「覚えていてくれるって……俺自身がお前を求めたのに、忘れる筈がなかろう」
「ううん、違うの。アインはその身に絶えない激情と強大な力を宿す人……その意思が、力が、何時か自分自身を飲み込み、耐えられなくなる時がくる。アインという人を形作る殺意が貴方を塗り潰した時、アインは私を本当に覚えていてくれる?」
サレンは白銀の瞳にアインを映し、無垢な幼子を思わせるような口調で問いかける。
「アインは戦場で剣を振るう戦士で、私は私の知る世界しか知らないただの女。二人とも生きている世界は違うし、歩んできた生と持っている価値観も違う。貴男は私に忘れないでいて欲しいと願い、私もその願いを叶えたいと努力する。
けど、アインは自分自身の渇望と欲望を十分に理解しているのに対して、私は自分が何をしたいのか分からない。私は私の価値が分からない。何故貴男が私を求めたのかも分からない。全部……分からない」
暖炉の炎が燃え盛る音と、風が窓ガラスを揺らす音。アインという男が住む家の一室は生活感の一欠けらも無く、本当に人が住んでいるのかも疑わしい程に整然とした様相だった。テーブルの上に乗る出来の悪いスープと焦げ跡が目立つパンを見つめ、自分自身の評価と思いを吐露したサレンは食器を手に取る。
「……サレン」
「なに? アイン」
「俺は、何時か本当にお前を忘却してしまうだろう」
「しょうがないよ、人だもん」
「だが」
俺は死ぬまでお前を覚え続けていたい。アインの真紅の瞳に、小首を傾げたサレンが映った。
「俺は戦場で人を殺し、戦い続ける宿命を背負った人間だ。戦って、殺して、敵軍を粉砕して……。英雄と呼ばれ、最強の部隊を率いる戦士であろうとも結局は人殺し。何時かは俺自身の殺意と力が俺を飲み込み、贖え切れない罪を生み出すだろう」
そうだ、人を殺すだけ殺して何の罪にも囚われない者など居る筈が無い。誰かに罰する事が出来ぬなら、罰を与える者は己自身の制御出来なくなった激情と力。その時が、己の最期であると自覚する。
「無自覚な罪を背負い、絶望を与える悪を成す己は本質的には人と相容れぬ存在なのだろう。人は常に生きたいと願い、希望と未来を求める存在だが俺は生きたいとも思わないし、死にたいとも願わない。ただ戦い、剣を握り、死に濡れる存在。
俺の中で暴れる殺意と激情が人へ牙を剥き、人を肉塊として見る眼は悪鬼の瞳。だが、殺意と激情を燃やし続け、力を振るうにも他人という存在が必要なんだ。他者が、俺という存在を磨き上げる」
強大な力と殺意を抱き続けようと、孤独の中ではそれは錆びた刃にしか過ぎない。
力を持ち、永久不変の意思と誓いを持つ者は真っ当な人として生きられない咎を持つ。殺意の対象は敵であり、力を振るう先もまた敵。敵という他者がアインを戦士として磨き上げ、見事な剣として昇華させたのだ。
剣のように鋭利な殺意を持ち、鋼のような意思と誓いを持つ男は傷だらけの手を見つめ力強く握り直す。
「剣として生きていても何も生み出さない。戦士として在ろうとも後世に続く価値は残せない。遠い未来、俺という存在を知る者は誰も居なくなる。死を刻み、屍を積み重ねた者は剣としても、人としても忘れ去られる。他者を求めなければ、他者を認めなければ、人として存在することは許されない」
「アインは人として生きたいの?」
「俺は……他者がどんな風に俺を見ようと、ひとりのアインとして生きたい。アインとして他者を容認し、認識し、生き続けたい。サレンを見るときに疼く、感情の意味を知りたいんだ」
「私を見るときに疼く感情?」
「ああ、何故かお前を見ていると胸の奥が温かくなる感覚を覚える。温かくなると同時に、決して話したくないという渇望も生まれる。離れたく無いし、お前を此処に置いて戦場に向かうならば、どうしようもなく不安になってくる。何故だろうな……こんな感情と思いは一度も感じた事が無いのに」
アインはサレンの瞳を見つめ、クツクツと笑う。
「お前を忘れない。サレンという娘を俺は忘れない。戦場に居ようと、どれだけ離れていようと、この命の炎が燃え尽きる瞬間まで忘れない。誓おう、サレン。俺という人間が存在し続ける限り、サレンを記憶し続けよう。誰もが忘れても、この世界の生命が燃え尽きようと、俺だけは忘れないと誓う」
忘れない、その言葉は真心からの言葉であり、嘘偽りの無い真実そのもの。
アインの瞳を見つめ、スープを一口飲み下したサレンは沈黙する。
「……アイン」
「何だ?」
「今度から、私が料理を作るね」
「何故だ」
「スープ、飲んでみて」
一口スープを口に含み、飲み込んだアインは顔を顰め申し訳なさそうに「すまん」と呟いた。
「アイン、嬉しかったよ」
「……何がだ?」
「私を忘れないって言ってくれたこと。その言葉と想いは本物だったし、火の粉から私を守ってくれたことも嬉しかった。だから、私も誓うね」
アインを絶対に忘れない。私を覚えていてくれる貴男を、私も忘れない。
初めて笑顔を見せた少女は剣士に近づくと手を握る。孤独で、気難しく、武骨な優しさを見せるアインの顔をジッと見つめたサレンは、彼の小さな火傷に術を唱える。
「……治癒魔法が使えるのか?」
「ううん、多分全部の魔法が使えるよ」
「……それは、すごいな」
「私……頑張るね」
アインの火傷を治療したサレンは言葉を紡ぐ。
「アインが求めた私以上の自分に成れるように、頑張る。アインが傷を負って帰って来ても治してあげて、温かい居場所に成れるように頑張るね。だから、見ててアイン。これからの私を、ね?」
そう言ったサレンは、とびきりの笑顔を剣士へ向け、自らの欲望と渇望を模索する。アインというフィルターを通し、自分の世界を求めて束ねる意思を抱く。
そう、それが