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第110話 契約をしましょう

「──私、不公平だと思うんです」


『彼女』がそんなことを言い出したのは、いつの話だったか。


「いきなりだな」

「だって、片方が大切なひとといっしょにいられる一方で、もう片方はそばにいられない。そんなのフェアじゃないでしょう」


『彼女』はなにを考えているのか、わかりにくいひとだった。そのくせ、たまに口をひらいたかと思えば、こうして突拍子もないことを言い放つ。


「ですから、契約をしましょう」

「契約ねぇ……一応聞いとくけど、どんな?」

「あなたと私が対等でいられるための、契約です」


『彼女』はあまり表情豊かなほうではない。ゆえに考えがわかりづらい。

 ただ、いつにも増して饒舌な彼女に黙って耳をかたむければ、その言わんとすることをすこしくらいは汲み取れる。


「具体的な契約内容は、私が花梨かりんさまをお守りして、あなたが星夜せいやさまをお守りすること」

「……それこそ、不公平じゃないか?」

「はい。なので、私からもうひとつ条件を提示します。あなたにとっては悪くない話だと思いますよ」


 嫌な予感がする。そうだ、『彼女』が大真面目な顔をしているときは、たいてい頭の痛いことが起きる。

 今回も例外ではなく、『彼女』はふいに左手を目の前にかかげてみせた。


「対価は、おたがいの左手の薬指、ですね」

「なーるほどね……」


 ため息をこぼしながら、こいつめ、と内心憎たらしく思う。

 たしかに悪くはない条件だが、かといってふたつ返事で受け入れるのには抵抗がある。

 それでも、『彼女』の提案を受け入れることが最善なのは事実だ。


「いいよ、『それ』で行こう。俺たちは志を同じくする仲間、ですもんね?」


 それならば、抜け駆けはするなよ──と。

 言外に釘を刺してやれば、彼女が笑った。


「もちろんです。私は、あの方に想いを告げるつもりはありません」


 片手で数えられるほどしか見たことのない『彼女』の笑みは、憂いをおびており。


「あの方を……悲しませたくはないですから」


 わずかに震えた声が、やけに耳に残っている。

 これが青年の、七海ななみとして生きていたころにそっとふたをした、記憶のひとかけら。



  *  *  *



「……カイル?」


 はっと気がつくと、椅子に腰かけたユリエンのすがたが目に入った。


「はい、奥さま。ご用でしょうか?」

「私より、あなた。なにか思い詰めてるように見えたわ」


 アクアマリンの瞳は、うしろに控えたカイルを気遣わしげに見上げていた。


(やらかした……なんで今ごろ、和紗あいつのことを思い出すんだよ)


 あの日交わしたのは、たがいに想いびとへ気持ちを伝えないという約束。


(健気に約束は守ったはずだぞ。いや、お嬢さまに愛の告白はしたけど、今は転生して立場も違うし。今世では無効だろ)


 今になってどうして、追い立てられるようにあの日の記憶を思い出したのか。

 それはおそらく、近ごろやたらと耳にするようになったセフィリアの縁談のせいだろう。


「私のことは気にしないで。リアのところに行っていいのよ?」


 ユリエンは、カイルの憂鬱の原因をすべてお見通しだったようだ。


(本当に、おやさしい方だな……)


 王室の次に高貴な血すじでありながら、平民であるカイルを蔑むことはなく、むしろ家族のように接してくれる。

 あたたかいユリエンの言葉にふれただけで、カイルの心のわだかまりもほどかれるようだった。


「レイがいるので心配はしていません。せっかくのお茶会です。喜んで奥さまのお世話をさせていただきますよ」


 にこりと浮かべた笑みは、本心から出たものだ。


「ふーん?」


 そうしたカイルたちのやり取りを、面白そうにながめている人物がいた。言わずもがな、フィオーネだ。


「あなたがカイルなのね?」

「そうでございますが……」

「うわさには聞いてるわよ。ユリちゃんところの若き有能執事兼騎士なんですってね?」

「うわさ……?」


 以前のメイド長トップがああなってしまったため、アーレン公爵家の数少ない侍従のひとりであるカイルが話題にのぼることは多少あるだろう。それはわかる。


「リアちゃんにゾッコンで、近寄る男たちに睨みをきかせてるそうじゃない? 面白いわねぇ!」

「はい!?」

「ほら、そこに座って! いっしょにお話しましょうよ!」


 初対面から変人……すこし独特な感性の人物だとは思っていたが、フィオーネの自由奔放さはカイルの想像を余裕で超えていた。


(王室と公爵家のお茶会に同席する侍従ってなんだよ!)


 内心ツッコミを入れながら、カイルは愛想笑いを忘れない。「陛下、せっかくのお話ですが」とやんわり断りを入れる。


 ……とん。


 そんなカイルの肩に、ふいにだれかの手がふれる。

 反射的にカイルがふり返ると、それまですがたのなかったとある男性がたたずんでいた。

 その男性は、太陽のようにまばゆい金髪をしていて。


「そう言わずに、さぁさぁどうぞ」

「あの……!?」


 にっこりと笑みを浮かべた金髪の男性にぐいぐいと肩を押され、カイルはあれよあれよという間にフィオーネとユリエンがかこむ円卓に着席させられてしまう。

 突然のことで、断るひまもなかった。


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