「──愛するひとがこどもを生めなくなったとしても愛せると、神に誓える?」
風が吹き抜け、木もれ陽を揺らす。
だれもが息をのむ一瞬の沈黙ののち。
「……ふ」
カイルはたまらず、吹き出した。
「ふふ、あはは! 失礼……陛下があまりに可笑しなことをおっしゃるので」
フィオーネは黄金の瞳に丸みをおびさせる。
初対面の、それも女王相手に、ここまで素をさらけ出す者がはたしていただろうか。
いや、いない。カイル以外には。
(この子は、恐れを知らないのかしら)
女王相手に臆せず、毅然とした態度をくずさないカイルのすがたは、とても14歳の少年のものではない。
「幸福がすぐそこにあって、手を伸ばせばつかむことができる。なら、手を伸ばさないわけにはいかないでしょう」
適当にやり過ごそうだとか、あたりさわりのない返事にとどめておこうだとか、もう無理だ。
からだの芯からわき上がる感情を、カイルは抑えられない。
「俺にとって、セフィリアお嬢さまは奇跡そのものなんです。求めても、ふれることすら叶わなかった存在。だけどようやく、やっと手に入れることができる……」
声をかけることもできず、遠くで見守るしかなかったあの日々。
想いを伝えることは許されず、そばで守ることも叶わなかったあの日々。
無力感と後悔にさいなまれていたあのころの記憶が、カイルの決して譲れない原動力となる。
「こどもができようができまいが、関係ない。お嬢さまのとなりは俺のものです。たとえ生まれ変わっても、俺はお嬢さまを、お嬢さまだけを愛します」
──言った。言ってやったぞ、とカイルは達成感につつまれる。なんならフィオーネが呆けた顔をしているので、ちょっぴり優越感にも浸れる。
「お見事! いやいや、これはやられたねぇ、フィオーネ?」
「いちいち言わなくてもわかってるわよ、おにいさま……」
ぱちぱちぱち、とノエルの拍手が鳴り響き、フィオーネがため息をつく。
「試すようなことを言ってごめんなさいね。私も、思うところがあって」
「と、おっしゃいますと?」
「さっきあなたに質問したこと……『こどもを生めなくなった女性』というのはほかでもないわ、私のことよ」
「陛下……」
「いいのよ、ユリちゃん」
ユリエンは事情を知っているのだろう。気遣わしげなまなざしを向けるものの、フィオーネはかぶりを振って制する。
(そういえば陛下には王配が3人もいらっしゃるのに、リュカオン殿下しか子を生んでいないのか)
それにリュカオンは静かな森を思わせるようなエバーグリーンの髪をしていた。父親似だとすれば、ここにいるノエル、ギルバート、アーシェのだれとも似ていない。
「お茶がまずくなるかもしれないけれど、それでもよければ聞いてちょうだい」
折り入った話であることは一目瞭然だ。
フィオーネが話す覚悟を決めたというなら、拒む権利はない。
カイルは黙ってうなずいた。
「私にはかつて、7人の配偶者がいました。それであるとき、身ごもったの。その子がリュカよ」
とすれば、リュカオンの年齢から逆算して6〜7年前のことだ。
「リュカはおなかの中で順調に育ってくれたわ。でもいよいよ出産を控えたという時期に、事件が起きたの」
「とある伯爵家の次期後継者が、乱心したんだ。愚かにもフィオーネの襲撃を計画した。婚姻を申し入れたものの、突き返された腹いせでね」
「なんですって……」
衝撃的な出来事に、カイルは言葉を失う。
「『すこしびっくりさせるだけのつもりだった』と苦しい言い訳をくり返していたけれどね。襲撃に使用した黒魔法のせいで、フィオーネは……」
「結果、子を生めなくなってしまったことで、3人の夫が私のもとを去ったわ。当然よね。王室に自分の家門の血を入れることが目的だったのに、肝心の私が使い物にならなくなったんだもの」
「本当に、身勝手きわまりない。……フィオーネがなにをしたというんだ」
「まぁ、あちらも誓約魔法の影響で、出奔して神殿に仕えることくらいしかできなくなったのだけどね」
静かな怒りをあらわにするノエルと、自嘲するフィオーネ。
ふたりにかける言葉を、カイルはすぐには見つけられない。
(そうして陛下のもとに残ったのは、心から陛下の身を案じるノエル殿下たちというわけか)
そこでカイルはひとつ疑問をおぼえる。
フィオーネは7人の夫がいたと言っていた。しかし彼女のもとを去ったのは3人。現在王配の地位にあるのはノエル、ギルバート、アーシェの3人だけだ。
「カイル、あなたが気になっているだろう彼の名前は、オリヴィエというわ。リュカの父親よ。彼は一番最初に私と結婚してくれたひとだった」
一番最初の夫。一妻多夫制であるこの国で、それは重要な意味を持つ。
ルミエ王国では、婚約をむすんだ順に婚姻をおこなう。血すじを残すことも、第一夫がなにより優先されるのだ。
「オリヴィエはすばらしい魔術師で、平和を愛するひとだった。でも……私とリュカを呪った黒魔法を解呪するために、魔力を使い果たして……私とリュカは助かったけれど、私は子を生めないからだになり、オリヴィエは命を落としてしまったの」
犯行におよんだ伯爵家の次期後継者とやらの言い分から察するに、軽い気持ちで手を出したのだろう。
だが、
黒魔法も、それにまつわるモンスターたちも、決して安易に手を出してもよい代物ではない。
フィオーネの過去に、あれこれ知ったふうな口出しはできないけれど、その苦しみを尊重することはできるはずだ。
「そうだったのですね。思い出すのもお辛い出来事でしょうに、お話しくださり、ありがとうございます」
カイルの口からつむがれたのは、フィオーネに対する心からの敬意と、感謝の言葉だ。
(……ってなんだよ、その反応は!)
カイル自身はごく自然な受け答えをしたつもりだったが、肝心のフィオーネがきょとんとしている。
いや、フィオーネだけではない。となりのノエルも驚いた様子で、ふたりは顔を見合わせた。
「よくできた子ねぇ……そのへんのボケた宰相よりしっかりしてるわ」
「だね。なんだか、私たちのほうが元気づけられたような感じ? きみ、本当に14歳?」
「おふたりに嘘など申し上げませんよ」
食い気味に否定するカイル。
そう、嘘は言っていない。人生を何周もしているだけだ。
だからギクリとしたことは、そしらぬ顔でごまかす。
「ふふ、お気遣いありがとう、カイル。辛気くさい話はこのくらいにするわ」
さいわいなことに、フィオーネはそれ以上不思議には思わなかったようだ。
みなを見渡し、軽快な語り口調で続ける。
「つまり、ね。リュカがオリヴィエの忘れ形見で、私にとっての宝物なの。だからあの子がしあわせになるために、私はなんだって手助けをしてあげたいと思っているの」
ぐ、とカイルの肩がこわばる。
フィオーネに悪気はない。それはわかっているが。
「僭越ながら……その手助けというのが、セフィリアお嬢さまとのご婚約、でしょうか」
「そういうこと! リアちゃん、想像以上に可愛くていい子だもの。リュカのお嫁さんにぴったりだと思ったわ!」
やはり、こうなってしまうのか。
わかっていたことでも、いざフィオーネの口から事実として告げられると、カイルも複雑な心境を抱かざるを得ない。
(一国の王子と俺。身分の違いは明らかだ。それでも、諦めるわけにはいかない)
たとえ相手が女王であろうと、引き下がりはしない。
カイルが覚悟を決めて顔を上げる一方で、思わぬところから思わぬ発言がある。
「ちょっといいかな、フィオーネ。婚約したいというのは、リュカが話していたのか?」
ノエルだった。まるで初耳だとでも言わんばかりに、黄金の瞳を丸くさせている。
「いいえ? 正確には、『アーレン公爵家のご令嬢とお話がしたい』と言っていたわ。でも、あの子が女の子に関心をもつなんてはじめてじゃない? それって想いを寄せているってことでしょう? だったら、私が手助けしてあげなくちゃって思って!」
はつらつと声をあげるフィオーネだが、その瞬間、場の空気が凍りつく。カイルはほほが引きつるのを感じた。
なんともいえない沈黙をやぶったのは、ノエルのため息だ。
「フィオーネ……きみという子は」
「あら……どうしたのよ、おにいさま。私、なにかまずいことでも言ったかしら」
「そうだね。自覚がないなら、もう手遅れなんだろうね、このおばか!」
「んひっ! いひゃ、いひゃい〜!」
盛大なため息をもらしたノエルが一変、両目を吊り上げてフィオーネの両ほほをつまむ。女王だろうが関係なかった。むにむにむに、と情け容赦なくほほを引っ張る。
「いいかい、リュカは『話をしたい』と言っただけ。つまり、婚約うんぬんはきみの早とちり、かん違い!」
「えっ、そうなの?」
「そ・う・な・の! まったく……きみがおばかだから、リュカも苦労してるんだよ。まだおさないのにあんなにおとなびてしまって……」
「ちょっとおにいさま、そう何回もおばかおばかって言わなくていいじゃない!?」
「陛下、殿下、まぁまぁ……」
これにはユリエンも困り果て、苦笑いでフィオーネとノエルの仲裁に入った。
そうした一連の光景を目の当たりにしたカイルは、しばらく眉間に手を当て──
「なんだこの茶番」
と、悟りをひらくのだった。