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第126話 むかえに来たんだ

「それで、またカイルさんと殿下が言い合いになってしまって、もう大変大変…………あら、レイ?」


 某日。庭園内の温室でアフタヌーンティーを楽しんでいたセフィリアは、ふと気づくことがあってレイを呼んだ。 

 例によってカイルは午後から騎士団の訓練中であり、リュカオンもまた調べものがあるとのことで書庫に入り浸っている。

 そのため、セフィリアの話し相手はレイが引き受けていたのだが、話しかけても反応が鈍いのだ。


「……あ、悪い。考えごとをしていた」

「どうしました? 悩みごとですか?」

「悩んでいるわけではないんだが……」


 そうと答える様子は、レイにしては歯切れが悪い。

 ふだんはマイペースなレイが、物思いにふけっているのだ。なにかしら思うところがあるに違いない。


「遠慮するなんてらしくないですよ。私に遠慮は必要ありません。気になることがあるなら、なんでも言ってください」

「きみには、敵わないな……」


 セフィリアの直感どおり。苦笑したレイが、どこかそわそわした様子で視線をさまよわせたあと、セフィリアを映し出した。


「今夜、部屋に行ってもいいか」

「え……?」


 レイはなにを言っているのだろうか。

 セフィリアの部屋なら、毎晩のように来ているはずだ。アフタヌーンティーや晩餐の世話を終えて、セフィリアが眠りにつくのを見届けるまでが、彼の仕事なのだから。


「きみといっしょにいたいんだ」


 だが続く言葉で、レイがなにを言わんとしているのか、セフィリアは悟った。


「そ、それって、私と添い寝したいとか、そういったたぐいの……」

「……だめか?」


 やはり、思ったとおりだった。

 いつもはおやすみのあいさつをすませたら部屋を出ていくレイが、今夜はその先を望んでいる。その理由は──


「最近、きみがカイル兄さんと殿下の話ばかりしているから」

「えっと、それは……」

「……かまってほしくなった」

「うっ……!」


 心当たりしかない。とどめとばかりに拗ねたようなひと言をレイから頂戴し、セフィリアは見事撃沈した。


「こういうのを、やっぱりやきもちというのかな……こどもっぽいときみに思われたくなかったから、黙ってたんだが……」


 やってしまった、とセフィリアは頭をかかえる。

 レイは年のわりにおとなびた言動をするが、それでもセフィリアと同年代のこどもに違いはないのだ。


(前世の記憶がないなら、なおさらね……)


 レイと暮らすようになってしばらくたつが、いまだに前世の記憶はもどらない。

 ただ、ノクターやユリエンのように記憶を取りもどしていない場合もある。


(思い出してほしいというのは、私のエゴだわ)


 記憶がなくとも、両親との関係は上手くいっている。こちらのわがままでレイを困らせるわけにはいかない。

 だからセフィリアは、あえてレイに前世について話すことはしなかった。


「大丈夫です。その……私がちょっと、気恥ずかしかっただけですから。レイが嫌なわけではありません」

「! それなら……」

「はい、私もレイといっしょにいたいです」

「ありがとう、リア!」

「わっ……!」


 恥じらいながらなんとか返事をすれば、きらきらと紅蓮の瞳を輝かせたレイに抱きしめられる。


「俺は、きみの一番になりたいんだ。でもそれは……無理なことだってわかってる」

「レイ……?」


 ぽつりとこぼされた言葉の意味を、今度は理解できない。

 セフィリアが気遣わしげな視線を送ると、レイがぱっとからだを離した。


「俺のたのみを聞いてくれてありがとう。今夜行くから、待っていてくれ」


 打って変わって、にこりと笑みを浮かべるレイ。


「はい……わかりました」


 妙に引っかかることはあれども、会う約束はしたのだ。今夜また顔を合わせるときに、落ち着いて話す時間を取ればいい。

 セフィリアはそう結論づけ、これ以上レイを追及することはなかった。

 ──それが、甘い考えだったことも知らずに。



  *  *  *



「──あるじ!」


 すっかり夜も更け、そろそろ就寝時刻というころ。

 白のネグリジェに着替え、ドレッサーの前でストロベリーブロンドをブラシで梳かしていたセフィリアは、鋭いわたあめの呼び声にはっとした。


「何事ですか、わたあめちゃん」


 セフィリアは白いレースのすそをはためかせ、すぐさまわたあめのもとへ向かう。

 一足先にベッド上に転がってくつろいでいたはずのわたあめは、窓に向かって白い毛並みを逆立てている。


「そこにいるのは誰ぞ。ここがどこか知ってのことであろうな」


 厳しい口調でわたあめが言い放った刹那、閉め切ったはずの窓辺で、ふわりとカーテンが舞い上がり。


 ──ぱさり、ぱさり。


 セフィリアがまばたきをした一瞬のうちに、『それ』はすがたを現した。


(……カラス?)


 漆黒のカラスが、窓辺にたたずんでいる。

 じっとこちらを見つめる紫水晶のような瞳に、セフィリアが既視感を覚えたとき。


「──こんばんは、セフィリア」


 驚くべきことに、カラスが人の言葉を発した。

 それもくちばしから発されたのは、若い男の声──忘れたくても忘れられない、『彼』の声だ。


「……なにかご用でしょうか、魔王陛下──いえ、クラヴィスさま」

「そんな他人行儀はやめてほしいな。僕ときみの仲だろうに」


 くすりと笑い声がした一瞬後、ほのかな発光とともに、カラスが若い男へとすがたを変えた。

 アッシュグレーの髪にアメジストの瞳。そして山羊のような巻角を持つ美青年こそ、魔族の王。


「……突然こんな現れ方をしたらだれだって驚くわ、リン師兄にいさま」


 セフィリアがため息まじりに口調を崩せば、至極満足そうにクラヴィスがほほ笑む。


「そろそろきみのところも落ち着くだろうと思ってね。会いたかったよ、僕の可愛い可愛い阿妹アーメイ

「おぬし、小妹シャオメイの兄弟子か! こんなところまで追いかけてきおって!」

「そういうきみは、ずいぶんと愛くるしい小動物になったじゃないか、騶虞すうぐ

「おぬしのような者とあるじが話すことはない。はようね!」

「手厳しいことを言うね」


 警戒心をあらわにするわたあめをよそに、クラヴィスはくすくすと笑みを浮かべるだけ。


(わたあめちゃんがここまで威嚇するってことは、燐師兄さまは……)


 すこし言葉を交わしただけでもわかる。こちらに向けられた、クラヴィスの尋常ではないまなざしを。

 どろりとした愛執を胸に秘めた彼は、セフィリア、いや花梨かりんが最期に見た彼となんら変わりはない。

 つまりクラヴィスは、セフィリアを手に入れるためにどんな手段も厭わない。それが、だれかを傷つけることであろうとも。


「前置きはいいわ。用件を言ってちょうだい」

「おや、焦らしてしまったかな」


 あまり大事にはしたくない。その思いで淡々と問いかけるセフィリアだったが、クラヴィスは笑みを深めるばかりで。


「それなら早速本題に。きみを魔族の国にご招待しようかと思って、むかえに来たんだ」

「楽しそうね、もちろんよ……なんてうっかり返事したら、そのまま連れ去られそうだわ」

「ひどいな、僕を誘拐犯あつかいするなんて」

「断ると言ったら?」

「断ってもいいよ。連れ帰ることに変わりはないから」

「誘拐犯とどこが違うのよ……」


 もとよりクラヴィスは、セフィリアの意思など関係ないのだ。


「だって僕ときみはしあわせになるために生まれ変わったのに、いつまでも離ればなれだなんて悲しいだろう? きみも寂しかったよね?」


 セフィリアを手に入れる。彼の脳内は、それしかないのだ。


(話が通じる相手じゃないけど……)


 だからといって、下手に抵抗や拒絶をすれば、逆上したクラヴィスになにをされるかわからない。

 違法闘技場をためらいなく爆破したこともある男なのだ。言葉は選ばねば。


「──寝言なら、寝て言ってもらおうか」


 そんなときだ。レイの声が聞こえたのは。

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