お菓子を持って帰ってきた
「こんにちは」
晧月が
「よくいらっしゃいました。どうぞ、お座りください」
「あの、今日もお菓子を持ってきました。月餅とサンザシのお菓子です」
「まあ、ありがとうございます。一緒に食べましょう」
林杏も晧月の隣に座った。机は丸く、皿のほかに、湯呑みと急須が置かれている。
「今日は桃の花のお茶にしましょう。たくさん作ってあるんです」
「え、桃の花ってお茶になるんですか? 私、初めて聞きました」
林杏は思わず本音を口にする。すると梓涵は簡単に説明してくれた。
「間引いた花を乾燥させると、お茶になります。少し苦みはありますが、香りがいいんですよ」
そう言って梓涵は急須から桃の花のお茶を注いだ。ふわりと花の香りがして、自然と肩の力が抜ける。
「お好みでこちらのはちみつを使ってください」
そう言って梓涵は小さな壺を机の中央に置いた。
林杏の前にも桃の花のお茶が置かれる。そっと飲むと、確かに苦みはあるが山菜と同じくらいだったので、そのまま飲むことにする。晧月は壺の中のはちみつをお茶に落としていた。
「このお茶を作るのも仕事の一環で?」
晧月の問いに梓涵は答えた。
「もともとは趣味で行なっていました。しかしどうやら神々に気に入られたようで、今では仕事となっています」
神。この世界を作り、さまざまな生命を見守っているという存在。
「梓涵さんは神に会ったことがあるんですか?」
林杏は思わず尋ねた。すると梓涵は首を横に振った。
「いつも指定されている場所に前もって桃やお茶を置いていると、知らないあいだになくなっているんです。時間もバラバラで。けれどわたくしの前の管理人時代からそうだったようなので、あまり深く考えないようにしています」
「神のこと、気にならないんですか?」
自分ならきっと気になってしまう、と林杏は心の中で思った。もしも本当に神という存在がいるのならば、聞いてみたいことも考えるのに。
「ええ、それほどは。たしかに会えたら面白いかも、とは思いましたが。まあ、縁があればお会いできるでしょう」
林杏は思わず感心した。梓涵の落ち着いた考え方は、林杏にはまだないものだ。ふと、梓涵と目が合う。その目はまるで我が子を見る母親に似ていた。
「あの、私の顔になにかついてますか?」
林杏は不安になり、梓涵に尋ねた。お菓子のかけらでもついていたとしたら、大変恥ずかしい。
「ああ、ごめんなさい。あの子も生きていれば、あなたのようにお菓子を頬張ったのかもしれない、と思ってしまって」
「お子さん、ですか?」
林杏の質問に梓涵は微笑んだ。
「生まれてくることはありませんでしたが」
「すみません、悲しいことを思い出させてしまって……」
林杏が謝ると、梓涵はゆったりと首を横に振った。
「大丈夫ですよ。……女の子だったのです。その後すぐに夫も兵役で亡くなったので、新たな子どもをこの手で抱くことはありませんでしたが……わたくしにはこの桃園があります。それで、十分です」
「梓涵さん……」
林杏はどのような言葉をかければいいのか、わからなかった。すると、梓涵が話題を変えてくれた。
「ところでお二人の故郷は、どのようなところなのですか? ぜひ聴かせてくださいな」
「俺は
「晧月さんは顔が広いみたいで、おもしろい方々と知り合いのようなんです」
林杏は以前聞いた、絵描きの女性と飴屋の店主のことを思い出した。
「まあ、そうなのですね。林杏、あなたも輝州が故郷ですか?」
「いえ、私は
すると梓涵は少し驚いたようだった。
「仲がいいから、てっきり同郷かと」
そういえば以前にも言われたことがあった。晧月は人懐っこいので、話しているだけでとても仲がいいように見えるのかもしれない。しかし林杏も晧月と話しているのは楽しいので、仲がいいと言われて悪い気はしない。
「林杏は、故郷でずっと蛇に求愛されていたそうですよ」
晧月が付け足した言葉に、梓涵は首を傾げた。林杏は自身に平伏の力があったこと、そして1匹の蛇になぜか求愛行動をとられていたことを話した。
「まあ、その蛇にとって、林杏はとても大切な人だったのですね。……きっと、わたくしにもいたんでしょう。……もうずいぶんとこの桃園にいるせいか、記憶がおぼろげになっていて。夫の顔も思い出せませんが」
「梓涵さん」
もしも自分が両親たちの顔を思い出せなくなったら。晧月の存在を忘れてしまったら。想像して林杏は心が締めつけられた。
「この桃園には優しい人も、清くない心の持ち主もきます。桃を手に入れるために。……心ない人に渡した結果、桃を不幸な目に遭わせたくありません。わたくしは、この桃園の、桃たちの母なのですがら」
梓涵は桃の木を見た。その眼差しは林杏に向けたものと同じだった。