セフィリアの考えた作戦は、単純明快なものだった。
「殿下、アーレン公爵家の庭園には温室がございまして」
「はい」
「あちらまで競走です!」
「……はい?」
あるときは、屋敷から庭園の温室までかけっこを開催したり。
「殿下、こちらは私のお友だちで、リッキーといいます」
「ウ!」
「見たところ、ポット・トレントのようですが……?」
「はい、リッキーも殿下とお友だちになりたいそうです!」
「ウウ!」
「そうなん……わ! 急にりんごが……!」
「わー! リッキーからりんごのプレゼントです! アップルパイを焼いてもらいましょう!」
あるときは、おやつの時間にしたり。
「なんだか、なんといいますか……王宮では、あまり経験したことのないことばかりです」
「これがピクニックというものですよ」
──セフィリア考案、必殺『ピクニック大作戦』。
こどもらしく遊びまわれば程よい疲れとリラックス効果がもたらされ、あわよくばそのままお昼寝しちゃおうぜという趣旨の作戦である。
不眠の原因をさぐるべくアーレン公爵家へやってきたと思ったらいつの間にか温室でアップルパイをごちそうされていたため、リュカオンは瞳を丸くしていた。
「セフィリア嬢は、いつも予測不能なことをなさいますね」
そう話すリュカオンに、セフィリアはいまさらながら気づくことがあった。
「そういえば……殿下、眼鏡は……?」
人目を気にしていたリュカオンが、今日は丸眼鏡をかけていないのだ。
「ごめんなさい、私がなにも考えずえらそうに褒めたばっかりに……!」
セフィリアはリュカオンの瞳がきれいだと言った。
そんな令嬢の屋敷に誘われたなら、リュカオンが気を遣うのも無理はない。
「いえ、お気になさらず。わたしにはもう、必要のないものですので」
「殿下……?」
「わたし自身の意思で、こうしているのです。だれかの視線をうかがわなくても、ありのままのわたしでよいのだと……あなたには、いろんなことに気づかされてばかりですね」
表情変化がわかりづらいリュカオンではあるが、このときははにかんでいるように見えた。
セフィリアとかけっこをし、ともにアップルパイを味わう時間を、すくなからず心地よく感じてくれているようだ。
そうしていると、ふとリュカオンが申し訳なさそうに眉をさげた。
「わたしのほうこそ、ごめんなさい。セフィリア嬢がここまでよくしてくださっているのに、ご期待に応えられそうになくて」
リュカオンの物言いは、相変わらず6歳の少年らしからぬしっかりとしたものだ。
要するに、「眠気はこない」ということだろう。
「いいえ。お父さまもおっしゃっていましたように、焦ることはございません。ゆっくりと、原因を調べてまいりましょう」
「そう……ですね。ありがとうございます」
「……?」
リュカオンは礼を口にしていたが、セフィリアにはどこか歯切れが悪いように思えた。
「……わたしには、返せるものがなにもない。どうしてわたしは、こんなにも……」
ぼそりとリュカオンがつぶやいた言葉は、そよ風に吹かれ、セフィリアには聞こえなかった。
* * *
リュカオンの不眠の治療について。
セフィリアはノクターに診察をおねがいするだけでなく、レイにもとある頼みごとをしていた。
万が一、夜間殿下の身になにかあれば、すぐにしらせるように、と。
「──リア」
その日のこと。セフィリアの危惧どおり、レイが深夜に寝室へやってきて、セフィリアを起こした。
「来てくれ。うなされている」
「わかりました」
簡潔に事情を説明したレイのあとに続き、セフィリアも寝間着のまま寝室を飛び出す。
「殿下、セフィリアです。失礼いたします」
そうして、すぐとなりに用意したリュカオンの客室へ向かうと──
「……う……うぁ……!」
「殿下!」
──ベッドに横たわったリュカオンが、苦しげに悶えるすがたが目に入った。