(今日を過ごせば、道院に戻れる。長かったような、短かったような)
目を覚ました林杏は洞くつの外に出る。ひんやりとした空気は鋭さを含みながらも、頭をすっきりさせてくれた。
(よし、今日も1日気を引き締めていこっと)
林杏は両方の頬を軽く叩く。
最後の日だったが、林杏は
昼食として外の焚き火で作ったキノコ汁と干した桃、梅の砂糖漬けを食べながら、林杏は深緑に言った。
「私は明日になったらこの山を去ります。そういう修行でしたから」
「そう、ですか。もうそんなに日が経つんですね」
「深緑さんは今後どうするんですか?」
「そうですね。……町に住もうと思います。キノコや蔓細工を売りに行っている、あの町に」
「町に、ですか?」
林杏は心配になった。町に住めば、【
深緑は梅の砂糖漬けを食べながら続けた。
「今度こそすべての人を治したいんです。だから診療所みたいなものを開こうと思います。お金はこれまでどおり、キノコや蔓細工で稼ぎます」
深緑らしい生き方だ。
「いいと思います」
林杏がそう返事をすると、深緑は嬉しそうに笑った。
次の日。林杏は起きて朝食を食べると、道院に帰る準備を始めた。残った保存食は深緑に渡し、
「お見送りします」
深緑が申し出てくれた。
「まだしばらくここにいますか?」
林杏が尋ねると、深緑は小さく首を横に振った。
「いえ、わたくしも今日中には出発しようかと。ただ、細工が途中なんです。それが完成してからここを発ちます」
「そうですか。お気をつけて」
「ありがとうございます。あの、最後にお聞きしたいことが」
深緑の言葉に林杏は首を傾げる。
「あの、お名前は? なんとお呼びすればいいでしょうか?」
そういえば名乗っていなかった気がする。もう
「そうですね、それでは
「杏さん。……今まで本当にありがとうございました」
深緑は深々と頭を下げた。ああ、むしろお礼を言いたいのはこちらのほうなのに。どれだけありがとう、と言っても足りない。深緑がいなければ、林杏はこの修行をとても辛く感じていただろう。
「深緑さんがいなければ、私はいろんなことに気づけませんでした。こちらこそありがとうございました。どうかお元気で」
林杏は微笑みを浮かべる。洞くつの外へ出て気を足元に集め、空を飛ぶ。見下ろすと、寒いなか深緑が手を振っていた。林杏も手を振り返した。
ゆっくり飛んでいるのにも関わらず、頬に冷たい風が襲ってくるせいで耳が痛くなってきたころ、道院に着く。
「半年のあいだ、お疲れさまでした。声をかけるまで休むように」
林杏にそう言うと、天佑はどこかに行ってしまった。到着したのは林杏が最後だったのかもしれない。
林杏が自室に戻ろうとしたとき、「林杏ー」と誰かに呼ばれた。振り返ると
「よー、お疲れ。帰ってくるの遅かったな」
「わあ、晧月さんと浩然さんっ。お久しぶりです。……なんで晧月さん、首のところ泥だらけなんですか?」
「帰ってくるときにいろいろあったんだ、気にしないでくれ」
「このあとオレが洗ってやることになった。まったく面倒でならん」
「悪いってえ、さすがにほかのやつらはそこまで暇じゃねえしよお」
「オレも暇なわけではないんだが?」
2人のやりとりを見ていると、本当に道院へ帰ってきたのだと実感する。
浩然と目が合う。浩然は少し視線を泳がせたあと、木製の髪飾りを差し出した。髪に挿す部分は二又に分かれており、大小異なる杏と梅の花がついている。
「その、度々世話になっている礼だ。受けとってほしい」
「わあ、すてきですね。え、本当にいただいていいんですか? 大したことをした覚えはありませんが」
「いや、オレはだいぶ命を救われた場面が多いんだが。まあ、もし気に入らなければ処分してもらって構わない」
「そんな、処分だなんて。ありがとうございますっ。髪や体をきれいにしてから使わせていただきますね。わあ、本当にかわいいですっ」
林杏が喜んでいると、晧月がにやりと笑っている。
「おや? おやおやおや? 犬野郎くん、そういうことか? そういうことなのか?」
「な、ち、違う。そういう意図はない」
「まあまあ、俺の体洗いながら詳しく教えてくれや。よし、それじゃあな林杏っ。もうちょっとで飯の時間終わるから食っとけよ」
「あ、はい。あの、浩然さん。ありがとうございますっ」
「……ああ」
晧月は腕を浩然の肩に回すと、引きずるように連れていった。林杏は自室に戻って簡単に髪や体をきれいにしてから、食堂に向かった。道院の空気は心地よかった。
転生者修行編・終わり