アナの柔道の才能は悪くなかった。
小柄な身体を駆使し、跳ね回るように動きつつ相手のスキを突いて戦うスタイルとは微妙に合わないけれど、それでも基礎である受け身をたった一日で見れる程度には形にはしてみせた。これは元々それなりの戦闘訓練を積んでいた事も下地になっていると言えるだろう。
俺の見立てではライに純粋な才能だけで言えば劣る。しかしライの場合は貴族としての教養を育てる事も必要で、その分集中して訓練し続けるアナが追い上げるのは当然。時間を掛ければ或いはそれなりの柔術家として大成する事もありえたかもしれない。とはいえ、
(……やはり、数日じゃ限界があるか。戦いの前日は休日を取って身体を万全にするとして……それまで練習に当てたとしても受け身ともう一つぐらい型を覚えるまでが精いっぱい。それにそもそもアナのスタイルとはあまり合わない。隠し技で終わるかな)
そんな事を考えながら、ジャニス様に連れられて日課の
コンコンコン!
『開斗様開斗様っ! 遂に来ましたよこの時がっ!』
「声が大きいぞ。……それで、
『勿論ですともっ! いやぁここ数日、ジャニス様の目が届かない所で静かにこっそりやっていた秘密工作がや~っと実を結んだ訳です! 褒めてくれても良いんですよ?』
「ああとも。よくやってくれたヒヨリ! お前は一流の出来る女だとも!」
ヒヨリ相手にはこうやってまっすぐに礼を言う方が良いと知るぐらいには長い付き合いだ。てへへと照れ笑いしながらヒヨリは、俺にそっとある物を手渡す。
『時間は最大十分。それもいつジャニス様達が帰ってくるか分かりません。お急ぎを』
「分かっているさ」
俺はそれを起動させて、そこからの声に耳を傾ける。
そして、長い長い数秒の沈黙の後、
『…………よぉ。調子はどうだい? まさか攫われるたぁ災難だったな』
「はい。ですが苦労話は後で。時間がありませんので、端的にこれまでの事の説明と、これからの相談をさせていただいてもよろしいでしょうか?
俺はヒヨリお手製の通信機の先から聞こえてくるブライト様に、これまでの事を話し始めた。
色々話し終わり、ジャニス様達が帰ってきてからの事。
戦闘訓練用に用意された一室。そこで目の前で黙々と受け身の練習を続けるアナを見ながら、俺は先ほどまでの事を考える。そして、
「…………ふぅ……ふぅ」
「そこまで。水分を取ったら息を整えよう。少し休憩だ」
俺が手渡した水をグイグイ飲み干し、数度深呼吸をする事で自然と荒かった呼吸が整っていくアナ。その様子を見て、つい気になった事を口にしてしまう。それは、
「アナ。何故わざわざ柔道を覚えようとするんだい? 前にも言ったけど君は十分強い。それにライに対抗するだけなら、別に柔道に拘らずとも良い筈だ」
「そ、それは……」
すると、アナは珍しく少しだけ言葉を返すのに戸惑いを見せる。そして、言い淀むこと数秒、
「証明、したかったから」
「証明?」
「うん。……カイトの磨いてきた技が、けっして無駄なんかじゃなかったって。例え誰かに責められても、自分で自分を許せなくなっても、
それはアナなりの、俺の心の闇を見た事への気遣いだったのだろう。
だから俺が付き添いになると言った時も、アナは反対しなかった。見知らぬ男の提案する訓練にも文句を言わずに従った。
やはり……普段から憎悪を滲ませる相手以外には、アナはとても優しい子なのだろうな。だからこそ、
「俺は、そんな風に気遣われるような男じゃないよ」
「カイト……」
「さあ。そろそろ休憩は終わりだ。次は少し実戦的な技に挑戦してみようか」
「……うん」
なんとしても、この子を死なせる訳にはいかない。
“
俺はそっと展開された予言板の内容が変わっていない事を確認し、改めて気合を入れ直しながら訓練を再開した。
その夜。
「うっ……うわああああああっ!?」
「アナっ!? アナっ!? 気をしっかり保つんだっ!?」
アナの“憤怒の狼”が、暴走を開始した。