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第118話 覚悟は決めました

 間違いない、リュカオンだ。

 セフィリアは夢中で駆け寄ろうとするも、くいと腕を引かれる感触で立ち止まった。


「待ってください、お嬢さま。様子が変です」


 カイルに引きとめられ、セフィリアは我に返る。


「ごめんなさい……巻き込んでしまって、ごめんなさい」


 ひざをかかえてうずくまるリュカオンが、うわごとのようにくり返している。

 そのたびに、リュカオンを中心にして波紋のようなものがひろがる。彼の感情が巻き起こす、さざなみのようだった。

 真っ暗な空間に波打ったそれは、セフィリアの足もとに打ち寄せる寸前で、音もなく消え入った。


 予想以上に、リュカオンの精神状態が不安定だ。

 セフィリアはぐっと視線をあげると、つとめてやさしい声音でリュカオンへ呼びかける。


「殿下、私たちは大丈夫です。いっしょに帰りましょう?」

「でも……こんな得体の知れない力に支配されたわたしは、みなさんにご迷惑をかけてしまいます……」

「リュカオン殿下、あなたを悩ませているのは、黒魔法ではありません。あなたにやどっているのは、そんな禍々しい力じゃない」

「……え?」


 わずかに、リュカオンが顔をあげる。

 影をおびたチョコレートオパールの瞳が、たよりなく揺らめきながらセフィリアを映し出した。


「もっと自信をお持ちになってください。殿下なら、そのお力を使いこなせるはずです」

「でも、どうすればいいのか……」


 セフィリアの言葉に、リュカオンは困惑を見せる。その根幹にあるのは、恐怖だ。


(殿下は毎晩、悪夢を見るのだとおっしゃっていたわ)


 そのせいで不眠に悩まされ、精神的にも脆くなってしまっている。

 ならば、原因を取り除いてしまえば。


「殿下がごらんになる悪夢というのは、どんなものなのですか?」

「っ……それは……」

「可能なかぎりでかまいませんので、教えていただけませんか?」


 言いよどむリュカオン。

 ざわざわと、彼の周囲に幾重もの波紋が巻き起こる。


「…………女性の、夢です」


 長い長い沈黙があって、絞り出すようにリュカオンが言葉をつむいだ。


「女性、ですか?」

「母上ではありません。知らない方です。見覚えのないはずなのに……わたしにはなぜか、彼女のことが、赤の他人には思えなくて……」


 ぐっと唇を噛みしめたリュカオンは、ふたたび自身のひざへ顔をうずめる。


「彼女には、たいせつに想う相手がいて……その感情を恋、というのでしょうか……でも、気持ちをつたえることはできない、つたえてはならない」

「気持ちを、つたえてはならない……?」

「そばで見守るだけでいい。それがあの方のしあわせだと自分に言い聞かせても……結局は、そのたいせつなひとさえもうしなって……」


 セフィリアのすぐそばで、息をのむ気配がした。

 ブルーの瞳を見ひらいたカイルが、食い入るようにリュカオンを見つめている。


「どうして守れなかった? なぜ救えなかった? あの方のいない世界に、価値などないのに。あぁ、こんなことになるのなら、すべてを打ち明けていればよかった……」


 なにかに取り憑かれたように口走るリュカオンの声が、苦しげに詰まる。


「……彼女の悲しみや後悔が、押し寄せてくるんです。わたしのこころを滅茶苦茶に掻き乱す……」

「……同じだ」


 息を吐き出すようにつぶやいたのは、カイルだ。


「俺のときと、同じ……やっぱり、おまえは……」

「カイルさん……?」


 カイルの瞳には、なにが映っているというのだろうか。

 恐る恐る問いかけるセフィリアへの返答はなく、カイルは一歩、リュカオンのほうへ踏み出すだけ。


「それは夢なんかじゃない。前世の記憶。おまえがやり残したこと。死んでも消えない後悔」


 カイルの言動は、一国の王子に向けたものではない。

 リュカオンに映し出した『だれか』に対するもの──リュカオンが『だれ』の生まれ変わりなのか、確信したものだ。


「前世の、記憶……? 彼女は、わたし自身……? そんなこと……」

「俺だってはじめは信じられなかったさ。けど俺はたしかに生まれ変わった」

「あなたも、生まれ変わった……?」

「あぁ。もうなにも救えなかった七海ななみじゃない。セフィリアお嬢さまを、愛するひとをこの手で守るために、生まれ変わったんだ!」

「ナナ、ミ……うぅ、あぁあ……!」

「殿下!」


 突如頭をかかえたリュカオンが、苦悶の表情でうめきはじめる。

 とっさに駆け寄ろうとしたセフィリアだったが、カイルに制される。


「カイルさん……!」

「大丈夫ですから、俺にまかせてください」


 カイルの視線は、リュカオンを捉えて離さない。

 もはやセフィリアが止めても、聞き入れることはないだろう。


「わかるよ。後悔ばっかだよな。けど、いつまでもメソメソしてるヒマはないぞ。おまえだって生まれ変わったんだ」

「うまれ、かわった……」

「そうだ。今度こそ、たいせつなひとを守り抜くために。だからいい加減顔を上げろ。求めていたものはすぐそこにある。手を伸ばせば届くんだ」


 頭を掻きむしっていたリュカオンが、はたと手を止める。

 そうしてカイルの言葉に引き寄せられるように顔を上げ、セフィリアを映した瞬間──


 ──ぱぁああ。


 今一度、まばゆい光があたりを埋め尽くす。

 だが、思わず目をつむったセフィリアが次にまぶたを押し上げたとき、目前にひろがったのは漆黒の世界ではない。

 青空に浮かんでいるような、穏やかに澄み切った世界だ。


「あぁ──」


 感嘆のようなものが聞こえた。

 それは、リュカオンのいた場所からそよ風に乗って届く。

 けれどリュカオンの、おさない少年の声音ではない。


「…………え」


 セフィリアはエメラルドの瞳を見ひらき、絶句した。

 なぜならリュカオンのすがたが揺らめき、やがて現れた女性のすがたに、見覚えがあったから。


「運命とは、いじわるなものですね……」


 セフィリアを見つめた『彼女』は、泣きそうな笑みを浮かべる。


「あなたには、こんな私のすがたを見られたくなかったのに……花梨かりんさま」

「そん、な……」


『彼女』のことを、見間違うはずがない。


「……和紗かずさ、さん……?」


 衝撃に打ちひしがれるセフィリアをよそに、『彼女』の表情は凪いだものだった。


「お待たせしてごめんなさい。そして……また私を見つけてくれて、ありがとうございます」


『彼女』を見つめるカイルは、なにも言わない。

 彼はいま、なにを思っているのだろうか。


「私はもう、自分のこころにうそはつきません。覚悟は、決めました」


 もう一度、『彼女』がほほ笑む。

 ふわ……と風がそよぐとともに、セフィリアの視界が淡いもやのように包まれる。


「さきに謝っておきます。ごめんなさい。私がどんな選択をしても受け入れてくださいね、花梨さま──セフィリアさま」


 果てしない青の世界に、『彼女』の声だけがひびきわたる。

 結局、その真意を知ることができないまま、セフィリアの意識はまばゆいばかりの光に奪われた。

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