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燃え滓の男、勇者候補を鍛える その一


 ◇◆◇◆◇◆


 さて。俺とヒヨリはジャニス様の拠点に住まわせてもらっている訳だが、待遇はあまり悪くない。


 食事は朝昼晩ジャニス様が影から取り出してくれるのだが、どれも出来立てのようで湯気も立っている。ヒヨリが言うにはどこかの場所と繋げて直接取り寄せているらしい。あとなのだが……気のせいだろうか?


 拠点に自室も用意された。ただ一日前までなかった部屋が忽然と造られるというのは慣れず、これもまたヒヨリの考察によると、拠点内の空間を勝手に拡張する事でジャニス様は好きなように改装、改築可能なのだとか。


 それと服に関しては、ずっと自前の服を着たきり雀になる訳にもいかず、ジャニス様が用意した服を身に着けている。デザインは簡素な給仕服と言った感じで文句はないのだが、色がどれも黒ばかりなのはジャニス様の趣味だろうか?


 外出は依頼中禁じられているが、概ね要求通り衣食住を見繕ってもらった以上、こちらも務めを果たさなければならない。といっても、既にジャニス様が過剰ともいえる訓練を行っているようなので、俺がやる事はそう大した事ではない。例えば、



「大きく息を吸って、両腕は大きく真上に。自分が一本の木になった感じで……はい。そのまま片足立ちのまま息を止めてしばらく保持…………吐いて」

「ふぅ……ねぇ。これに何の意味があるの? こんな事より他の訓練を」

「それは避けた方が良いと思うよアナ。君の身体は医者でもない俺でも分かるほどボロボロだ。外側も内側もね。でもジャニス様の訓練は止められないし君も止めるつもりがない。なら別のやり方で身体の調子を整えるしかない。……ちなみに今やっているのは立木のポーズという型で疲労回復効果がある。他の型と組み合わせて何日かすれば効果が実感できると思うよ」



 といった具合に、簡単なヨガのポーズや呼吸法を取り入れて極力身体への負担を減らしているぐらいだ。勿論やり過ぎないように見守りつつ、時折ずれる体幹の矯正もしているが。


 ちなみに俺の訓練の際にヒヨリは基本出て来ない。どうも神族ではないとはいえ、アナはまだ微妙にヒヨリは敵対心を持ってしまうらしい。なので集中を求められる訓練中は遠慮してもらって、



『あ~っ!? い~けないんだ! 好き嫌いすると大きくなりませんよアナさん』

「野菜……嫌いだ」

『う~ん。この料理は美味しいけど、確かにやや野菜が大きめかな。こういう時は小さく切って……そこのソースをかければ食べられるはずだよ』

「…………うん」



 こうして食事の時や訓練の合間で声をかけてもらっている。いくら嫌われていようとヒヨリのコミュ力の高さは折り紙付きだ。根気強く話しかける内、言葉は少なくとも返すようにはなってきた。後は、



「ケホッ、ケホッ。今日も、訓練を」

「ダメだ。今日はお休み! ジャニス様にも流石に今日の訓練は控えるようヒヨリから進言してもらっている。薬を飲んでゆっくりお休み。……どうしても訓練をするというのなら、呼吸法だけ教えるから横になりながらほどほどにやるように。まず鼻から息を吸って」



 ジャニス様の訓練で負担がかかった身体を、無理やりにでも休ませるのも仕事の内だ。どうもアナ自身が無理を押してでも訓練をしたがる傾向がある。まるで……何かの強迫観念でもあるかのように。





 そんなこんなで日々は過ぎ、


「……ふぅ」

「はい。そこまで。……どうだい? 少しは効果が出てきたんじゃないか?」

「…………何となくだけど、少しだけ疲れにくくなってきた気がする」

「そうか。それは良かった!」


 今日も日課のヨガのポーズを一通り行った後で、汗を拭い水を飲みながらアナは率直な感想を言う。


 たった数日ではあるが、効果が出たなら何よりだ。後はジャニス様の訓練調整であまり消耗し過ぎないように見ていれば何とか。


 そんな事を考えていると、


「ねぇ。わたしにジュードーとかいう技を教えて」

「……なんだって?」


 急にアナから珍しく要望が来た。ただ、


「ジュードーって……その言葉をどこで?」

「ごめんなさい。以前カイトの心の闇をジャニスが覗いた時、わたしも見た。カイトが、誰かをジュードーという技で投げ飛ばしている所を」

「……そうか」


 ジャニス様が見たという俺の心の闇。何を見られたのか分からなかったが、柔道という言葉に思い当たる節はある。


「この前の勇者との戦い。そこに割り込んできた奴が、カイトの記憶で見た技と同じ物を使っていた。だから、それに備えてわたしも覚えたい」

「……なるほど。ライがそんな事を」


 きちんと自分の教えた技を扱えている安心感と共に、ここ数日顔を見れていない事に寂しさを覚えながらも俺は軽く首を横に振る。


「すまないね。君に柔道を教える気はない」

「何故? アイツには教えたのに?」

「もう君は十分に強いからだよ。それにこれ以上身体に負担をかけては」

「時間がないのっ!?」


 そこでアナは珍しく声を荒らげた。


っ! ……あと五日で勇者との再戦。その前にアイツを倒さなければいけない。それも勇者との勝負に向けて、余裕を持って勝てなきゃいけないの」

「たった五日では付け焼刃だよ。それに、俺はその勇者の方に出来れば勝ってほしいと思っている。元々はそれが仕事だからね」


 俺がそう言うと、アナは少しだけジャニス様に似た嫌な笑みを浮かべた。


「でも、。戦いの日までわたしに寄り添ってくれるんでしょ? ……だから、お願い」


 普通なら大人として、ここで諫めるべきなのだろう。だが、



「……分かったよ。ただし、基礎を少し教えるだけだ」

「うん! ……ありがとう。カイト」



 その闇を抱えながらも真剣な眼差しに、俺は断る事が出来なかった。



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