徐々に世界が茜色に染まり始める。
青い空から色が変わり、すべてが終わる時間が刻一刻と迫っている。
あれからなにも起きないしなにも見つからない。もっと自分達の移動速度が速かったのなら、なにかに辿り着くことができたのかもしれない。
徒歩では、一日中歩いたとて距離は稼げない。
だからなにも目ぼしい物が見つからなくとも不思議ではないのだ。
明日また歩こうはもう来ない。これならば、あのドームで過ごした方がよかったのではないか? そう考えてしまった。
「楽しいわね」
「……そう?」
「ええ」
碧の考えを見透かしたのか、翠は楽しいと言って、持ち出した本を碧に見せる。
「その本は……」
「こうなる前の世界の本よ。誰かの旅行記ね。世界中を飛び回っていた人みたいよ」
「そうなんだ……。綺麗だったよね、こうなる前って」
まだこうなる前の世界を思い出して碧は呟いた。翠と共に、世界を飛び回っていはいないけど、学校帰りに寄り道したり、休日は遊んだりした。
その記憶のどれもが、今は美しく大切な記憶になっている。
失って初めて気づいた。どうってことの無い記憶、その時の日常が、こんなにも愛おしく思えてくるなんて。
「川を流れる水の音、小鳥の囀り。私はそんな自然が好きだったの」
「わたしも自然は好き。でも高いビルとか、広い道を走る車とか、人が作り出したものも結構好きだった」
「そうね、私もわかるわ。なにより、碧と一緒にいられたのが、一番嬉しくて、楽しかった」
「うん、わたしも。翠と一緒にいられたのが楽しかった。だから今も、その時と変わらず楽しいよ」
「私もよ」
そう思ってくれても、翠の感情は解放されない。
楽しいと言っているのに、心の底から楽しいと言っているのに。『楽』の感情が解放されない。
もうどうしようもないからと、そう思っていたけれど。この世界の終わりが近づいてくるにつれて再び焦りが芽生えてしまう。
碧は翠の肩に頭を乗せて大きく息を吸い込む。
「どうしたの?」
頭を撫でながら、翠が聞いてくれるけど碧は答えない。
少しの間、互いの呼吸する音しか聞こえない。
「楽しいのよ。心の底から……」
そんな中、不意に翠が口を開いた。
碧は顔を向けて続きを待つ。
翠の白い髪が風に吹かれて表情を露わにする。伏せられた碧い瞳が微かに震える。
「でも、哀しいのかしら? 楽しい時間はすぐに終わってしまう。でも今回のこれは、また明日とは言えない。本当にさようなら。もう二度と会えない。本当の終わりだから」
心の底から楽しいと思っているつもりでも、どこかで哀しいと思っている。それは心の底から楽しいと思っていないと同義なのではないか。
「そっか……そうだよね」
碧はこの世界が翠の感情によって創られた世界だと知っているが、この世界の翠はそのことを当然知らない。
だから翠がそう考えるのも無理は無かった。
「でも大丈夫だよ」
「え?」
「大丈夫。終わらないから」
「終わるわよ」
「ううん、終わらない」
翠を納得させられることはできないけれど、大丈夫なのだから自信を持って、胸を張って言う。
「この世界が終わっても、わたしと翠はまた出会える。それこそ世界を越えても」
「言い切るのね」
「当然!」
翠から見れば根拠の無い言葉だ。それでも、一番愛する、大切な人がそう言うのだから信じてもいいかな、と思わせることのできる力強さだった。
「そう……不思議ね。碧の言葉なら、信じられる気がするわ」
「うん……!」
今度こそ翠の感情が解放されるのか。この言葉が染みこむまでこの世界が持つかどうか。もう残された時間は多くない。