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第128話 諦めるのか

 カイルとリュカオン、ふたりの存在は大きく、クラヴィスを牽制することができている。

 じきにジェイドたち騎士団も駆けつけるだろう。

 だがひと安心できるかというと、そうではない。


「……う……」


 先ほどクラヴィスの攻撃を受けたレイの顔色が、蒼白なまま改善しない。

 黒魔法はリュカオンの神聖力で消滅しているが、電撃による肉体的ダメージを負っているのだ。


「レイ、顔色が悪いです。もうすぐリーヴス卿とお父さまがいらっしゃるはずですから、治療を……」

「──さわるなッ!」

「きゃっ……!」


 レイの肩にふれようとした右手が、パシッ! と勢いよく叩き払われる。

 セフィリアの短い悲鳴を聞いた直後、我に返ったようにレイが紅蓮の瞳を見ひらく。


「俺は、なんてことを……すまない……でも、俺にはふれないでくれ……たのむ……」


 絞り出すように懇願するレイの表情が、明らかにおかしい。

 苦しげに胸を押さえていて、その場所からはなにか異様なモノの気配がにじみ出ている。


「ごめんなさい、レイ。──カイルさん!」

「了解です。おとなしくしろよ」

「だめだリアっ! 兄さんっ!」


 みなまで言わずともセフィリアの意図を汲んだカイルが、レイを羽交い締めにする。

 その隙にシャツをはだけさせたセフィリアは、さらけ出されたレイの胸もとを目にして、息をのむ。


「……なんなのよ、これ……」


 レイの胸もとには、鋭い爪で抉られたような傷痕があった。それだけではない。傷痕の周辺は、黒く硬化している。そのさまは、まるで──


「邪龍の呪い。彼の魂に刻まれた罪のあかしさ」


 さらりとそんなことを言ってのけたのは、クラヴィス。


「転生しても消えることのない刻印。けっして許されぬ罪。きみは存在するだけでセフィリアの脅威となるんだよ。ほら、のうのうと生きていることが恥ずかしくなってきただろう?」

「いい加減にしてよ……どれだけ彼の尊厳を傷つければ気がすむの!? リン師兄にいさま!」

「尊厳? そんなものが必要かい? 生まれ変わって、人ですらなくなってしまった彼に?」

「燐師兄さまっ!」


 もうがまんならなくなった。しかしクラヴィスへ食ってかかろうとするセフィリアの腕が、引きとめられる。


「いいんだ……」

「レイ!」


 うなだれたレイが、ふるふると首を横に振っている。


「彼が言っていることは、本当だから……」

「そんなわけないじゃないですか!」

「いや……俺が出来損ないであることに変わりはない」


 ぽつりぽつりとこぼされる言葉は、震えていた。


「兄さんも、殿下も……きみと心が通じ合っていることが、わかるんだ。それなのに俺は……だいじなことを、忘れている」

「レイ、でもそれは……」

「知ってるよ。きみが俺を見て、ふと寂しげな表情をすることがある。それは、俺にだれかの面影を見ているからなんだろうって」

「っ……」


 ごまかせていると思い込んでいた。

 けれど、大間違いだった。レイはセフィリアの視線がじぶんではないだれかに向いていることを、敏感に感じ取っていたのだ。


「俺は、だれなんだ……? 胸にぽっかりとすきまがあることはわかるのに、思い出せない……また、きみに寂しい思いをさせてしまう。それなら、俺はきみのそばにいないほうが……」

「……レイ!」


 それはだめだ、いけない。

 血の気の引くような思いとともに、セフィリアが口をひらこうとしたとき。


 ──パァンッ!


 乾いた音が鳴り響いた。

 レイがセフィリアの手を払ったときよりも、鋭い音が。


 セフィリアは絶句して、目の前の光景を見つめた。

 見間違いでなければ、カイルが、思いきりレイのほほを平手で打っていた。


「──泣き言はそれだけか?」


 聞いたことのないくらい低い声音で、カイルがレイを問い詰める。

 レイはというと、カイルにほほを打たれたことをいまだ理解できていないようだった。

 もしかしたら、カイルがレイに手をあげたのは、はじめてのことだったのかもしれない。


「…………悪い……」


 たっぷりの沈黙をへて、またうなだれてしまったレイの肩を、苛立たしげにカイルがつかむ。


「それでいいのか?」

「兄さん、でも……」

「『きみは、そこで諦めるのか?』」

「……っえ」


 レイへ問いかけるカイル。

 たしかにカイルの声であるはずなのに、それはカイルではない『だれか』の言葉であるかのようだ。


「『俺たちはみな、はじめは何者でもなかった』」


 だれもが息をのむ状況で、カイルは言葉をつむぐ。


「『何者でもなかった俺がなにかを成し遂げることができたのは、たいせつなひとたちのおかげだ。だれかひとりでもたいせつだと思う存在が、きみにはいるか? いるなら、それだけできみの生きる理由になる。諦めない原動力になる』」


 つむがれる言葉を聞きながら、セフィリアはふとなつかしい気持ちになる。

 あぁ……これは、『彼』が言いそうな言葉だなぁと。

 そんな『彼』は、愛花アイファにこう語っていたこともある。


 ──偉大なことを成し遂げなくたっていい。たいせつだと思うひとを守ることができたら、それだけで立派な人間になれたと胸を張って言えるんじゃないか──


「『だれかを想うきみの心は、唯一無二のものなのだから。その上でもう一度訊こう。きみは、諦めるのか?』」


 はっとしたように、レイの肩が跳ねる。


「『諦めるな、きみならきっとできる』──そうやって俺を励ましてくれたのはおまえだろうが、星藍シンラン!」

「──ッ! あぁッ!」


 紅蓮の瞳がにじむ。崩れ落ちるレイの小柄なからだを、カイルが抱きとめた。


「俺は本当に……たいせつなことを、忘れていた……!」


 レイの瞳から、ひとすじの涙がこぼれる。


「ありがとう……海里ハイリー


 その瞬間、カイルがブルーの瞳を見ひらく。

 レイの口からつむがれた名は、もうだれも呼ぶことはないと思っていたものだからだ。


「ばかやろ」


 はは、とカイルは笑い声をもらし、


「俺がここまで来れたのは、おまえがいたからなんだからな」


 すこし声を震わせながら、ぐっとレイを抱き寄せる。


「…………うん」


 カイルの肩にもたれたレイが、まだあどけない少年の声で答える。

 たった独りで突き進んできた彼が、たよれるものを見つけた瞬間だった。

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