「それでは、晧月さん。次はあなたの番です。15分後に、またここへ来るように」
浩然はいったいどうなったのだろうか。林杏は立ち去ろうとしている天佑に尋ねた。
「あの、浩然さんは合格したんですか?」
「あなたが知る必要はないでしょう」
天佑はそう言うと、建物から出ていってしまった。
(浩然さん、どうなったんだろう? 生きてる、よね?)
林杏がそんな風に考えていると、肩になにかがのった。振り返ってみると、晧月が手だった。
「あの犬野郎なら、きっと大丈夫だって。心配すんな」
「はい……。晧月さんも、合格してくださいね」
「おう、任せな。霊峰で待ってるぜ、林杏」
「はい。必ず行きます」
林杏は1人で自室に戻ると、寝台に横たわった。
(晧月さんはああ言ったけど、やっぱり浩然さんが心配になっちゃうな。それに晧月さんも大丈夫かな?)
なにもすることがないと、ついつい晧月や浩然のことを考えてしまう。
すると、どこからか
「ねえ、聡。なんだか落ち着かないんだ。お前にもそういうとき、ある?」
聡は首を傾げている。野生動物には不安に思う暇などないのかもしれない。
「私、ちゃんと劫に受かるかな? また浩然さんや晧月さんに、ちゃんと会えるかな?」
聡は林杏の腕に巻きつき、袖を噛んだ。突然の求愛行動、もしかすると聡なりに慰めてくれているのかもしれない。
思い出すのは、あの真っ白な部屋と時間がわからなくなった焦り。このまま一生閉じ込められたら、という不安。時間がわからないと、これほどまでに苦しみが出てくるのか、と痛感した。
(またあの空間に行くのか。……浩然さんや晧月さんがいたときまでは、絶対に乗り越えるって思ってたのに、なんだか今はうまくできるような気がしない)
膨らんでいた自信は一人きりになると、簡単にしぼんでしまった。
(私って、思ってたより弱かったのか。今までは浩然さんや晧月さんのおかげで、元気でいられたんだ)
この道院には、たくさんの人がいる。そのなかでも林杏の心を支えてくれていたのは、浩然と晧月だ。
(前世では1人でも平気だったのに)
むしろ1人が普通だった。しかし今世では両親に愛され、友人もできた。前世から考えれば信じられないことである。
(でも心は弱くなったのかもしれない。でも皆と過ごす時間は、すごく心地よかった。もう……1人は嫌だな)
林杏はゆっくり目を閉じた。
次の日も、そのまた次の日も、林杏の心はざわついていた。これから来る孤独、その孤独に対する不安が林杏を襲った。
(もしも、また死んでしまったら)
浩然や晧月、両親や
(やだ。やだやだやだ。約束を破るのも、浩然さんたちに会えなくなるのも、全部やだ)
劫が怖い。死ぬのが怖い。日に日に恐怖が増していく。けれど、そんな恐怖をどう対処すればいいか、林杏にはわからなかった。
夕飯を知らせる鐘が鳴る。林杏はなんとか体を起こし、食堂に向かった。
食堂の受付には、
「こんばんは、林杏。……なんだか表情が暗いけど、どうかしたの?」
「ええ。もうすぐ最終試験で、なんだか落ち着かなくて」
「あら。……ねえ、林杏。このあと空いておしゃべりしない?」
「え、でも、ご迷惑じゃ」
「迷惑だったら、声なんてかけないわよ。食事が終わったら、この食堂で待っててくれる?」
「わ、わかりました。ありがとうございます」
「いいのよ、気にしないで。……
荷花が厨房に届くよう、大きな声で林杏の食事の内容を告げた。
食事を受けとった林杏は、いつもより遅い速度で干した肉や果物を食べながら、受付をしている荷花を見る。
(荷花さん、いい人だなあ)
荷花は笑顔を浮かべ、テキパキと動いている。受付の列がなくなると、荷花はほかの者と共に洗い物を始めた。
林杏は食事を終えてからも、ぼーっとしながら厨房の様子を見ていた。荷花は忙しそうに動き回っている。しばらくすると、荷花は厨房内のいろんな人に頭を下げながら、急須と2つの湯呑みを盆にのせて、こちらにやってきた。
「おまたせ」
「いえ、お仕事終わりなのに、すみません」
「いいのよ。はい、お茶」
荷花から湯呑みを受けとり、水面を見る。
(浩然さん、大丈夫だったかな)
3人でお茶を飲みながら話した日々は、とても楽しかった。それほど頻繁にあったわけではないが、林杏にとって印象深い出来事だった。
椅子を動かす音がして顔を上げると、荷花が向かいの席に腰を下ろしたところだった。
「それで、どうしたの?」
林杏は劫のこと、浩然や晧月のことなど、不安に思っていることをすべて話した。荷花は時折頷きながら、口を挟むことなく聴いてくれた。
「そりゃあ、死ぬってわかってるんだから、怖いに決まってるし、お友達のことが心配になるのは当たり前よー」
「でも、前世ではまったくそういうのがなくて。……弱くなってしまったんだなって思って」
「あら、それは違うと思うわよ」
荷花はお茶を1口飲んでから言った。
「1人で生きている人じゃなくって、いろんな人に支えられてるってわかっている人のほうが強いんじゃないかしら。それに物理的に1人で生きていくことはできても、本当の意味で1人で生きられる人なんていないわ。だから、林杏は前世より強くなってると思うの」
「そう、だといいんですが」
林杏もお茶を口に含む。荷花はそんな林杏に続けて言った。
「それに恐怖は本能的なものだから、抑えつけようたって、難しい話よ。それなら『今自分は怖がってるんだな』って受け入れちゃったほうが、苦しくないと思うの。難しいけどね」
「怖がってもいいんですか?」
「ええ。この世に抱いてはいけない感情なんて、数えるほどしかないでしょ? それ以外は全部どう思ってもいい。そう考えたら、ずいぶんと心が楽にならない?」
たしかに荷花の言うとおりかもしれない。怖がってもいい、心配になってもいい。
(もしかしたら、世界は意外と懐が広いのかもしれない)
林杏は1度目を閉じ、ゆっくりと開くと、荷花をまっすぐ見つめた。
「荷花さん、なんだか心が軽くなったような気がします。ありがとうございます」
「あら、そう? それならよかったわ。お茶もまだ残ってるし、せっかくだからもう少し話さない?」
「ええ、ぜひ」
林杏と荷花は笑みを浮かべた。