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第113話 そんなわけないじゃない

 陽光を反射する湖。

 そよ風に揺れる白百合。

 おだやかな午後のティータイム。

 湖に囲まれたテラス席で、セフィリアの正面には、少年がひとり。


 ──わたしは、あなたと婚約するつもりはありません。


 静かに告げられた言葉を、セフィリアは胸のうちでゆっくりと咀嚼する。

 彼がなにを考えているのか、なにを伝えようとしているのか、理解するために。


「理由を、お聞かせいただけますか?」

「……理由?」


 理由を問うセフィリアに、リュカオンの語調がわずかに揺らぐ。

 それは、セフィリアがリュカオンの提案をすぐに承諾すると信じて疑わなかったための反応だろう。


「わたしたちはこれまで、たがいに面識がありません。いくら女王陛下のご意向といえど、よく知りもしない男と婚姻など、あなたもご迷惑でしょう」


 リュカオンの返答は正論だ。

 だからこそ、違和感がある。


(現状ルミエ王室には、リュカオン殿下しか後継者がいらっしゃらない)


 フィオーネがこれ以上跡継ぎを望めないことは、それとなくユリエンから知らされていた。 


(真面目で責任感のある殿下なら、国の未来のために、婚約には前向きになるはず)


 古くから王室と親しい関係にあるアーレン公爵家との婚姻ならば、申し分はない。

 それこそ自分の感情を抜きにして、国のための政略結婚もよしとする。リュカオンの立場や性格を思えば、それが自然な思考だ。


 だが、実際のリュカオンはセフィリアに婚約の白紙化を求めた。

 予想とはまったく正反対の行動。つまりこれは、リュカオンが彼自身の感情を優先した末の行動なのだ。


(殿下との婚約はお断りするつもりでいたけれど……これは、そう簡単に終わらせていい問題じゃない)


 それは、直感だった。

 もしセフィリアがなんの疑問もいだかずに「はい」と返事していたなら、リュカオンはうまく処理していたことだろう。

 そのちいさな肩に背負った『なにか』の存在を、一切打ち明けることなく。


(リュカオン殿下は、きっとおやさしい方なのね)


 この日はじめて出会い、ろくな会話も交わしていない。

 だがリュカオンは、はぐれたセフィリアのところへ引き返してくれた。

 セフィリアの不注意で転倒の末に下敷きにしてしまっても、腹を立てるどころかセフィリアを案じてくれた。

 そうしたわずかなふれあいの端々から、リュカオンのやさしさを感じたのだ。


(私をここへ案内してくださるとき、殿下は考え事をしていたとおっしゃっていたわ)


 考え込むあまり、セフィリアを置き去りにしてしまうほどに。


 ──リュカオンは、なにかたいせつなことを独りで抱え込んでいるのではないか?


(おせっかいかもしれないけれど……)


 そうだとするなら、セフィリアも黙っているわけにはいかなかった。


「殿下、私はアーレン公爵家の血を引く者です。ですが、ただ岸辺で風に吹かれるだけの百合ではありません」

「……セフィリア嬢」


 何事か言いかけたリュカオンが、口をつぐむ。

 セフィリアがエメラルドのまなざしを、まっすぐに向けていたから。


「私には考える頭があり、感じる心があります。私はただ黙って守られているだけの存在でいたくはありません。殿下、もし困っていらっしゃるのであれば、私にもなにかお力添えさせていただけませんか?」

「…………」


 すぐに、答えはない。

 黙り込んだリュカオンは、セフィリアの視線から逃れるように、わずかにうつむいた。


(やっぱり、図々しかった?)


 突然私情にふみ込むような真似をして、嫌な思いをさせたかもしれない。


「ごめんなさい! 余計なお世話でしたね。いまの言葉は忘れて……」

「……いえ」


 ふるふると、リュカオンが首を横に振る。

 弱々しい声だったが、たしかに、セフィリアには聞こえた。


「ありがとうございます、セフィリア嬢……そして、ごめんなさい。あなたには、きちんとお話をすべきでした」

「殿下……?」

「わたしはあまり口が上手いほうではないので、要領を得ないかもしれませんが……お聞きください」


 ところどころ詰まりながら、それでもリュカオンは、懸命に言葉を伝えようとしている。


「もちろんです」


 力強くセフィリアはうなずき返す。

 しばらく沈黙が流れ、覚悟を決めたように、リュカオンが顔を上げる。

 そしておもむろに、自身の表情を隠す丸眼鏡にふれた。


「あなたも先ほどごらんになったと思いますが……わたしの生い立ちは、複雑なものです」


 ……コト。


 丸眼鏡がテーブル上に置かれる。

 あらわになったリュカオンの素顔。

 七色に光を反射するチョコレートオパールの瞳には、どこかほの暗い影が宿っている。


「わがルミエ王国では、特に高位の貴族ほど瞳の色を重視します。魔力を推しはかる指標となるからです」

「瞳の色……」


 それならば、セフィリアも魔術学の基本教養として学んでいる。


 一般的に魔力の強さは、瞳の色に準ずるものとされる。

 王室の血族に代表される金色。

 さらに緑色、青色、その他の色……と続き、黒色の瞳をもつ者が最低限の魔力を有すると言われている。


(ただし、赤色と紫色は例外)


 赤色の瞳は魔力をまったくもたないオーガの象徴であり、逆に紫色の瞳は莫大な魔力をもつ魔族のあかしとされる。


(私はお父さまと同じ緑色の瞳を受け継いでいるから、魔力は豊富なほうよ)


 緑は生命の色。癒やしの力が高いとされ、治癒魔法を得意とするノクターの魔力をセフィリアも受け継いでいる。


「わたしの父……オリヴィエ第一王配殿下は緑色の髪と瞳をもつ方で、王国でも屈指の魔術師でいらしたそうです」

「オリヴィエ殿下は……」

「えぇ……わたしが生まれる直前に謀反が発生し、母上とわたしをかばった父上は黒魔法の呪いに倒れ、亡くなりました」


 痛ましいその事件が原因で、フィオーネも子を生めないからだになってしまったという。

 あらかじめユリエンから聞かされていても、リュカオンの告白はセフィリアの胸にズキリと痛みを刻む。


「命を懸けて守ってくださった父上のためにも、わたしは立派な王子であろうと努力してきました。ですがわたしの瞳は……こんな色です。母上と同じ黄金でなければ、父上のような緑色でもありません。金色の瞳をもたないわたしは本当に女王陛下の嫡子なのかと、影でささやく臣下もいます」

「なんて愚かな……ほかでもない女王陛下がそうだとおっしゃっているのに、なにを疑うことがあるというのですか!」


 リュカオンの出自に疑問をいだく発言は、フィオーネ、リュカオン、そしていまは亡きオリヴィエへの冒涜だ。

 セフィリアが怒りをあらわにするも、テーブルへ視線を落としたリュカオンの表情は暗いままだ。


「それも仕方がないのです。せめて、父譲りの高い魔力があれば反論もできたのでしょうが……わたしは、ほとんど魔力がありません。初級の魔法さえも使えないのです。それだけではありません」


 ぐっと、リュカオンが唇を噛みしめる。

 テーブル上でにぎりしめたこぶしは、ふるえていた。

 やがて深く息を吐き出し、リュカオンは重い口をひらく。


「わたしは……闇に侵されています」

「闇……というのは?」

「悪夢を、見るのです。物心がついてから、毎晩……ひょっとすれば、わたしたちを襲った黒魔法の影響かもしれません」


 たしかにリュカオンの目もとには色濃い隈が刻まれており、寝不足のせいかやつれて見える。

 そこでようやく、セフィリアははっとした。


「もしかして、私と婚約をするつもりはないとおっしゃったのは、そのせいで……?」

「……はい。呪われているかもしれない男と婚約なんて、あなたも気味が悪いでしょう。わたしが辛抱すればすむ話ですので、お気になさらず」


 最後に口早で言い放つと、リュカオンは席を立つ。


「お話はそれだけです。貴重なお時間を無駄にさせてしまい、申し訳ありません。失礼します」


 それっきりリュカオンはふり返ろうとしなかった。

 セフィリアに背を向け、無言で歩き出す。


(このまま終わらせていいの?)


 リュカオンが打ち明けた本心を、なかったことにしていいのか。


(……そんなわけないじゃない)


 自問など、するまでもなかった。

 セフィリアはすっくと立ち上がり、声を張り上げた。


「わたあめちゃん! レイ!」

「っ、セフィリア嬢……? どうし……うわっ!」


 セフィリアの突然の大声に驚いたのもつかの間、リュカオンの視界が暗転する。


「ワタシの出番だな。よし!」


 どこからともなく現れたわたあめが、ぽふんっとリュカオンの顔面に飛びついたためだ。


「なんですか、いったい……!」

「あるじの許可が下りたでな。そちは特別に、ワタシの自慢の毛並みを堪能することができる。遠慮はいらぬ。さぁ、この毛並みを心ゆくまでもふもふするがよい!」

「意味がわかりません!」


 声を荒らげたリュカオンが、わたあめの首根っこをつかんで引き剥がす。そうして視界がひらけ、ひと息をついたところ。


「失礼」

「なっ……なにをするんですか!」


 今度は、艶のある黒髪の少年に腕をつかまれたのだ。

 たしかセフィリアの従者で、レイと呼ばれていた。

 とっさにふり払おうとするリュカオンだが、つかんだ手はびくともしない。

 そう背格好も変わらないというのに、すごい力だ。


「お嬢さまが『引き留めろ』と言っているから、俺はそれに従わせてもらう」

「そうだぞ、話はまだ終わっておらんぞ」


 身をよじって軽快にリュカオンの右肩へ飛び乗ったわたあめが、念を押すように前足でリュカオンのほほをつつく。


「ご無礼をお許しください、殿下」


 そこへ、迷いのない足取りでセフィリアが歩み寄ってきた。

 逃げ場を奪われたリュカオンはなすすべもなく、居心地が悪そうに視線をさまよわせるだけ。

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