始まりは突然だった。
夕食を終え訓練も終了し、俺が諸々の準備を済ませていた時の事。
「あ、あああアアアっ!?」
急に自室にも響く絶叫が外から聞こえ、俺とヒヨリは慌てて飛び出した。
『開斗様。今の声はっ!?』
「……っ!? アナだっ!?」
分かっていたんだ。予言板に載っていたように、アナが何かの理由で自らのスキル“憤怒の狼”を近い内に抑えきれなくなる事に。
何故かこれまでとは違い日時までは書かれていなかった。なのでいつそうなっても良いように、出来るだけアナの身体の調子を整える事を優先してここ数日過ごしてきた。だというのに、
「アナっ!? 入るよっ!?」
緊急事態なのでノックは省略。アナの部屋に押しかけるとそこには、
「うっ……うわああああああっ!?」
ベッドの脇で倒れ、汗びっしょりで魘されるアナの姿があった。
『アナちゃんっ!?』
「アナっ!? アナっ!? 気をしっかり保つんだっ!?」
急いで駆け寄り声をかけるが、アナは意識を失ったままで起きる気配はない。これは、
『あら……予想はしていたけれど、どうやら間に合わなかったようね』
「……ジャニス様。今アナに何が起こっているか、ご説明願えますか?」
そこに音もなくやってきたジャニス様が静かに告げる。俺はアナをベッドに横たえながらジャニス様に尋ねた。
『良いわよぉ。簡単に言うと、前にアナタが口にした予言の通り。アナの中の“憤怒の狼”がアナ自身制御できないほど成長してしまったの。このままでは間違いなく内側から“憤怒の狼”に食い殺されるわねぇ』
『何をそんな悠長な態度で……ジャニス様っ!? この子は一応アナタの勇者候補なんでしょ!? もうちょっとこう心配するとか』
『心配? そうね……残念ではあるわよ』
食って掛かるヒヨリに対し、ジャニス様はほんの少しだけ物憂げな顔をする。
『アナは気に入っていたし、復讐が成るよう手助けもしたわ。もうすぐ始まる勇者との戦いはその第一歩だった。でもその復讐の相手にも勇者にも、今のままではその牙は届かない。だからワタシは届かせるべく無理をさせて、アナはそれを断らなかった。
『ワタシが残念と言ったのはアナの命じゃない。アナが復讐を成す前に限界を迎えてしまった事。それが残念で、少しだけ興覚めだったわね。せめてあと数日保てば勇者との一戦には間に合ったのに。……これでブライトとのデートは無効試合。アナタ達との契約も終了ね』と、軽く顔を伏せて横に振るジャニス様にさらにヒヨリが物申そうとして、
「ジャニス様。続けてお尋ねします。……
俺の言葉にジャニス様は僅かに眉を上げる。
『……あるにはあるわよ。けれどそれは神族や超越者では出来ない。かと言ってただのヒトでは十中八九
「やります」
『開斗様っ!? ……おやめください。いくらなんでもそれはダメです』
ジャニス様の言葉に食い気味に頷くと、ヒヨリがそれまでとは一転してどこか静かに諭すような、それでいて感情を押し殺すような声を上げて俺の目の前に飛び出す。
『ワタクシからのご依頼をお忘れですか?
確かにそうだ。一般的に見れば理があるのはヒヨリの方だろう。一体どこの誰が、元々自分が守るべき対象に牙をむく相手を身体を張って助けようというのか。
『予言にあったように、最初からここでアナちゃんは限界を迎える可能性が高かったんです。断じて開斗様のせいではありません。ジャニス様もそれが分かっていたから罰則を設けてはいません。……ですからっ!?』
「いや、それは違うよ」
ヒヨリの最後の言葉に一瞬感情が滲んだのを見て取り、俺はゆっくり首を横に振る。
「俺のせいでとか、そんな気持ちで一緒に居ようとは最初から思っていない。俺が助けようとするのは、どこまで行っても俺の我儘だ。ヒヨリも俺の心の闇を見たのなら分かるだろ?」
夢も生き甲斐も失った、古い友人にも知り合いにも元生徒にも心配をかけながら惰性で生きているだけの俺だが、それでも譲れないものくらいはある。
「目の前でこれ以上子供が傷つくのを見過ごせない。俺みたいな男が命を懸けるだけでどうにか出来る可能性があるなら……そうするだけなんだよ」
『それで、
ヒヨリは更に鋭い言葉を俺に叩きつける。
『開斗様のその自己犠牲。なるほど一見お美しい。ですが、最悪死んでしまった時残された方がどう思うかお考えになった事はございますか? ユーノちゃんやライ君や多くの方が悲しむとは考えないのですか?』
俺はそれを聞いて想像する。あの二人やバイマンさん。村の人達には世話になった。確かにあの気の良い人達なら、僅かな期間とはいえ知り合った俺の事も悲しむだろう。でも、
「それは前提が異なるよヒヨリ。俺は命を懸けるつもりはあるけれど死ぬつもりはない。死んだら……
そう言って笑ってみせると、ヒヨリは一瞬何とも言えない複雑な顔をして、
『…………はああぁぁっ。ああもうっ! 薄々分かっていましたが、開斗様にご依頼したのはワタクシの間違いでしたっ! 予言で分かる危険を避けるどころか自分から命を懸けて突っ込んでいくおバカな方じゃ、勇者が育つ前に命が幾つ有ったって足りませんよまったくっ!?』
そう大きなため息と共に盛大な愚痴をひとしきりこぼすと、俺の肩にすっと留まる。
『まあそんなアナタを選んだワタクシもおバカという事で、こうなったらおバカ同士とことんやってやろうじゃありませんか! アナちゃんを助けつつ、ユーノちゃんとの衝突も何とかこう……上手い事丸く治める手を考えるとしますよ!』
「ああ。頼むよ。俺一人じゃ出来る事には限りがあるからな。……お待たせしましたジャニス様」
俺はそのままジャニス様の前に進み出て頭を下げる。
「改めてアナを助ける方法をお聞かせ願いたい。ジャニス様もその方が宜しいのでしょう?」
ジャニス様は何も言わず、そのまま口角だけをにたりと釣り上げる。
それはまるで女神というよりも、どこか人を惑わし、操り、それでいて時には知見を授ける……悪い魔女のようだった。