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第129話 ごちゃごちゃやかましい

「思い出すのが、ずいぶんと遅くなってしまった。すまなかった」


 レイはセフィリアへ向き直ると、落ち着いた口調で語りかける。


「本当に……全部思い出したのですか?」

「もちろんだ。俺の命は、きみを守るためにあるのだから。愛花アイファ花梨かりん──セフィリア」

「あぁっ……!」


 こわごわと問うセフィリアへ返すレイのまなざしに、迷いはなかった。

 自信と希望に満ちあふれた、鮮やかな紅蓮の瞳だ。


星藍シンラン星夜せいやさん……レイっ!」

「おっと!」


 感極まって抱きつくセフィリアを、レイはとっさに抱きとめる。


「まったくあなたは、マイペースなんですから……!」

「それは本当に申し訳なく思って……というか、ぐぇ」


 相変わらず、レイはやさしい。セフィリアが照れ隠しに憎まれ口を叩いても怒らないほどに。

 それどころかふり払うこともしないので、感極まったセフィリアにぎゅうぎゅうと締めつけられ、窒息しそうになっている。


「ごめんなさいっ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ。たくましくなったな……きみも」


 あわててセフィリアがからだを離したところで、「ふぅ……」とひと呼吸ついたレイが笑ってみせる。

 ほっと胸をなで下ろしたセフィリアは、新たに気づくことがあり、エメラルドの瞳を丸くした。


「あの、レイ……胸の傷はなんともないのですか?」


 先ほどレイの胸に浮かび上がった邪龍の呪い。

 尋常ではなかった苦しみ具合を思い返せば、レイが記憶を完全に取り戻したことで呪いも復活するのではないかと思われた。

 しかしレイの様子を見ても、先ほどのように苦しげな表情はしていない。

「これか?」と首をかしげたレイが、右手の指先で自身の胸に刻まれた爪痕にふれる。


「違和感はあるが、不快感はやわらいだ気がする」

「こんなにくっきり傷が残ってるのに……?」

「それなんだがな、この黒くて硬い邪龍の鱗みたいなやつ、前世の記憶では5つあったはずなんだ。でも、いまは4つだ」


 たしかに、鱗状に黒く硬化した箇所は、傷を囲むように4箇所しか確認できない。


「鱗がひとつ消えた……邪龍の呪いが、弱まったということですか?」

「かもしれない。俺たちは『前』の世界で『五悩ごのう』のひとつ、『嫉妬』の試練を乗り越えた」

「つまり『五悩』をすべて克服すれば、邪龍の呪いは解けるということですね!」

「あぁ」


『五悩』は邪龍が好んで喰らう負の感情。それに打ち勝つのだから、邪龍の力を弱めることにつながるのも道理であった。

 そうとなれば、セフィリアとレイ、ふたりが取る行動はひとつだ。


「試練でもなんでもぶち破って、邪龍なんかこてんぱんにしてやりましょう!」

「そうだな。俺たちならきっとできるだろう」


 視線を交わし、手と手を取り合う。

 そうして、セフィリアとレイが力強くうなずき合ったときのことだ。


「これは喜ばしいことだ。うれしさのあまり、ムズムズが止まらないぞ……」

「わたあめちゃん?」


 わたあめがうろうろと、セフィリアたちの足もとを動き回っていた。

 レイが記憶を取り戻したことで歓喜している様子だったが、セフィリアはこれまでの経験を思い出す。

 わたあめが『ムズムズ』しているときは、なにかしらが起こる前ぶれなのだと。


「──うっ!」


 突如苦しげなうめき声が聞こえ、セフィリアは反射的にふり返る。

 そしてリュカオンがひざから崩れ落ちるさまを、目撃した。


「どうしたんですか、リュカ!」


 とっさに駆け寄って背を支えると、ひたいに冷や汗を浮かべたリュカオンがセフィリアを見上げる。


「すみません……力が、底を尽きたようで」


 リュカオンは魔力に対抗する神聖力でセフィリアの部屋を満たし、邪悪なる力の干渉を阻んでいた。

 だが慣れない神聖力を使い、その反動を受けるのは当然のこと。

 その結果手足が脱力し、思うように動けなくなっているようだった。


「あなたのおかげで、活路が見いだせました。ありがとうございます」

「リア……わたし、うまくできましたか?」

「もちろんです」


 即座にセフィリアが肯定して見せれば、リュカオンも安心したように笑みを浮かべる。


「よかった……すこし、休みますね……」

「リュカ!」


 セフィリアの肩にもたれかかったリュカオンは、まぶたを閉じ、そのまま意識を飛ばした。


「リュカ……本当に、ありがとう」


 セフィリアの浄化能力だけでは、邪龍の力に対抗できなかったはずだ。


(みんながいたから、私はここまでこれた)


 そしてこれから先も、きっとつないでゆける。

 希望を胸に、セフィリアは前を向く。

 そして未来を信じているのは、彼女だけではない。


「お嬢さまには、指一本ふれさせない」


 右手に短剣をかかげたカイルが、リュカオンを抱くセフィリアを背にかばう。


「いくらきみといえど、分が悪いだろう」


 カイルと肩を並べたレイが、紅蓮のまなざしを向けた先──


「……記憶を取り戻したか。あぁ、そのまなざし……なんて忌々しい」


 ……シュウウ。


 クラヴィスが漆黒の瘴気を身にまとわせ、不愉快そうに顔を歪めていた。


(『前』のような悲劇は、くり返さない)


 いまはリュカオンの神聖力による牽制がなくなった状態だ。

 憎しみに突き動かされたクラヴィスが暴走し、罪のないひとびとが巻き込まれてしまうことだけは、なんとしても避けなければならない。


「セフィリア……僕の阿妹アーメイ。どうしてわかってくれないの? 僕はこんなにもきみを愛しているのに……」

「真実の愛とは、ひとを思いやり、慈しむ心なのよ。だからたいせつなひとのために強くなれるの。あなたはただ、嫉妬や欲望に『愛』というかりそめの名をつけただけにすぎない」

「僕の存在を、否定するのか……母上のように」

「そうじゃないわ! 師匠はあなたを心から愛していた! あなたは愛を知らないだけ。真実の愛を知れば、きっと……!」

「真実の愛? はっ……そうか、僕は偽者か。心を知らぬ、ひとのかたちをした人形だと」

リン師兄にいさま! 話を聞いて!」

「もういい」


 セフィリアの呼びかけも、クラヴィス自身が一切遮断してしまう。


「きみがいない世界など、なんの価値もない。もう、疲れた……終わりにしてしまおう」


 抑揚のない声でつぶやいたクラヴィスが、ゆっくりと右手をかかげる。


「っ、だめ! 燐師兄さま!」


 クラヴィスの周囲で、禍々しい瘴気が渦巻く。

 彼を呑み込んだ邪龍の呪い。あれが暴発してしまう前に、食い止めなければ。


「きみは下がっているんだ。俺たちに任せろ。──カイル兄さん!」

「わかってる、行くぞ!」

「ふたりとも、待って!」


 果敢にも、レイとカイルがいっせいに駆け出す。


(だめ……いまはリュカの神聖力もない。邪龍の呪いに真っ向から突っ込むなんて危険すぎる!)


 そうとわかっていても、ふたりはその足を止めないだろう。

 セフィリアを、守るために。


(ふたりに頼るだけじゃだめ。私もなにができるか考えなくちゃ。私ができることは……!)


 もはや一刻の猶予もない。

 怖気づきそうな気持ちをふり払い、セフィリアは必死に考えをめぐらせる。


「……え……? これは……」


 みずからのからだが淡く発光していることに気づいたのは、そんなときだ。


「愚かなものだね──すべて、消えてしまえ」


 感情を消し去ったクラヴィスが、力を解き放とうとした刹那。


「おぬしはごちゃごちゃとやかましいのだ。──ムズムズするのだと、言っておろうがーっ!」


 どこからともなく、クラヴィスに飛びかかるわたあめのすがたがあった。


「わたあめちゃん!?」


 まさかの展開に驚いたのもつかの間。

 カッ! とまばゆい光が、セフィリアの視界を埋め尽くす。

 次にセフィリアがまぶたをひらいたとき、目の前にいたのは、愛くるしい使い魔ではなかった。


「ふむ……力がみなぎって、たまらんな!」


 まっさらな純白の毛並みに、勇健な一対の翼。そして虎ほどの体格を持った獣が、セフィリアの目前に。

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