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37.倒れていたのは

 林杏リンシン春天山チュンティエンざんにやってきて、1ヶ月が経とうとしていた。食べられるキノコの区別もつき、木の実だけでなくキノコも乾燥させて長期保存ができるようにした。

 林杏は今日の分の石を筒に入れる。これで29個目だ。真夏となったため、食べ物を採りにいくのは早朝のみとなり、それ以外は洞くつの中や川辺で過ごす。そして夜になると早めに寝る。そんな暮らしが当たり前になってきていた。

 林杏は朝食を手早く済ませ、今日の食料を採りにいく。あまり周辺ばかりで採取をしていると、あっという間に食料がなくなってしまうので、あちこち移動している。

(今日はふもと近くに行こうかな。たしかそろそろ採れそうなキノコがいくつかあったはず)

 林杏は少しずつ山を下っていく。しばらく歩いていると、白い岩が見えてきた。

(あれ、あんなところに岩なんてあったっけ?)

 林杏は白い岩に近づいてみる。しかしそれは岩ではなかった。白い服を着た女性だったのだ。倒れていて顔は見えない。林杏は駆け寄った。

「あの、大丈夫ですかっ?」

 返事がない。林杏は相手の首元に手を当てた。温かく、きちんと脈を打っている。

(よかった、生きてる)

 倒れているのは体格から察するに女性のようだ。林杏は倒れている女性を背負い、洞くつまで戻った。


 洞くつの奥、普段林杏が寝ているところに女性を下ろす。そこで初めて女性の顔を見た。とてもよく知った顔で一瞬信じられなかった。

(姉さんっ?)

 そう、前世の姉であった深緑シェンリュだ。以前に運を操作した関係で、前世の両親は逮捕され、自力で生きていくことになった、たった1人の姉。

(なんでこんなところに姉さんが?)

 姉が住んでいたのは、ここヤン州の中心地。しかしこの春天山があるのはずっと離れたところ。牛車でも半月はかかるだろう。

(そんなに離れたところにいたはずなのに、どうして? そうだ、熱は?)

 林杏は姉の額に手を当てた。熱はないようだ。ほかに悪いところがないか、気の巡りを見ることにした。目に気を集中させる。特に乱れている様子はない。林杏はほっとしながら、姉に上着をかけた。

(とりあえずは目が覚めるまで側にいたほうがいいか。起きたらなにか食べたりするかな。水は、いるか。水だけ汲みに行こう)

 林杏は水を飲むときに使う筒と荷花に借りた器を持って川へ向かい、すぐに戻った。姉はまだ目を閉じていた。

(姉さんがなんでここに……。理由次第では帰したほうがいいかも)

 姉は今、初めて自力で生きている状態だ。きっと本人なりに苦労があるだろう。

(なにか力になれることがあればいいけど)

 そんな風に考えていると、布がすれる音がして足音が近づいてきた。林杏が振り向くと、姉が少々不安そうな表情で出てきた。

「気がつきましたか」

「あなたは、いつかの……」

 林杏は挨拶代わりに小さく頭を下げると、姉も同じ動作をした。

「とりあえずこちらに来て水でもどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 姉は林杏の隣に座り筒を受けとると、次第に飲む勢いがよくなり水を飲み干した。

「お腹は空いていませんか? 保存食であれば、すぐに用意できますが」

「あ、えっと……」

 姉はどう返事をしたらいいか迷っているようだ。林杏は一瞬食事を用意しようかとも思ったが、止めた。

(姉さんは今まで言わなくても察してもらえる生活をしてた。けど、これからはそういうわけにはいかない。自分の意思は自分で伝えなくちゃいけない)

 林杏は姉を見つめる。姉は何度も林杏をちらりと見てくる。察してほしいのだろう。林杏は姉に言った。

「いいですか、人というものは言わなければ伝わらないのです。察してほしいというのは、甘えです。してほしいことがあるならば、きちんと言わなくてはいけませんよ。したいことがある場合も同じです。伝えなければ、わかってもらえません」

 姉は考えるように少し俯くと、ようやく口を開いた。

「お腹が空いたので、なにか食事をいただいても?」

「はい、いいですよ」

 林杏はすぐに干した桃と桜桃、梅の砂糖漬けを用意した。

「とりあえずは、これで。キノコ汁は火を起こしてからにしましょう」

「ありがとうございます。いただきます」

 姉は小さな口で用意したものを食べていた。

「それにしても、なぜこんなところに? あなたが暮らしていた場所からはだいぶ離れていますが」

 姉の手が一瞬止まった。しかしすぐに理由を話した。

「今までなにもしてこなかったので、その……自分一人でいろいろできるようになりたくて」

 林杏が姉の気をそっと見るとゆらゆらと乱れていた。

(やっぱり嘘か。そんな予感はしたけど)

 嘘をつかなくてはいけない理由。姉のことなので誰かの物を盗むという考えには至らなかっただろう。それならば、思いつくのは1つ。しかし思いついた理由について考えたくはなかった。

(でもまあ、ここは嘘にのってあげたほうがいいか)

 林杏はある提案をすることにした。姉が自力でなんとか生きていけるようになるために。

「でしたら、私がいろいろ教えましょうか?」

「え?」

「ここに滞在して1ヶ月になりますし、キノコの見分けもできます。保存食や手仕事のことも教えられますから、お金を得る方法も身に着けられます。そうしましょう」

「え、えっと、はい。では……おねがいします」

 姉は丁寧に頭を下げた。林杏は姉が頷いたことに内心ほっとした。

「はい。よろしくおねがいします。そうだ、怪我したところはありませんか?」

「は、はい。大丈夫です」

「じゃあ少し休んでから、採取にいきましょう。今は夏なのでいろいろ採れますよ」

 林杏はそう言って、姉に微笑んだ。


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