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26.梓涵

 時間が経つごとに机の上に用意されたお菓子は減っていった。といっても、多くは林杏リンシンの胃の中へ消えたのだが。

(今日は夕食なくてもいいかもな……)

 林杏は密かに思った。しかし焼いたキノコよりもこちらのお菓子のほうがおいしいので、ありがたいことではあるのだが。

「そういえば、あんな短時間でいろんなお菓子を用意してくださって、ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません」

「ああ、気にしないでください。この桃園では、わたくしが望んだものはすべて出てきますから。そうですね……」

 女性が静かになって一呼吸ほどの間のあと、3つの桃まんじゅうが現れた。女性から「どうぞ」と桃まんじゅうを差し出されたので、林杏は受けとる。

「仙人になる修行では見たことがありません。どんな術なんですか?」

 気になった林杏は思わず女性に尋ねた。すると女性は首を横に振った。

「これは仙人の術ではありません。しいて言えばそうですね……この桃園の管理人に与えられる力、といったところでしょうか」

「管理人に与えられる、力」

 林杏の呟きに女性が頷く。

「この桃園はこの世界が生まれたときから、ずっとありますから。管理人は時々入れ替わっていますが、花を咲かせ実が生るという巡りは変わりません。この桃園を守ることがわたくしの務め。その対価として、望むものをすべて与えられるのかもしれません。でも、わたくしはそんな対価は必要ないのです。ここでずっと桃の世話をしていられることこそが、幸せなのですから」

 女性は心の底から幸せそうに微笑んだ。女性にとって桃はそれだけ大切な存在なのだろう。そんな桃を奪ったり内緒で収穫したりしてはいけない。女性が譲ってもいい、と思ってくれるまで時間をかけたい。林杏はそんな思いを抱いた。

 晧月コウゲツが女性に尋ねた。

「あの、桃の木のところに俺たちと同じく仙人の修業をしているやつがいたんですが、石になっていて……」

「ああ、おそらく桃の木を傷つけようとしたか、わたくしに内緒で実をとろうとしたかのどちらかでしょう。たびたびあることです」

 林杏と晧月は顔を見合わせた。

(あの浩然ハオランさんが、黙って桃を? まさか)

 なにかの間違いでは。そう口を開きかけたが、晧月が小さく首を横に振った。そして女性に対して「そうですか」と言って、話題を切り替えた。

(きっとなにか偶然が重なったりとか、事故があったりしたんだ。……浩然さんも助けたいけど、女性にとったら敵みたいなもんだろうしなあ)

 ふと林杏はあることに気がついた。

「あの、あなたのことはなんとお呼びすればいいですか?」

「そういえば名乗っていなくて失礼しました。わたくしは梓涵ズハンと申します」

 梓涵は微笑んだ。

 お茶会は進み、空がゆっくりと橙色に染まっていく。

「林杏、そろそろ帰るか」

「そうですね。お暇しましょう。あの、今日はありがとうございました」

「いえ。……よければ明日も、お茶会をしませんか?」

 林杏は内心驚いていた。まさか梓涵から誘われるとは思っていなかった。

「もちろん、ぜひ」

 驚いているあいだに、晧月が返事をしてくれた。

(明日もキノコを探しに行って、お菓子買ってこよう)

 林杏は朝から動くことを決めた。


 洞くつの前に戻ってきた林杏と晧月は、火を起こしながら明日のことを話した。

「まさか誘われるとは思っていませんでした」

 林杏が素直な気持ちをこぼした。すると晧月も同じ気持ちだったようで「そうだな」と頷いた。

「……多分、なにかあるな」

「なにか、とは?」

「さあ? そこまではわかんねえけど」

 晧月は薪を火の中に放り投げながら言った。林杏は梓涵がなにを企んでいるのか、想像がつかない。しかしお茶会が楽しかったから明日も行なう、とも考えられなかった。

(どっちにしろ、私たちにできるのはあの人と交流して、心を開いてもらうことだけ。……でも、子どものように大事に育てている桃をもらってもいいんだろうか?)

 これは修行だ。桃を持って帰らなくてはいけない。頭ではわかっているが、あまりいい気分ではなかった。

(私たちは桃をもらいたいから、仲よくしようとしている。あそこに1人でずっと桃園の管理をしているあの人を利用して、本当にいいんだろうか? ……利用されていたと知ったとき、あの人はとても悲しむんじゃないだろうか)

 林杏の心がちくりと痛む。しかしどうすればいいのかわからず、ぼうっと火を見続ける。

「晧月さん、私、心が苦しいです」

「……そうだな」

「あと、浩然さんが黙って桃をとろうとするなんて考えられません。きっとなにかあったんですよ」

「まあなあ。普通ならあり得ねえよな。あの生真面目な犬野郎に限って」

 元に戻す方法があればいいのだが、梓涵から聞き出すのはまだ難しそうだ。頭の中がしなければいけないことやしたいことで、すき間なく埋まっていく。

 しかしどうすればいいのかいい案が浮かばず、林杏はただただ火を見つめるしかできなかった。


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