無事必要なもののほどんとを見つけた
洞くつの中に入るとまずは食器を作りはじめる。竹に似た、中が空洞の木――初めて見る種類のものだった――で複数の食器を完成させた。筒状にした木に種をとった梅の実と砂糖の石を入れて、砂糖漬けにする。食べられるのは2週間後くらいだろう。しかし木はそれほど太くないので、筒の数は多くなりそうだ。
(あ、そうだ。1日目だっていう線をどこかにつけておかなくちゃ。それか砂糖の石を置いておくとかでもいいけど。……そっちにするか)
林杏は大きめの砂糖の石を入れるための筒を用意し、その中に砂糖の石を1つ入れた。
(これでよし。半年分ってことは……あと179個はいるのか。とりに行くの面倒だし、もう先に持ってきとくのもいいかも)
確認のために空を見ると色が薄まってきているように感じた。
火打石で火をつけ、しばらく世話をしていると火が大きくなっていく。火の大きさが安定してきたので、枝や蔦を使い木の実を乾燥できるようにくくりつけたり、突き刺したりした。
(そういえば家でもこんな風に作ったことあったなあ。……父さんと母さん、元気かな。また病気したりしてないかな。
両親や鳥好きな友人のことを思い出してしまい、なんとなく寂しくなってしまう。そしてあることに気づいた。
(そうか、普段は
(っていうか、晧月さんがまさか、帝の御子だったなんて。本来なら相応の態度で接するべきなんだろうけど、ご本人が晧月さんとして接することを望んでおられるってことは、今までの接し方にしなくちゃいけなくて、でもそれはそれで不敬で……うーん、もうわかんないっ)
思考が絡まってきた林杏は考えることをやめ、晧月への態度は今までどおりにすることに決めた。
考えながらも手を動かしていると、保存食作りが一区切りつく。まだかろうじて明るいがすぐに夜へと姿を変えるだろう。
(あ。洗いもの用の水)
林杏は筒を持って、水を汲みに行った。夜に山の中を歩くという愚かなことはしたくない。初日とはいえ、これから半年のあいだ、やることは多そうだ。
水を汲んで戻ってくると、洞くつの出入口に横向きにひっかけた枝に、保存食を吊るした。とりあえず夕食にしてから、続きを行なうことにした。
今日の夕食は甘く煮た梅の実と、見知らぬキノコだ。傘は茶色だが根本がうっすらと桃色をしている。キノコは1つだけ焼き、食べても問題がないか観察するつもりだ。
持ってきていた鍋に種をとった梅と砂糖の土を入れて煮る。キノコは梅の種をとっているあいだに焼いた。
(キノコも焼けたみたいだし……よし、食べるぞ)
林杏は勇気を出して、茶色と桃色のキノコを食べた。歯ごたえはしっかりしており、ほのかに花のように甘い香りがする。砂糖の土で育ったからだろうか。味はこれといってない。どうやら歯ごたえを楽しむキノコのようだ。
(塩っ気のある味つけに、甘い香りなのは頭がこんがらかりそう。でもこれで無毒だったら食料が増えるからありがたいんだけど)
ぐつぐつと音を立てながら梅が煮えていく。時折かき混ぜて鍋底に梅が焦げつかないようにした。
梅の実が煮えると、作った食器に盛りつけて食べる。甘みと少しの酸味が口の中にじんわりと広がった。
(これは1日のご褒美として食べていいかもしれない)
残りの梅の甘煮を使っていた食器に移し、明日の夜に食べようと思ったが、ふと地面に集まっていたアリのことを思い出す。もしも梅の甘煮にアリが集まっていたら。想像するだけでぞっとしたので、梅の甘煮はすべて食べることにした。鍋や食器も汲んできた水でしっかり洗う。
林杏は火の明かりを使いながら、保存食を作る作業を再開した。今のところ体調不良は起こっていない。翌朝までなにもなければ、茶色と桃色のキノコは食べても問題ないだろう。
林杏は砂糖の石と共に梅の実を筒に入れ、ほかの木の実が乾燥しやすいように吊るした。
(はーっ、疲れた。もう寝よう)
林杏は寝る準備を終えると、上着をかぶり洞くつの中で体を丸める。地面が硬かったのにもかかわらず、すぐに眠りに落ちた。
ふと、目が覚める。林杏はまるでなにかに導かれるように、洞くつの外に出た。月光が明るい。空を見ると満月が浮かんでいた。
そのとき、左側からうなり声が聞こえた。ガルル、と明らかな獣の声。林杏が左を見ると、そこには大人をのせても軽快に走れそうなほど立派な体つきの狼がいた。林杏よりも大きいかもしれない。
(やば)
林杏は全力で走った。追いつかれてしまえば、死ぬ。それもあちこちを齧られて、痛みをずっと感じながらこの世を去ることになる。
(そんなの嫌だっ)
林杏は道のことなど考えず、ただただ走った。後ろからずっと吠える声が聞こえ、林杏を追ってきているのがわかる。
肺とのどが苦しい。しかし立ち止まってはいけない。唾を飲みこんでも苦しみは消えず、恐怖からかいっそう辛くなった。
道はまるで硬さはなく、麺の生地の上を走っているかのようだった。後ろからだけではなく、前や左右からも狼の鳴き声が聞こえてきた。しかし姿は見えない。姿を現さない理由を考える余裕もなく、林杏は走る。
(助けて。助けて、助けて、助けてっ)
振り返る勇気も余裕もない。ただただ、走るしかなかった。しかし次の一歩を踏み出したとき、ぽっかりと穴が広がっていた。無数の牙、不気味なほど真っ赤な舌に、真っ暗な口内。
(ああ、食べられちゃう)
そう思った瞬間、林杏の意識は途切れた。