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第118話

 最後の感情が創った世界。この世界に来た碧は流れ込んでくるこの世界での記憶に胸を締め付けられる。


 半球状のガラスドームに碧と翠はいる。


 この世界では、最初から隣に翠がいる世界だったことは喜ばしいことだが、この終末世界ではそんな悠長なことは言ってられない。


 人類の大多数が滅びたのか、住む地を奪われ、自然豊かなこの星には一切の自然が無くなっている。例外としてこの半球状のガラスドームの中には、こうして自然が生い茂っている。


 もう間も無く終わってしまう世界で、碧は茂みをかき分けて翠の下へと向かう。


 翠は静かに木に身体を預けて本を読んでいた。


「翠」


 碧が名前を呼ぶと、翠は本から顔を上げて微笑む。


「楽しい?」


 唐突な質問にも、翠は驚いた様子も無く淡々と答えてくれる。


「哀しいわ」

「だよね」


 楽しい訳がない。この世界はもう間もなく終わってしまうのだ。


 碧は木にもたれて本を読んでいる翠の隣に立つ。木の幹は太く、二人が隣り合わせで背中を預けることができる。


 なにも話さない。互いの呼吸、たまにページが捲られる音が聞こえる。


 自然豊かな場所なのに、自然の音が聞こえてこない。


 それがとても哀しくて、もったいないことだと碧は思っている。


 やがて翠は本を木の根元に置いて歩き出す。碧もその隣に並んで歩く。やって来たのはガラスドームの端だ。ここでは手動で開く大きなガラス扉があり、外に出ることができる。


「うん……哀しいな」


 ガラスの向こうには、どこまでも変わらない広大な荒地が広がる。荒廃した、終わりの世界。たまたま二人のいる場所が、動植物が存在しない地域かもしれない。そう思うのはとっくの昔にやめた。この世界、この星のどこに行っても変わらない景色が広がるだけ。海も大半が干上がっている。かといって、外に出ると人間が存在できないような環境でもない。


 碧はそのガラス扉を押し開ける。乾いた風が吹いて、碧の烏羽色の髪が揺れる。


「出るの?」

「うん。もう終わるんだし、他の綺麗な場所探したいなって」

「そう……。そうね、そうしましょう」


 翠は少し考えるそぶりを見せてそう答えた。そして来た道を引き返し、一冊の本を手に持って戻ってきた。


 二人はガラスドームの中から出た。一切の植物が生えていない外は、空気が乾いていて風もあり、ドームの中よりも清々しい気分になる。


「見納めかな。あそこも」

「そうね、住み心地が良かったわ」


 ガラスドームの中に見える緑を見て、二人は目を細める。


 この世界の記憶を思い出しても、いまいちあのガラスドームがなんなのか分からない。植物園だとすれば小さい気がするし、どこかの富豪の持ち物だったのかとぐらいしか予想できない。


 あそこは心地よく綺麗な空間だった。でも、そこにいても翠は楽しいと言わなかった。それならば、あそこにいる意味はない。碧のやることはどの世界でも変わらない。この世界で、翠を心の底から楽しいと思わせなければならないのだ。


 だからもう間もなく終わってしまう世界でも、碧は外に出ざるを得ない。


 この世界がどのようにして終わるのかは分からない。


 どのように終わるのか分からなくとも、終わりは確実にやって来る。


 世界がこうなったのと同じで、なんの前触れも無く、全てが理不尽に無慈悲に終わりを迎えてしまう。


 この世界にはもう自分たち以外にはいないのだろうか?


 探していた時もあった。あまりにも見つからないから諦めて、それであのガラスドームの建物を見つけた。そこからは誰にも邪魔をされない、翠との二人の空間として使って、過ごしていた。


 すごく幸せだった。


「どっちに向かおっか?」

「碧が好きな方向でいいわよ」

「それは困るなあ」


 そう言いながらも、碧は翠の手を取って歩き始める。どこを見渡してもなにも無い。この星から凹凸が無くなったのだろうか。世界は球状ではなく平面なのだろうか。そんな考えても仕方のないことばかりを考えてしまう。


 思考を変えねばと、碧は前の世界では使えていた仙術を試す。


(ダメだ、使えない……)


 やっぱり『哀』の世界が特殊だったのだろうか。勘が鈍ることは無いと思うが、こうも使えなくなると不安になる。


 右手に翠の体温を感じながら、碧は雲一つない青空を見上げて言う。


「愛してる」

「……急にどうしたの?」


 歩く速度を落とし、今度は翠に向かって言う。


「愛してる。大好き、ずっと一緒にいたい。翠、わたしはどこにも行かないからね。もしなにかあっても、全体に翠の下へ帰ってくる」


 『哀』の世界でのスイの最後の言葉に返事の代わりだ。本当は『哀』の世界のスイに返したかったけれど、言えないよりかはマシだろう。


 それを聞いた翠は、感情の起伏はあまり見られないが、白い肌に少し朱が差していた。


「私も、愛しているわよ」


 口ごもりながらもそう返してくれる翠に碧は抱きつく。


「大好き‼」

「歩けないわ」

「だって好きなんだもん!」

「答えになってないわよ」


 そう言いつつもとりあえず足を止めて翠も碧を抱きしめ返している。


 翠も碧に抱く感情は同じなのだ。それが碧に伝わっているのかは知らないが、二人は絶対に切れない気持ちで繋がっている。

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