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19.劫、再挑戦

 荷花フーファとの雑談から、林杏リンシンは恐怖との向き合い方を変えた。抑え込むのではなく、受け入れる。怖いと思ってもいい。そう考えると、恐怖も少し和らいだ。

 晧月コウゲツごうを受けてから、1週間が経ったその日の昼前、天佑チンヨウの補佐に連れられて、金の像の建物に入った。そこには天佑しかいない。

「それでは林杏さん。あなたにはこれから劫を受けてもらいます。15分後に再びこちらへ。劫を行なう場所へ案内します」

 晧月はどうなったのか。しかし浩然ハオランのときですら、答えてくれなかったのだ。今回も難しいだろう。

「わかりました」

 林杏は返事をすると、まずは食堂に向かった。

 食堂は昼食の準備をしているのか、忙しそうだ。荷花も例外ではなく、いつものようにキビキビと働いている。しかしあと15分で劫を受けるのだ、申し訳ないが声をかけさせてもらうことにした。

「荷花さん。ごめんなさい、お忙しいところ。少しお願いがありまして」

「あら、林杏。動きながらでも大丈夫かしら?」

「は、はい、もちろん。実はこれから劫を受けに行くんです。それで、お手数をかけて申し訳ないんですけれど、3日後、私の部屋の床に卵を1つ置いていただけないでしょうか? 故郷から連れてきた蛇が部屋にいるんです」

「わかったわ、3日後ね。必ず行くわ」

「あと、もう1つだけ。昼食の鐘まで、あとどれくらいですか?」

「ええっと……あと45分よ」

「ありがとうございます」

 林杏は部屋の場所も教え、食堂を去った。

 自室に戻ると、ツォンの名前を呼んだ。すると聡が家具のすき間から姿を現した。林杏は聡を抱き上げ、首に巻く。

「聡、私は今日から1週間、劫っていう最終試験に行ってくるね。そのあいだ、ごはんは別の人が持ってきてくれるから。……必ず帰ってくるから、霊峰でも一緒に暮らそうね」

 聡は林杏の服のえりを噛んで、小さく震えた。いまだに求愛行動をとる折がよくわからないが、彼なりに励ましてくれているのかもしれない。

 林杏は頭に挿していた、杏の花の髪飾りを抜き、机の上に置いた。隣に蓮の髪飾りと匂い袋も置く。

(浩然さん……)

 荷花との雑談後、林杏は意識して浩然のことを考えないようにしていた。心が落ち着かなくなるからだ。

(だめだ、だめだ。落ち着け、もうすぐ劫だぞ)

 林杏は両の頬を叩き気合を入れると、先ほどの建物に戻った。


 その建物は道院の1番奥にあり、丸がいくつも描かれている扉が印象的だ。

「それではこれより、こちらで劫を始めます。出たいという意思表示をした時点で、死亡となります。こちらが1週間分の食料です。切り詰めれば2週間は食べられます。……それでは、入りなさい」

 林杏は食料を受けとると、建物の中に入った。背後で扉が閉まる音がした。

 真っ白な壁と床。なにもない空間に、林杏は再び帰ってきたのだ。

(まずは、どうしようかな)

 時間は念のため食堂で確認したが、数えるかどうか。失敗したときに焦らないかどうかも、心配している点ではある。

(それなら晧月さんが言ったように、寝た時間で計ったほうがいいか)

 しかし寝るまでのあいだは、どう過ごしたものか。恐怖に支配される時間がなければ、しっかりと考えられたものを、と今さら悔しくなってしまう。

(落ち着け、とりあえず落ち着け。まだ始まったばかりだぞ、林杏)

 林杏は大きく息を吸っては吐き、いつもより大きな音で動いている心臓をなだめようとする。しかし呼吸をすればするほど、頭の中には前世で死んだときのことが浮かんだ。

『やだ、まだ死にたくないっ。出してっ』

 過去の自身の言葉が頭に響く。そう、死にたくない。生きていたい。やだやだやだ。

 呼吸が速く、浅くなる。落ち着け、と言い聞かせる言葉は次第に小さくなり、生きたいという本能の叫びだけが大きくなっていく。

(いやだ、いやだ。生きるんだ、私は、生きるんだっ)

 そのためにはこの建物から出なくては。そう、出なくてはいけない。

(誰か、たすけ――)

 声を出そうとした瞬間、なぜか浩然の微笑みが見えたような気がした。大きく、温かい手、左右に揺れる尻尾、髪飾り、匂い袋、お茶。

(そうだ、浩然さんに聞いてほしいことがあるって言われてる。それに梓涵ズハンさんとまたお茶をするんだ。……まだ、出るわけにはいかない)

 林杏はもう1度大きく息を吸い、吐いた。心臓の音は次第に落ち着いていった。

(しっかりしろ、林杏。父さんや母さん、星宇シンユーとも約束したじゃないか。必ず帰ってくるって)

 それならば、林杏がすべきことは決まっている。

(絶対に1週間、ここにいてやる)

 林杏は後ろを振り返った。すでにそこに扉はなく、壁のみだった。扉があった場所と向かい合うように腰を下ろす。

(そもそも、今まで支え合うような試験や修行をさせてきたのに、なんで劫だけ1人で耐えさせるんだろう? そこがおかしい気がする)

 林杏は考える。そこには必ず理由があるはずだ。劫の目的がわかれば、出たいと思うこともなくなるかもしれない。

(実は私が考えていた本質が間違っている可能性から考えよう。いい線いってると思うんだよなあ。……1人でできることを増やす必要がある、つまり1人で生きて行かなくっちゃいけないなら、助け合うようなことはさせない。ひたすら孤独に耐えられるように、修行させるべきだ。だから、やっぱり私の考えは合ってる)

 それならば、この劫の目的とはなにか。林杏はあぐらと腕を組んで考えはじめた。


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