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聖女 ①

 親の罪は、子に咎を背負わせるのだろうか。


 親の罪を赦さぬ者の石は、子に投げつけられるものなのだろうか。


 罪人の子は産まれし瞬間から咎を背負い、その咎の重さに圧し潰されるのか。


 罪には罰を、咎には救いを。そんな言葉は罪人が犯した罪を清算する言い訳に過ぎない。罪や悪が犯した無辜なる者に、救いや赦しは存在しない。人が犯した罪悪は深い傷跡を後世に残し、永遠の苦しみを与えるのだろう。


 謂れの無い罪と咎は子を苦しめ、偏見に満ちた目は新たな悪意を芽生えさせる。罪に関しては、善悪の論は通じない。其処に存在するのは、理性と本能、感情と苦悩だけがある。


 明くる朝、アインの家を訪れたのは彼の部隊に所属する戦士の男だった。


 男の目は殺意と憤怒、憎悪に満ちており、既に黒甲冑を身に着けていたアインは言葉を通さずとも彼が何を言いたいのか理解したと同時に、剣士自身も強烈な殺意を発する。


 「我が英雄。帝国王の娘を皆の前に出して頂きたい」


 「理由を言え」


 「我が怨敵にして、故郷と家族を焼いた者の娘を殺さねばなりません。何故我が妻と娘が恥辱と凌辱の果てに処されたのに、帝国王の娘が生きているのか理解出来ません。本来であれば問答無用で家に押し入り、娘を連れ出したいのですが我が英雄の前故に、許可を貰いたい。英雄よ……帝国王の娘を出して頂きたい」


 言葉が途切れると同時に、魔剣の剣先が戦士の喉元に突き付けられる。剣の刃に滾るは永劫たる殺意と燃え滾る憤怒。真紅の瞳を輝かせたアインは小さく「選択を下すのは俺ではない、サレンだ」と冷たく言い放つ。


 「……我が英雄、私は貴男を疑ったことも、貴男の選択が間違っていると思ったこともありません。ですが、疑わしいのです。女の色香に欺かれ、女の言に感化されているのではないのかと、疑わずにはいられません。英雄よ、サレンという娘は貴男の急所となり、毒となる存在です」


 「……それ以上話すな、俺は部隊の戦士を殺したくはない」


 「ですが、我が英雄よ!」


 「黙れと言っている」


 言葉の剣で喉を突き刺された戦士は、呻くような息を漏らすと沈黙する。


 近隣の国を蹂躙し、その国の民を蹂躙している帝国に正義は無い。其処に存在するのは灰となっても燃え続ける欲望と、大地全てを我が物としたいという渇望。果て無き欲は、帝国の王への反逆心と憎悪を膨らませ、償え切れぬ罪を膨張させる。


 「俺達にも帝国の罪科は圧し掛かっている。戦場で殺す敵兵も、粉砕する部隊も、元々は他国の民だ。全て帝国王の罪悪として見るのか? 貴様は」


 「確かに我々は他国の兵を殺しています。ですが、元々は帝国が始めた戦争が原因で戦火は広がり続けている。帝国王の選択により、民は戦火と犠牲に嘆き、罪を憎むようになった。故に、帝国王の娘を」


 「殺すというのか?」


 「……はい」


 短い返答の後、沈黙が場を支配する。


 沈黙の中に混ざり合う感情は、殺意と憎悪、憤怒、悲哀、悲嘆等々……。様々な感情が混沌とした無言の刃を煌めかせる最中、アインの背後から「おはよう、アイン」眠た眼のサレンが現れた。


 「どうしたの? そんな怖い顔をして……それに、その男の人は」


 「帝国王の、娘!!」


 不意に抜かれた凶刃が戦士の手に握られた瞬間、アインの手刀が男の手に握られた柄を弾く。男は痛みをものともせずに、懐へ空いた手を突っ込むと忍ばせていた短剣を取り出した。


 「サレン」


 「なに?」


 「もう少し時間を与えたかったのだが、お前に選択の時が来た」


 短剣の刃を握り、砕いたアインはサレンへ視線を向け。


 「お前はこれから向き合わねばならん。帝国の王が犯した罪に曝された者達と、謂れの無い罪と咎に。俺以外の部隊の者がお前の敵と認識するか、どう認識するかはサレン次第。だが、安心しろ」


 戦士の腹を蹴り、顎を打ち据え意識を奪ったアインは静かに背後を振り向き。


 「俺は永遠にお前の味方だ。部隊の者全員が敵となろうと、お前の選択と意思を尊重しよう。だから、恐れるな、怯えるな、俯くな。前だけを見ろ。後ろを振り向くのは、後からでも十分だ」


 サレンの顔に恐怖や怯えといった感情は見受けられない。彼女の瞳にはアインという剣士だけが映り、地面に倒れているのはナイフを持った人形が倒れていると思った為だ。


 「アインは、私にどうしてほしい?」


 「出来るならお前自身の考えを持って行動して欲しいが、俺が求める事はただ一つ。自分自身の求める欲望と渇望、希望を信じろ。それだけしか今は言えん」


 「私の求める欲望と渇望……希望」


 剣士の瞳を見つめ、己の在り方に思いを馳せた少女は決める。


 そう、己はアインが求める者となることを、決めたのだ。





 …… 

 ………

 …………

 ……………

 ……………

 …………

 ………

 ……






 駐屯地……否、村の広場に列を作って並んだ部隊の戦士を眺めたアインは深い溜息を吐き、腕を組む。


 帝国正規部隊より部隊移動してきた者以外、元は戦奴や奴隷であった戦士達の瞳には憤怒と憎悪が渦巻いていた。ある者は腰に吊っていた剣に手を掛け、またある者は今にもアインの隣に立つサレンへ斬り掛かるタイミングを見計らう。


 群体が発する殺意は濃厚な死へと変貌し、サレンという少女へ牙を剥く。肉体的にではなく、精神的に殺し尽くさんとする。己の身に降り掛かった屈辱と恥辱、恨みつらみを晴らそうと沈黙を以て意思を示すのだ。殺し、嬲り、首を落とさんと、言葉無く。


 「アイン殿」


 「何だ、ラグリゥス」


 「貴男の選択は、いえ、白の君の選択は最良とは言えません。彼女の立場は彼等を戦奴や奴隷へ堕とした帝国の娘であるのです。どんな言葉も、姿勢も、何もかもが逆効果。時間を掛けてゆっくりと」


 「ラグリゥス、ゆっくりとはどれくらいの時間が必要だと思う」


 「……一年、いや、それ以上です」


 「ならば遅い。既に戦士の一人が俺の家に訪れ、サレンへ剣とナイフを向けた。時間は無いのだ、ラグリゥス。俺の居ない間、俺がサレンを守れない間、彼女は帝国王の罪と悪の残り火に焼かれ、死ぬ。そんなことは許容出来ない。だから、こうして集めて貰った。罪に曝された者達を」


 部隊の英雄であり、自分達に希望と明日を与えてくれたアインへ穢れた意思を向ける者は居ない。だが、サレンは別だ。


 怨敵の娘にして、英雄に毒牙を突き刺そうとする白銀の少女。彼等の殺意はサレンだけに向けられていたが、少女はそんな殺意を微塵も気にしないと言った様子で平然と前に歩を進める。


 何を話す気だ、何を語るつもりだ、我々は耳を傾けない。我々は帝国を許さない。全て貴様等が悪い、貴様等帝国は悪だ。口々に戦士達が口を開き、瞳に怨恨の炎を宿す。


 「……おはようございます、私の名はサレンと申します。どうぞお見知りおきを。先ず初めに申し上げます。……私は、皆さんに謝りません」



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