目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第112話 俺のものです

「──愛するひとがこどもを生めなくなったとしても愛せると、神に誓える?」


 風が吹き抜け、木もれ陽を揺らす。

 だれもが息をのむ一瞬の沈黙ののち。


「……ふ」


 カイルはたまらず、吹き出した。


「ふふ、あはは! 失礼……陛下があまりに可笑しなことをおっしゃるので」


 フィオーネは黄金の瞳に丸みをおびさせる。

 初対面の、それも女王相手に、ここまで素をさらけ出す者がはたしていただろうか。

 いや、いない。カイル以外には。


(この子は、恐れを知らないのかしら)


 女王相手に臆せず、毅然とした態度をくずさないカイルのすがたは、とても14歳の少年のものではない。


「幸福がすぐそこにあって、手を伸ばせばつかむことができる。なら、手を伸ばさないわけにはいかないでしょう」


 適当にやり過ごそうだとか、あたりさわりのない返事にとどめておこうだとか、もう無理だ。

 からだの芯からわき上がる感情を、カイルは抑えられない。


「俺にとって、セフィリアお嬢さまは奇跡そのものなんです。求めても、ふれることすら叶わなかった存在。だけどようやく、やっと手に入れることができる……」


 声をかけることもできず、遠くで見守るしかなかったあの日々。

 想いを伝えることは許されず、そばで守ることも叶わなかったあの日々。

 無力感と後悔にさいなまれていたあのころの記憶が、カイルの決して譲れない原動力となる。


「こどもができようができまいが、関係ない。お嬢さまのとなりは俺のものです。たとえ生まれ変わっても、俺はお嬢さまを、お嬢さまだけを愛します」


 ──言った。言ってやったぞ、とカイルは達成感につつまれる。なんならフィオーネが呆けた顔をしているので、ちょっぴり優越感にも浸れる。


「お見事! いやいや、これはやられたねぇ、フィオーネ?」

「いちいち言わなくてもわかってるわよ、おにいさま……」


 ぱちぱちぱち、とノエルの拍手が鳴り響き、フィオーネがため息をつく。


「試すようなことを言ってごめんなさいね。私も、思うところがあって」

「と、おっしゃいますと?」

「さっきあなたに質問したこと……『こどもを生めなくなった女性』というのはほかでもないわ、私のことよ」

「陛下……」

「いいのよ、ユリちゃん」


 ユリエンは事情を知っているのだろう。気遣わしげなまなざしを向けるものの、フィオーネはかぶりを振って制する。


(そういえば陛下には王配が3人もいらっしゃるのに、リュカオン殿下しか子を生んでいないのか)


 それにリュカオンは静かな森を思わせるようなエバーグリーンの髪をしていた。父親似だとすれば、ここにいるノエル、ギルバート、アーシェのだれとも似ていない。


「お茶がまずくなるかもしれないけれど、それでもよければ聞いてちょうだい」


 折り入った話であることは一目瞭然だ。

 フィオーネが話す覚悟を決めたというなら、拒む権利はない。

 カイルは黙ってうなずいた。


「私にはかつて、7人の配偶者がいました。それであるとき、身ごもったの。その子がリュカよ」


 とすれば、リュカオンの年齢から逆算して6〜7年前のことだ。


「リュカはおなかの中で順調に育ってくれたわ。でもいよいよ出産を控えたという時期に、事件が起きたの」

「とある伯爵家の次期後継者が、乱心したんだ。愚かにもフィオーネの襲撃を計画した。婚姻を申し入れたものの、突き返された腹いせでね」

「なんですって……」


 衝撃的な出来事に、カイルは言葉を失う。


「『すこしびっくりさせるだけのつもりだった』と苦しい言い訳をくり返していたけれどね。襲撃に使用した黒魔法のせいで、フィオーネは……」

「結果、子を生めなくなってしまったことで、3人の夫が私のもとを去ったわ。当然よね。王室に自分の家門の血を入れることが目的だったのに、肝心の私が使い物にならなくなったんだもの」

「本当に、身勝手きわまりない。……フィオーネがなにをしたというんだ」

「まぁ、あちらも誓約魔法の影響で、出奔して神殿に仕えることくらいしかできなくなったのだけどね」


 静かな怒りをあらわにするノエルと、自嘲するフィオーネ。

 ふたりにかける言葉を、カイルはすぐには見つけられない。


(そうして陛下のもとに残ったのは、心から陛下の身を案じるノエル殿下たちというわけか)


 そこでカイルはひとつ疑問をおぼえる。

 フィオーネは7人の夫がいたと言っていた。しかし彼女のもとを去ったのは3人。現在王配の地位にあるのはノエル、ギルバート、アーシェの3人だけだ。


「カイル、あなたが気になっているだろう彼の名前は、オリヴィエというわ。リュカの父親よ。彼は一番最初に私と結婚してくれたひとだった」


 一番最初の夫。一妻多夫制であるこの国で、それは重要な意味を持つ。

 ルミエ王国では、婚約をむすんだ順に婚姻をおこなう。血すじを残すことも、第一夫がなにより優先されるのだ。


「オリヴィエはすばらしい魔術師で、平和を愛するひとだった。でも……私とリュカを呪った黒魔法を解呪するために、魔力を使い果たして……私とリュカは助かったけれど、私は子を生めないからだになり、オリヴィエは命を落としてしまったの」


 犯行におよんだ伯爵家の次期後継者とやらの言い分から察するに、軽い気持ちで手を出したのだろう。

 だが、黒妖精インプの鱗粉をめぐって起きた恐ろしい事件を、カイルは知っている。

 黒魔法も、それにまつわるモンスターたちも、決して安易に手を出してもよい代物ではない。

 フィオーネの過去に、あれこれ知ったふうな口出しはできないけれど、その苦しみを尊重することはできるはずだ。


「そうだったのですね。思い出すのもお辛い出来事でしょうに、お話しくださり、ありがとうございます」


 カイルの口からつむがれたのは、フィオーネに対する心からの敬意と、感謝の言葉だ。


(……ってなんだよ、その反応は!)


 カイル自身はごく自然な受け答えをしたつもりだったが、肝心のフィオーネがきょとんとしている。

 いや、フィオーネだけではない。となりのノエルも驚いた様子で、ふたりは顔を見合わせた。


「よくできた子ねぇ……そのへんのボケた宰相よりしっかりしてるわ」

「だね。なんだか、私たちのほうが元気づけられたような感じ? きみ、本当に14歳?」

「おふたりに嘘など申し上げませんよ」


 食い気味に否定するカイル。

 そう、嘘は言っていない。人生を何周もしているだけだ。

 だからギクリとしたことは、そしらぬ顔でごまかす。


「ふふ、お気遣いありがとう、カイル。辛気くさい話はこのくらいにするわ」


 さいわいなことに、フィオーネはそれ以上不思議には思わなかったようだ。

 みなを見渡し、軽快な語り口調で続ける。


「つまり、ね。リュカがオリヴィエの忘れ形見で、私にとっての宝物なの。だからあの子がしあわせになるために、私はなんだって手助けをしてあげたいと思っているの」


 ぐ、とカイルの肩がこわばる。

 フィオーネに悪気はない。それはわかっているが。


「僭越ながら……その手助けというのが、セフィリアお嬢さまとのご婚約、でしょうか」

「そういうこと! リアちゃん、想像以上に可愛くていい子だもの。リュカのお嫁さんにぴったりだと思ったわ!」


 やはり、こうなってしまうのか。

 わかっていたことでも、いざフィオーネの口から事実として告げられると、カイルも複雑な心境を抱かざるを得ない。


(一国の王子と俺。身分の違いは明らかだ。それでも、諦めるわけにはいかない)


 たとえ相手が女王であろうと、引き下がりはしない。

 カイルが覚悟を決めて顔を上げる一方で、思わぬところから思わぬ発言がある。


「ちょっといいかな、フィオーネ。婚約したいというのは、リュカが話していたのか?」


 ノエルだった。まるで初耳だとでも言わんばかりに、黄金の瞳を丸くさせている。


「いいえ? 正確には、『アーレン公爵家のご令嬢とお話がしたい』と言っていたわ。でも、あの子が女の子に関心をもつなんてはじめてじゃない? それって想いを寄せているってことでしょう? だったら、私が手助けしてあげなくちゃって思って!」


 はつらつと声をあげるフィオーネだが、その瞬間、場の空気が凍りつく。カイルはほほが引きつるのを感じた。

 なんともいえない沈黙をやぶったのは、ノエルのため息だ。


「フィオーネ……きみという子は」

「あら……どうしたのよ、おにいさま。私、なにかまずいことでも言ったかしら」

「そうだね。自覚がないなら、もう手遅れなんだろうね、このおばか!」

「んひっ! いひゃ、いひゃい〜!」


 盛大なため息をもらしたノエルが一変、両目を吊り上げてフィオーネの両ほほをつまむ。女王だろうが関係なかった。むにむにむに、と情け容赦なくほほを引っ張る。


「いいかい、リュカは『話をしたい』と言っただけ。つまり、婚約うんぬんはきみの早とちり、かん違い!」

「えっ、そうなの?」

「そ・う・な・の! まったく……きみがおばかだから、リュカも苦労してるんだよ。まだおさないのにあんなにおとなびてしまって……」

「ちょっとおにいさま、そう何回もおばかおばかって言わなくていいじゃない!?」

「陛下、殿下、まぁまぁ……」


 これにはユリエンも困り果て、苦笑いでフィオーネとノエルの仲裁に入った。

 そうした一連の光景を目の当たりにしたカイルは、しばらく眉間に手を当て──


「なんだこの茶番」


 と、悟りをひらくのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?