目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

26.久しぶりのお茶会

 故郷に帰った次の日、林杏リンシンは霊峰の真上を目指した。梓涵ズハンを訪ねるためだ。前回はとても寒かったので、今日は上着を用意する。

(なにを持っていこう? お菓子は用意したいけど、お金を稼いでからになる。でも、できれば早く報告はしたいし。うーん……)

 林杏が座ったまま腕を組んで考えていると、浩然ハオランが声をかけてきた。

「どうかしたのか?」

 浩然に事情を話すと、彼は少し考えてから提案してくれた。

「それなら、オレの茶葉を持っていけばいい。あの人が前にくれた茶葉ほどではないか、いいものはそれなりにある」

「いいんですか?」

「ああ。かわいい妻の頼みをきかずして、なにが男か」

 かわいい妻。前世を含めて、今までまったく言われてこなかった言葉に、林杏は頬が熱くなるのがわかった。

「とってくるから、少し待っていろ」

 そう言って浩然は林杏の真っ赤な頬に口づけを一つ落とすと、茶葉をとりに行った。

(浩然さんって、こんな人だっけ? もっとこう、淡泊な感じじゃないの?)

 林杏はさらに熱くなった顔を隠すように、体を丸めた。


 林杏は晧月コウゲツと浩然に見送られるなか、霊峰の真上にある桃園へ飛んだ。

 雲に近づくにつれ、耳や頬が痛くなる。しかし雲を抜けると、暖かい空気に招かれ、ずらりと並んだ桃の木が現れた。

(このあいだのような気もするし、久しぶりのような気もするし。とりあえずは梓涵さんを探さなくちゃ)

 林杏は桃園の中を歩く。季節が外れているのにも関わらず、花が咲いたり実をつけていたりするこの場所は、やはり不思議な力に溢れているところなのだろう。

 しばらく歩いていると、人影が見えた。動いているので石像ではないだろう。予想どおり、その人影は梓涵だった。

「梓涵さんっ」

 林杏は離れたところから声をかけ、手を振った。作業をやめ、こちらを向いた梓涵の顔に驚きが浮かぶ。林杏が駆け寄ると、梓涵は嬉しそうに笑った。

「林杏っ。また会えるなんて、とても嬉しいわ。こうして来てくれたということは、仙人になれたのですね」

「はい。約束どおり、またお茶会をしにきました。それで、今回はお茶を持ってきたんです」

「まあ、ありがとう。それならお茶菓子を用意しなくちゃね。すぐに仕事を終わらせるわ」

「なにか私にもお手伝いできることはありますか?」

「ありがとう。でも大丈夫よ。少し待たせてしまうけれど」

「平気です」

 林杏がそう返事をすると、梓涵は手早く小さな花や芽を摘みとっていく。彼女が腰に身に着けていた籠はあっという間にいっぱいになった。

「これをまた肥料にするのよ。置いてくるから、少し待っててね」

「はい」

 梓涵は桃の木々のあいだを抜けながら、どこかに行ったが、数分ほどで戻ってきた。

「おまたせ。こちらでお茶にしましょう」

 林杏は前を進む梓涵について行く。すると開けた場所に着き、すでに机やお茶菓子などが用意されていた。林杏は桃園の主が望めば、ここではなんでも出てくることを思い出す。

 机の隣には火鉢らしきものがあり、そこには湯気を出している小さなやかんが、のせられている。梓涵に茶葉を見せると「ああ、このお茶ね」と手慣れた様子で淹れてくれた。

 机の上のお菓子は桃まんと、罵り菓子、猫の耳。

(梓涵さんが用意してくれる桃まんって、すごくおいしいんだよね)

 林杏は思わず笑顔になる。ふと視線を移すと、梓涵が微笑みを浮かべたまま、こちらを見ていた。なんとなく気恥ずかしい。

「さて、お茶も用意できたし、食べましょう」

「はい。いただきます」

 林杏は湯呑みを持ち、お茶を飲んだ。ふわりと花のような甘い香りと、すっきりとした味わいがある。

「おいしい」

「ね。いいお茶だったから、手に入れるの大変だったでしょう?」

「えっと、それがその、お、夫が、持たせてくれて……」

「夫っ? え、あなた結婚していたの?」

「いえ、最近したといいますか、するといいますか」

 林杏は浩然との流れを話した。すると梓涵は目を丸くしながらも、嬉しそうにしてくれた。

「おめでとう。それにしても、あのとき石になっていた人と結婚するなんて。……でも、今思えば当然の流れかもね」

「どういうことですか?」

 林杏が尋ねると、梓涵は微笑みを浮かべて答えたくれた。

「あのとき彼、言ってたのよ。『助けてもらうのは、2度目だ』って。自分は意地の悪いことをしていたのに、助けてくれたって。あなたのこと、心が広くて、すばらしい人だって言ってたわ。そのときの顔が、とても優しかったのよ。あのときには、あなたのことが好きになっていたのね」

「当たり前のことをしただけなんですけど……」

 林杏がそう言うと、梓涵はまるで母親のように穏やかな笑顔を浮かべた。

「それができるのは、意外と少ないものよ。あなたのいいところだと思うわ。ねえ、旦那さんは、普段どんな感じなの? ぜひ聞かせて」

「ええ? でも、その、ちょっと恥ずかしいといいますか、今までと全然雰囲気が変わってしまって、どう接すればいいかわからないといいますか」

 そう、夫婦になると決まってからの浩然は、晧月がいるかどうかなど関係なしに、林杏に抱きついてきたり、しれっと口づけをしてきたりするのだ。尻尾を左右に揺らしながら。

「あらあら、新婚って感じでいいじゃない」

「いやいや、本当に違う人ではというくらいなんです」

「ふふふ。それじゃあ、よっぽどあなたのことが好きなのか、我慢していたのか、それとも両方なのかでしょうね」

「う……。我慢させていたというのは、はい、自覚はあります。まったく気がついていなかったので」

 もしも自分ならとっくに諦めていただろう。根気強く接してくれていた浩然には、とても感謝している。

「でも、ちょっと不安になるんです」

「不安?」

「ええ。前世ではまったく誰にも愛されたことがないんです、私。両親からは殴られていましたし、姉も厳しく当たってきていたので。でも今世になって、両親や友達だけでなく、まさか夫にも恵まれるなんて思っていなくて。そのうち思い上がって天罰が下るんじゃないかって怖くて」

 林杏は思わず本音をこぼしてしまった。すると梓涵が体を乗り出し、林杏の頭を撫でてきた。

「林杏は、前世からとても頑張っていたのね。でも、もう大丈夫よ。そんなに怖がらなくて。怖がりすぎると、反対に引き寄せてしまうもの。だから、あなたの幸せのために怖がりすぎないで」

「うう、努力します」

「いつでも話を聴くから、気軽に来てちょうだい。それにしても初々しくていいわねえ。なんとなく、わたくしにもそんな時期があったような気がするもの」

 梓涵はそう言って笑いながら、お茶を飲んだ。林杏は桃まんに手を伸ばし、かぶりつく。

 桃園に植えられている木々のように、話に花が咲いた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?