目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第130話 できるものなら

 騶虞すうぐは翼をもつ白い虎のすがたをした瑞獣だった。

 一方で現在のわたあめは翼をもち虎ほどの体長があるものの、その毛並みは新雪のごとくまっさらな純白だ。


「力を取り戻したのか、わたあめ!」

「『前』のワタシとは少々すがたが異なるであろう。取り戻したというよりは、解き放たれたというほうが正しいか」

「解き放たれた……?」

「たがいに想い合う心。けがれなき愛。そちらの気高き魂にワタシの魂も共鳴したのだよ、愛花アイファ星藍シンラン


 その言葉を受け、レイは手もとへ視線を落とす。セフィリア同様、淡い光が自身のからだをつつみ込んでいることに気づいたのだ。

 セフィリアとレイ、ふたりをつつむ光を、わたあめのひたいに埋め込まれたルビーのような宝石がまばゆく反射する。


「こうして本来のすがたを得たからには、心配は無用。仮に悪意ある者がそちらにあだなそうとも──」


 そこで言葉を区切ったわたあめは、つと正面へ視線を戻し。


 ──ガォオウッ!


 猛り立つ咆哮を轟かせた。


「ワタシが、愛しい子らの盾となり矛となろう」


 瞬間、忍び寄る黒き力が、セフィリアたちへたどり着くまでもなく咆哮に掻き消された。


「……これは、厄介だな」


 クラヴィスがかかげた右手を引き、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。


「どうしてなんだ、阿妹アーメイ……なぜわかってくれない? きみを最初に見つけたのも、きみと一番長い時を過ごしたのも、きみをもっとも愛しているのも僕なのに……」


 独り言のようにこぼしながら、クラヴィスはうなだれる。


リン師兄にいさま……私も、あなたのことを愛しているわ」

「なら、どうして!」

師妹いもうととして、愛しているからよ。天涯孤独の身をあなたに救われたことを、私は忘れない」


 そうだ。燐が仙界へ連れて行ってくれなければ、愛花は星藍と出会うこともなかった。


 ──僕のところにおいで。きみが寂しくないように、そばにいてあげる。


 幼い愛花の手を引いてくれた燐は、澄んだ瞳をしていた。


(燐師兄さまは、邪龍に心を支配されている……助けないと)


 憎しみにとらわれているクラヴィスを──燐の魂を、悪しき呪いから解き放つ。

 それこそ、いまのセフィリアがなすべきことなのだ。

 ゆえにセフィリアは、真正面からクラヴィスを見据え、一歩をふみ出す。


「お嬢さま!」

「大丈夫ですから、私に任せてください」


 すぐさまカイルの制止を受けるが、セフィリアは落ち着いた口調で返す。

 クラヴィスの心の闇を消し去るためには、歩み寄ることが必要だから。

 ゆらり。顔を上げたクラヴィスが、うつろなまなざしでセフィリアを映し出す。


「愛花……」


 そんなクラヴィスへ、セフィリアはそっとかぶりを振ってみせた。


「いいえ。愛花はもういないの。私はセフィリア・アーレン──いまの私を見て」


 すぐそばまで歩み寄ったセフィリアは、ぐっと背伸びをし、最後の距離を埋める。

 小柄な少女が、その細腕いっぱいに、青年を抱きしめた。


「……あなたの孤独、心の叫びに気づいてあげられなくて、ごめんなさい」

「僕は……」

「これだけは伝えさせて。あなたの魂はあなたのものよ。邪龍なんかに負けないで。ひとを慈しむやさしいあなたに戻って。どうか私にとらわれず、あなた自身のしあわせを見つけて……クラヴィス」

「──っ!」


 ──ぱぁっ。


 とたん、薄桃色に淡く光る花びらが、クラヴィスをつつみ込む。


「うっ……く!」

「大丈夫。大丈夫だから……」


 顔を歪め、苦悶の表情を浮かべるクラヴィスを、セフィリアはきつく抱きしめた。

 桃花生功とうかせいこう。清廉なる力で、邪龍の呪いを退けるために。


「愛花、花梨かりん……あぁ、セフィリア。それでも僕は、何度でもきみを──」


 うわごとのようにつぶやくクラヴィス。そのアメジストの瞳から、ひとすじの涙がこぼれ落ちたとき。


「ごめん……おねがいだ。僕を…………ころ、して」

「え……?」


 最後にそうとだけつぶやいて、クラヴィスはかくりとくずれ落ちた。


「『ころして』って、どういう──」


 なぜだろうか、妙に胸がざわつく。

 セフィリアは息をのみ、意識を飛ばしたクラヴィスのほほに指先を伸ばす。


「──離れろリアッ!」


 そのとき、鋭いレイの叫びが響きわたった。

 え、と意味のない声がセフィリアの口からこぼれるころ、ものすごい力で腕を引き寄せられ。


「え……レイ? それに……カイルさんに、わたあめちゃんも!」


 気づけばセフィリアは、レイの腕の中にいた。

 そしてセフィリアをかばうように、カイルとわたあめが目前に立ちはだかる。


「親玉がおいでなすったってか……」


 短剣を構えるカイルの目と鼻の先から、黒いもやのようなものが立ちこめている。


「……ックク……ハハハハッ!」


 突如として、クラヴィスが高らかな笑いとともに起き上がった。


(いや、違う……)


 セフィリアは呼吸も忘れ、目前の出来事を凝視する。


「弱い弱い……所詮は人の子。取るに足りぬ塵のような魂だ」


 クク、と可笑しげに声を震わせているのは、クラヴィスであってクラヴィスではない。

 なぜならアメジストのごとき瞳が、深淵のような漆黒に染まっていたからだ。


「邪龍め……肉体を乗っ取りおったか!」

「乗っ取る? 馬鹿を言うな。この者と私は一心同体。私のモノを私が使ってなにが悪い」


 クラヴィスらしからぬ不遜な物言いに、セフィリアははっとした。すぐに、腹の底からふつふつと怒りがこみ上げる。


「いますぐ、そのからだから出て行きなさい」

「嫌だと言ったら?」

「ただではすまさないわ。出て行きなさい!」

「おぉ、怖い怖い……そんなことを言っても、おまえたちにできることはなにもないというのに」


 クラヴィス──いや邪龍は、セフィリアたちを見回し、鼻を鳴らして嘲笑する。


「ただ、私は慈悲深いからな。おまえたちに猶予をやろう」

「猶予、ですって?」

「そうだ。この者の愛執……これが実に心地いい。小娘、おまえをわが手中におさめたなら、より甘美な執着を味わうことができるだろう」


 セフィリアを手中におさめる。それはつまり。


「赤い月の昇る夜。小娘、おまえを私のモノにする。それまでせいぜい短き人の生を謳歌しておくことだな」

「堂々とセフィリアお嬢さまの誘拐宣言か? ふざけんな! てめぇはここでぶっ飛ばしてやる!」

「できるものなら」


 ──ビュオウッ!


 突風が吹き、短剣を手に飛びかかろうとしたカイルが体勢を崩す。


「ちっ……この野郎!」


 とっさに立て直したカイルが睨みつけるものの、邪龍は顔色ひとつ変えない。


「愚かな人間どもだ……」


 相手は神。それも破滅をもたらす邪神だ。

 けれど、脅威を目の当たりにしてなお、セフィリアの心は凪いでいた。


「邪龍よ。あなたにとって、私たちはちっぽけな存在なのでしょう。けれど見くびらないで。みんなで力を合わせて、かならずあなたを倒します」

「ほう……威勢のいい小娘だ。悪くない」


 背をしゃんと伸ばし、毅然とした態度で告げるセフィリアに、邪龍は満足げな笑みをこぼす。


 ビュオオウウッ!


 風が吹き荒れる。目も開けていられないほどの強風が。


「──覚悟しておけ。おまえのその清らかな心も、からだも、私が暴いてやろう」


 最後にそう言い残し、邪龍はすがたを消した。

 あとには、窓枠の向こうに漆黒の夜と静けさが広がるのみ。


「できるものなら。──私たちは、負けない」


 カイル、わたあめ、そしてレイ。

 セフィリアと同様に、みな前を向いていた。

 希望を捨てず、けっしてくじけることはない。


 なぜなら、どんなに長い夜にも、かならず夜明けはおとずれるのだから。



【第2章 完】

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?