくるね」


 そう言って最後の世界へ向け、水瓶に飛び込んだ碧である。


 それを見送った仙人は、碧が飛び込んだ水瓶を呆然と眺めていた。

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