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第136話 よろしくおねがいします

 空が青く澄んでいる。

 開け放った張り出し窓から風が入り込み、レースのカーテンとセフィリアのストロベリーブロンドを揺らした。


「……よし!」


 セフィリアは青空に向かって、深呼吸をひとつ。

 赤いトレンチタイプの制服に身をつつみ、準備は万端だ。


「私は、いまの私にできることをするだけよ」


 息苦しい期間が長く続いていたが、それももうおしまい。

 今日からは心機一転、自信をもって歩んでいくことを決めた。


「……あら?」


 そんなセフィリアの部屋に、ひらり、ひらりと舞い込んでくるものがあった。空のように鮮やかな、青い蝶だ。


「パピヨン・メサージュ? どなたからかしら……」


 セフィリアが手を伸ばすと、青い蝶が指先に止まる。

 やがて淡い光とともに、青い蝶は1通の手紙へとすがたを変えた。


「これは……」


 手紙に記された差出人の名を目にして、セフィリアはエメラルドの瞳を見ひらくのだった。



  *  *  *



 通常どおりアカデミーに登校したセフィリアは、真っ先に魔術科棟のはずれにある研究室の一室をたずねた。


「失礼いたします」


 ノックののちにドアを開けると、セフィリアの思い描いていたとおりの人物が出迎えた。


「いらしていたんですね、ルフ先生!」

「たいへんご無沙汰しております、セフィリアお嬢さま。あの子たちは元気にしていますでしょうか?」

「レイとカイルさんなら、相変わらずですよ」

「はは、それはよかった」


 朝陽にきらめくまばゆい金髪に、透きとおった碧眼の美青年。20代ほどに見える外見は、セフィリアとはじめて出会った9年前からまったく変わらない。

 エルフの血を引き、レイとカイルの育ての親であるルフだ。


「前にお会いしたのは、2ヶ月ほど前でしたか」

「えぇ。先日お嬢さまがリュカオン王太子殿下とご成婚なされたというのに、ごあいさつにうかがえず、申し訳ございません」

「とんでもございません。ルフ先生がご多忙でいらっしゃることは、私もリュカも存じ上げておりますわ」

「おかげさまで、こどもたちに教育の場をもうけることができました。お嬢さまをはじめとしたアーレン公爵家のみなさまに、こころからのお礼を申し上げます」


 柔和な顔立ちに笑みをほころばせたルフは、セフィリアに向かって深々と頭を垂れた。


 ルフは身寄りのないこどもたちを預かる孤児院の責任者だ。

 奴隷商ヤンスによる違法な人身売買の摘発後、セフィリアはアーレン公爵家の名のもとに貧民街への多彩な支援をおこなった。

 不衛生な環境の改善。道路や建物の整備と補修。

 そして職のない者たちへ、王都での就職斡旋もおこなった。直接アーレン公爵家に雇用した者もいる。

 そうして路頭に迷う者が大幅に減ったことで、生活苦から親に捨てられるこどもも激減した。


 現在ルフは病や不慮の事故などで親を亡くしたこどもたちを孤児院で育てるかたわら、アカデミーに出向いて魔法学の講義をおこなう臨時講師もつとめている。

 月に1、2回と不定期ではあるが、王国で屈指の魔術師でもあるルフに教わることができると、講義は魔術科の生徒たちからも大好評である。

 そんななか、2ヶ月ほどアカデミーに足を運んでいなかったルフが、セフィリアに手紙を寄こした。その理由は。


「じつはお嬢さまに、折入っておねがいがございまして」

「私でよろしければ、なんでもお力になりますわ」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えまして……こっちにおいで、ルネ」


 ルフがふり返り、だれかの名を呼ぶ。セフィリアの知らない名前だ。

 ルフの視線をたどると、研究室の隅の物陰から、セフィリアの前へゆっくりと青年が歩み出る。


 バイオレットの髪に、サファイアの瞳。

 セフィリアとおなじ年ごろだろうか。

 繊細な顔立ちをした、色白の美青年だった。


(お人形さんみたいに、きれいなひとね……あら)


 セフィリアはそこで、青年がじぶんとおなじ赤いトレンチタイプのジャケットを身につけていることに気づく。

 赤い制服は魔術科の生徒であるあかしだ。


「彼はルネといいます。わけあって家族と離ればなれになってしまったようで……2ヶ月前、貧民街に迷い込んでいたところを私が保護しました」


 なるほど。ルフがしばらくすがたを見せなかったのは、その件があったからか。

 そして詳細は不明だが、ルフの言わんとすることをセフィリアはすくなからず察する。


(見たところ、私とおなじ16歳くらい……ルミエ王国では成人の年齢ね)


 成人ともなれば、孤児院で面倒は見られない。しかしこのまま放ってもおけない。

 そこでルフは、セフィリアを頼ってきたということなのだろう。


「ルネは賢く、アカデミーの編入試験を難なく合格できるほど高い魔力も持っています。学園長先生から正式に魔術科へ編入の許可がおりましたので、お嬢さまにご協力をいただけないかと思いまして」


 つまり、魔術科で主席を維持している優秀な生徒であり、ルフとも親しい間柄であるセフィリアに、ルネを頼みたいということなのだろう。


(ぴくりとも笑わないわね)


 初対面のセフィリアを前にして、緊張しているのか。

 いや、気後れしているというよりは、ルネはサファイアの瞳で、じっとセフィリアを見つめている。セフィリアの人となりを観察するかのように。


「承知いたしました。ルネさんがのびのびとした学園生活を送れるよう、私がご案内させていただきますわ」


 ルネがどんな境遇の持ち主なのか。それを知るのはいまではない。

 セフィリアはにっこりと笑みを浮かべると、ルネに向かって一礼した。


「セフィリア・アーレンと申します。困ったこと、わからないことがあればなんでもご相談くださいませね、ルネさん」

「……よろしくおねがいします」


 たったひとことをつぶやいたきり、ルネはまた黙り込む。

 ──これがセフィリアと、謎の青年、ルネの出会いだった。

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