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29.桃

 それから何度もお茶会が開かれた。連日行われることもあれば、1日や2日空くこともあったが、お茶会は頻繁に開かれた。

 梓涵ズハンが用意してくれるお菓子はどれもおいしく、林杏リンシンが買ってきたお菓子を梓涵も喜んでくれた。

 お茶会が初めて行われてから、半月が経とうとしていたその日も、林杏と晧月コウゲツはお菓子を持って梓涵のもとを訪れた。梓涵は机の上にお菓子を並べていた。

「梓涵さーん」

 林杏が近づきながら手を振ると、梓涵も笑顔で手を振り返してくれた。林杏は持ってきたお菓子の説明をしながら梓涵に見せる。3人はそれぞれ席につき、お茶を飲んだ。

「林杏はキノコの見分けができて、しかも早いんですよ。俺はもうさっぱりで」

 話題の切れ目に晧月が言った。

「まあ、それはすごい」

「父にみっちり仕込まれました」

 林杏は照れくささを感じながら、そう答えた。村では当然だったことも、異なる場所に行くと違った反応をされる。

 ふと梓涵の表情が暗くなる。近頃見ることが増えたような気がする。まるで悲しみと向き合っているようにも、迷っているようにも見える。

(梓涵さん、どうしたんだろう? なにか困ってることでもあるのかな?)

 林杏は迷ったが、声をかけた。やはり仲よくなった相手が悩んでいるのは、悲しいものだ。

「あの、梓涵さん。なにかお悩みでも? 最近元気がないときがあるから、心配で」

「え……。ああ、大丈夫です、ありがとう。そうだわ、今日はあなたのご両親のことを聞かせてくださいな」

「え、ええ。私の母は料理が上手で、採ってきたキノコを手早く洗ったり、料理してくれたりしたんです」

 林杏は両親のことを話し始めた。林杏は梓涵の態度に心のどこかでひっかかりを覚えたが、梓涵本人が大丈夫だと言ったので気にしないことにした。

 そしてどれだけ楽しくても時間は過ぎていく。空は茜色になって、夜の空気をまとい始めた。

「じゃあ、私たちはそろそろお暇します」

 林杏と晧月は腰を浮かせる。

「お待ちくださいな」

 そう言うと梓涵は立ち上がり、そばにある桃の木から実を2つもぎとった。

「どうぞ、こちらを」

「え」

 林杏は桃をすぐに受け取ることができなかった。頭の中にさまざまな思いが浮かんでは消える。

(もうお茶会ができないのか。もう梓涵さんと笑い合えないのか。桃をもらえる。修行の終わりに一歩近づく。でも梓涵さんはまた1人に戻る)

 いつまでも受けとらずにいると、梓涵はそっと林杏の手をとり、桃を持たせた。

「あなたたちの目的はこの桃でしょう。それはわかっていました。でも、わたくしの用意したお菓子の毒に当たらなかった。……あなたたちが初日に食べたお菓子には、毒が入っていたんです。よこしまな気持ちが強ければ、翌日には動けなくなる毒が。もしも桃を得ることしか考えていなければ、毒は効いていたでしょう。しかし、あなたたちは翌日も来てくれた。毒が効かなかった。それがとても嬉しくて。お茶会が楽しくて、わたくしは……」

 2回目のお茶会のときの違和感は気のせいではなかったのだ。そして近頃悩むような顔をしていたのは、桃を渡すかどうか考えていたのだ。

毒を仕込まれていたことに怒るより、林杏は伝えたいことがあった。

「たしかに私達は桃がほしくて、梓涵さんと仲よくなろうとしました。でもお茶会をするのが、梓涵さんと笑える日が、とても、とても楽しかったんです。だから、私、今……」

 視界がにじむ。すると梓涵が林杏の手をそっと握った。

「いいんですよ、ありがとうございます。さあ、桃を持ってお戻りなさい」

「でも、梓涵さんは?」

「大丈夫です。こんなにも楽しかった日々があれば、まだまだ1人で桃の世話ができます」

 林杏は下唇を噛むと、少し俯いてから梓涵をまっすぐ見つめた。

「私、絶対仙人になります。そして霊峰に住んで、この桃園に遊びにきます。そのときに、またお茶会をしましょう」

 梓涵は一瞬目を見開くと、すぐに笑顔になった。

「ええ、待っているわ」

 林杏はあることを思い出した。

「あの、お待たせしてしまうのにも関わらず、お願いしたいことがあるんですが」

「なにかしら?」

「あの石になっている犬の獣人……浩然ハオランさんを戻してはもらえませんか? どんな状況で桃に触れたかわからないけれど、いい人なんです」

「……わかったわ、特別よ? ほかの人たちには内緒にしておいてね」

 梓涵の言葉に林杏は頷いた。

「さあ、お行きなさい。待っているわ、またお茶会ができる日を」

「はい。……いってきますっ」

 林杏は梓涵に手を振ってから、晧月と共に飛んだ。

 桃園を出て、霊峰から遠ざかるなか、晧月が話しかけてきた。

「これはごうでもう1回死ぬってわけにはいかねえな」

「はい。なにがなんでも合格してやります」

「ところで梓涵さんとのお茶会、俺も行っていいか?」

「もちろん」

「へへ。じゃあ俺も劫で死ぬわけにはいかねえな」

 林杏は晧月と顔を見合わせる。

(必ず仙人になる。自分のためにも、梓涵さんのためにも)

 林杏は飛びながら拳を作った。


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