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第137話 おねがい

 研究室を後にしてしばらく。

 セフィリアは魔術科棟の教室へと向かう道すがら、ルネにアカデミーの案内をしていた。


「あらためまして、私はセフィリア・アーレン。魔術科4年生です」

「……」

「わがアカデミーでは魔術科のほかに剣士科があり、どちらも5年制となります。魔術科の生徒は赤い制服、剣士科の生徒は紺の制服を着ていますので、ひと目でわかりますよ」

「……」

「魔術科と剣士科は別棟となりますが、図書室や資料室など共用スペースもあります」

「……」

「アカデミー内はとても広いので、教室の場所がわからないだとか不安なことがありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」

「……」


 研究棟から庭園を通り、魔術科棟のエントランスを抜けるころには、ひととおり説明も終わっていたのだが。


(うぅ……反応が、薄い!)


 肝心のルネが、見事なまでに無言を貫いていた。


(私の言葉に、うなずいたりはするのよね。話に耳はかたむけてくれているわ。反応が薄いのは、緊張しているからとか?)


 貧民街に迷い込んでいたというくらいだから、貴族の出身ではないだろう。

 それなのに、魔力が高いという理由だけで貴族ばかりがあつまるアカデミーに編入することになったわけなのだから、ルネも身がまえているのかもしれない。

 そこでセフィリアは、ごく自然に、かつ有意義な話題をふることにした。


「そうですわ。ルネさんは魔術科の編入試験で、すばらしい成績をおさめられたのでしたね。専攻はどちらに? 私は土属性専攻で、草花の力を借りた治癒魔法について勉強しているんです」


 魔術科における専攻とは、生徒の持つ属性を問うことと同義だ。

 実際魔術科の生徒間で、あいさつ代わりに持ち出される話題のひとつである。


「……僕の専攻は」


 それまで黙りこくっていたルネが、ようやく口をひらく。そしてサファイアの瞳でセフィリアを捉え、こう告げた。


「闇魔法です」

「…………え?」


 思わず、エメラルドの瞳を見ひらくセフィリア。

 ルネのまなざしは揺るぎない。

 空耳では、なかったようだ。


「ルミエ王国は太陽の女神を信仰する国。女神があやつる光魔法とは相反するもの──それが、闇魔法」


 呆けるセフィリアをよそに、ルネは淡々と言葉をつむぐ。


「僕がなにを言っているのか、わかりますよね?」


 そう彼に問われたとき、セフィリアははっと我に返るとともに、バルーンスカートのすそをひるがえした。


「こっちへ来てください」

「セフィリア嬢──」

「早く!」


 ルネの腕をつかんでからは、もう夢中だった。

 なにかを言いたげなルネをさえぎり、レディーらしからぬ全速力で一心不乱に廊下を駆ける。

 そうしてやってきたのは、資料室。そう、セフィリアがよく『避難』に使っている場所だ。


「はぁ、はぁ……だれにも会いませんでしたね、よかった……」


 ほっとひと安心したセフィリアは、乱れたストロベリーブロンドと制服をととのえる。

 対してルネは、呼吸を乱れさせていない。


「……どういうつもりですか? あなたはもう気づいているはずですよね。僕が人間ではないと」

「ルネさん……」


 怪訝そうに眉をひそめたルネが、詰め寄る。セフィリアの考えが理解できないとでも言いたげだ。

 彼の言い分はわかる。ゆえにセフィリアは深呼吸ののち、静かに口をひらいた。


「もちろんです。闇魔法は古代から複雑な術式に使用され、黒魔法とも呼ばれています。黒魔法の使い手ということは──あなたは、魔族ですね」


 ルミエ王国の民は、魔族を嫌悪している。

 ルネはうまく人間に擬態しているようだが、本来なら魔族だと判明した瞬間にさわぎとなり、王国軍に捕らえられてしまうだろう。


「それがわかっているなら、どうしてこんな真似を?」


 しかしセフィリアがひとけのない場所に移動した理由──魔族だと知った上でかばうような言動の意味を、ルネは追及する。


「理由は単純です。私のかわいい使い魔さんが、嫌がらなかったから、ですわ」

「──そのとおり!」


 セフィリアがくすりと笑みをもらした直後、ぽふんと気の抜けるような音がして、真っ白な毛玉がルネの前に現れた。

 よくよく見ればそれはリスほどの大きさで、瞳とおなじルビーの魔石がひたいに埋め込まれている。一般的にカーバンクルと呼ばれるモンスターに似ていた。


「わが名はわたあめ! 愛くるしくて頼れるあるじの使い魔である! そちから悪意は感じられなかったでな、あえてワタシからあるじに注意喚起はしなかった!」

「わたあめちゃんは、ひとの感情に敏感です。悪意を持つ者が近づけば、すぐにわかります。つまりわたあめちゃんがルネさんを『悪いひとではない』と判断したので、私はそれを信じただけですわ」


 セフィリアの肩に飛び乗り、すり寄るわたあめ。

 わたあめの白い毛並みを、やさしくなでるセフィリア。

 その光景を、ルネは息をのんで見つめていた。


「ルネさん。魔族であるあなたが危険なリスクをおかしてまでアカデミーにやってきたこと、そのなかで正体を明かされたことには、大きな意味があると考えます。私でよろしければ、お話をきかせていただけませんか?」


 ルネへ向き直ったセフィリアは、真摯な面持ちで呼びかける。

 しばし沈黙が流れたのち。


「……っふふ、はは、あはははっ!」


 なんとそれまで無表情で淡々と受け答えをしていたルネが、高らかな笑い声をひびかせるではないか。


「やっぱり、思ったとおりだ。ふふっ、お嬢さまは変わらないね。ここに来てよかった」


 にこにこと、ルネが笑みを浮かべている。屈託のない笑みはまだ垢抜けないこどものようで、先ほどとはまるで別人。


「『私でよければ』じゃなくて、あなたじゃないとだめなんだ。僕はあなたに会いたくてここまで来たんだよ、セフィリアお嬢さま」


 そしてなにより、以前からセフィリアを知っていたかのような、好意的な言動──


「ルネさん、あなたは……」


 ルネが一歩歩み寄り、セフィリアの両手をとる。


「あなたはおぼえていないかもしれないけど、僕はあなたのことをおぼえてるよ。奴隷商ヤンス──あいつから、僕を助けてくれた」


 すぅ……

 ルネのバイオレットの髪のすきまから、羊のような巻角が現れる。サファイアのような瞳も色を変え、アメジストのごとき深い紫に。紫色の瞳は、魔族のあかしだ。


「あのときの男の子……!」


 違法闘技場で、猛毒を持つバジリスクの餌にされそうになっていた幼い魔族の少年。

 ルネは、あのときの少年だったのだ。


「思い出してくれてよかった。これは再会を喜ぶあいさつね」


 ルネははにかむと、ぎゅっとセフィリアにハグをした。


「あなたは僕たち魔族のことを虐げたりしない。セフィリアお嬢さまに頼みたいことがあるんだ」

「私に、頼みたいこと……ですか」

「そう、お嬢さまにしか頼めないこと」


 すこしだけからだを離したルネは、真摯なまなざしでセフィリアの目線までかがむ。


「あなたの言うことには、なんでも従う。なんでも望みを叶えるから……」


 そしてすがるように、決定的なひと言を放つのだ。


「おねがい、魔王さまを助けて」


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