もうずいぶんと洗い、きれいになったキノコが増えてきた。太陽の昇り具合から考えて、そろそろ昼食の用意をしてもいいだろう。今回も姉に作ってもらって料理を少しでも覚えてもらおう。
「姉さん……? 姉さん、姉さんしっかりっ」
林杏は姉の頬を軽く叩こうとした。見ると姉の顔は真っ赤だった。
(まさか熱がこもった?)
林杏は姉を木陰に移動させようとしたが、ふとある可能性に気づく。
(もしも頭を打ってたら動かさないほうがいい。……そうだ、気の流れを見れば)
林杏は姉の気の流れを見た。頭に異常はなさそうだ。1番近くにある木陰に姉を運ぶ。林杏は自身の
(そうだ、髪を上げて服も少し脱いでもらおう)
林杏は姉の頭を少し持ち上げ、首の後ろが出るように髪を上げて広げた。そして1番外側の服を脱がせた。記憶の中ではハリのあった肌は、ずいぶんとかさついていた。手入れしてくれる人もいないうえに、前世の両親と離れてからは栄養状態がよくなかったのだろう。どこかで怪我でもしたのだろうか、腕に治っていない傷跡がある。林杏はなるべく体のあちこちを見ないように視線をずらしながら、服を脱がせた。
(あとは……なにかあおぐもの)
林杏は近くにあった、葉が茂っている枝を折った。その枝をうちわ代わりにして姉に風を送る。
しばらくのあいだ、風を送っては破った裾を濡らし額に当てた。
(そうだ、水も飲ませておこう。そうすれば体の内側も冷えるはず)
林杏は器の代わりになるように、両手を合わせる。そして水を汲み、こぼれきる前に姉の口に運んだ。のどが渇いていたようで、姉は水を勢いよく飲んだ。林杏は姉と川のあいだを何度も往復した。
姉の水を飲む勢いが落ち着いてから、林杏は枝で再びあおぎはじめた。赤かった顔がずいぶんと落ち着いてきたようだ。もうしばらくすれば目を覚ますだろう。
(そういえば、前世では私も暑さにやられたことがあったな)
あのときは買い出しの帰りだったのだが、見知らぬ人が世話をやいてくれて助かった。しかし前世の両親は事情も聴かず、帰りが遅くなった林杏を殴ってきたが。
(身内よりも他人のほうが優しいっていうのも、悲しい話なんだろうけど。でもあのとき助けてもらえなかったら、私は人そのものを恨んで、ずっと1人で生きていこうとしていたかもしれない)
林杏は表情が穏やかになった姉を見る。
(姉さんはあの家にいたときは、自由がない代わりになんの苦労もなかった。……後悔していないだろうか、自分の考えに。私の運の操作に)
聞きたい気持ちと、なにも知りたくないという気持ちがせめぎ合っている。
林杏にとって姉はなにもしたいことがない人、なにもしなくってよかった人だ。
羨ましかった。両親に愛されて――かといって純粋に愛されていたわけではないのだが――かわいがられて、雑用をしなくてよくて。温かい食事を苦労もなく食べられて、冬の水の冷たさも知らない。
しかし同時にかわいそうだとも思った。店の食べ物ができるときの匂いも、春の花の美しさに浮かれる人々の笑い声も知らない姉を。林杏の事情を知っている人たちは「こっそり食べな」とお菓子や食べ物をくれることもあった。姉はそんな人々の温かさを知らない。
(人生ままならないものだなあ)
姉と前世の自分、どちらの人生が幸せかと問われても、林杏は答えることができない。人の温もりを知ることができるが冷遇される人生と、なにも困ることはないが閉じ込められて延々と金づるとされる人生。現在の林杏からすれば、どちらも嫌だ。今の両親や自分の友人が幸せであること、そして自分も心穏やかでいられることが、もっとも幸せな気がする。
(姉さんもそんな風に思える日がくればいいんだけど)
そのためには、知恵やできることを増やしてもらいたい。もちろん姉に合わせる必要もあるが、林杏はあと5カ月後には道院へ戻らなくてはいけないのだから。
(まったくもってどうしたものか)
林杏は考えながら枝であおいだ。
どれくらいの時間、あおいでいただろうか。腕はとっくに感覚がなくなってきた。正直あおぐのをやめたい気持ちはあるが、再び姉の体に熱がこもってもいけない。そんな風に考えていると、姉の瞼がわずかに動いた。何度か瞬きをして、
「気がつきましたか」
「わたくしは……?」
「体に熱がこもり、倒れてしまったのです。暑いと感じたときは、髪を上げたり服の袖をまくったりするとだいぶ違いますよ」
体温調節を自分ですることもなかった生活。林杏が売られたあとも。誰かが常に快適にしてくれていたようだ。
「すみません、またご迷惑を……」
「いえ。ただ……あなたはもう自分の足で立たなければいけません。目の前のことができるようになることだけでなく、予測することも大切になってきます。そして辛いときは言わなければ伝わりません。察してくれる人はもういませんから。なので自分の気持ちや体調をきちんと伝えられるようになりましょうね」
「はい……」
姉は少し俯いた。言い過ぎただろうか。しかし本当のことなのだ。きっと今の姉は、誰かの言葉から心情を察することはできないだろう。必要がなかったのだから。ならば、きちんと伝えなくてはいけない。心を鬼にする必要がある。
「もう少しでキノコも洗い終わるので、そこで休んでいてください」
そう言って林杏は姉に微笑みかけ、作業の続きに入った。