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目を閉じると、いつもあの時の事を思い出す。
わたしには何も出来なかった。
村を守るために戦いに出て、そして斬り殺された父を助ける事も。
わたしを床下の隠し部屋に逃がし、敢えてその上で殺される事で入口を隠した母を救う事も。
一緒に遊んだ友達も、お使いに行ってはおまけをくれる雑貨屋の主人も、隣の家の気難しいけど実は優しいお爺さんも、全て、全て、全て見捨てて。
外からの悲鳴と怒号だけが聞こえてくる隠し部屋の片隅で、一人震える事しか出来なかった。
これは悪い夢なんだと、目が覚めたらなんでもない明日がまた来るんだと必死に自分に言い聞かせて。
“悪い夢? 違うな。これはどこまでも現実だ”。
“お前の大切な日常は奪われた。それを成したのは憎き神族の手駒達。ひいては神族である”。
“怒れ。もっとだ。もっと深く怒れ! お前の大切な者共を踏みにじったモノに。理不尽な今にっ! 世界への圧制を強いる神族にっ! 痛みを、憎悪を、悲嘆を、怨讐を、自らに刻まれたそれらを、怒りと共に燃やし叩きつけろっ! ……神族、滅ぶべしっ!”。
その声が体の内側から響く度、わたしは思い出し続ける。
あの時の景色を。あの時の悪夢を。あの時の……怒りを。
『本当にそうか?』
どこからか、狼の遠吠えを思わせる声が聞こえた。
『我が宿主よ。俺はお前の中に住み着いた時からずっとお前を見てきた。その上で一つ問おう。……
ふと気づけばここは真っ暗な世界。
そして目の前で、一頭の黒い狼がまるで見定めるようにこちらを見据えていた。
『お前の大切な者を奪った神族達への怒り。それは間違っていない。だが、本当にそれだけか?』
「……そうだ。それ以外に何があるっ!」
『ならば何故、俺はお前が
黒狼の言葉にわたしは押し黙る。
『あの暗い地下室で“
黒狼はその名に似合わず理性的に……いえ、静かな怒りと理性を同居させたように語り続ける。
『そこで最初の問いに戻るのだ。お前の怒りは何か? お前が今もっとも怒りの対象としているのは何か? それは』
「分かってるっ!? ……分かってた。わたしが一番許せないのは神族じゃない。実行犯ですらない。許せないのは…………
ただ守られるだけの自分が許せなかった。
わたしの居る村を守って死んでいく父の顔が、わたしを身を挺して隠してくれた母の顔が、今でも瞼の裏にちらついて離れない。
力のない自分が許せなかった。
わたし一人の力でどうにかなったとは思えない。けれども、力があれば何か出来たかもしれない。
誰か一人でも、ほんの僅かでも、大切な何かを……守れたかもしれない。
だからこそ、わたしは自分自身の弱さに、不甲斐なさに、怒っていたんだ。
それをわたしは見て見ぬふりをした。神族という分かりやすく強大で、怒りをぶつけやすい相手に全てをぶつけた。
力を求めてジャニスに従っていたのも、どんなに苦しく辛い毎日でも構わなかったのも、それが
『……良いだろう。やっとお前は自分の怒りと正しく向き合った。ならば……ここからはお前に選択を委ねよう』
黒狼はそう言うと、顎でどこかを指し示す。そこには二つの景色があった。
片方はわたしの部屋。そこではジャニスが誰かと向かい合って話をしていた。
もう片方はかつてのわたしの村……によく似たどこか。そこでは黒い靄のような巨人とカイトが戦っていた。
『片方は
『もう片方はより深い夢への道。そこでは今もなお、俺の片割れと戦い続ける者が居る。もはや勝敗に特に意味はないが、それでも……そうだな。奴もまた、己の怒りに向き合っている。誰かのための義憤ではなく、自分自身のための怒りと。助太刀に行くというならそれもまた良い。ただ、その場合俺との繋がりがより強固になり、いずれはシステム通りお前の怒りごと心身を内から食い破るかもしれん』
そう語る黒狼の目に、ほんの一瞬だけ何とも言えない色が見えて、すぐにまたこちらへと向き直った。
『安寧への道と戦いへの道。どちらを選ぶかはお前の自由だ。好きにするが良い』
「……ええ。好きにする」
わたしが迷ったのは一瞬の事。選び歩き出したのは、
『……
「そう。それもある。でも、それだけじゃない」
呆れたような声の黒狼に、わたしは薄く笑ってこう返した。
「もう、わたしは大切な者を失いたくない。だから今度こそ、共に戦って守る。これまでの自分に怒って、怒って、怒って……最後には自分を
黒狼はそれを聞き、何も言わずにニヤリと笑った。
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“こんな……こんな筈はないっ!? 何故宿主が目を覚ましたっ!?”
「何が問題? 無理やり悪夢を見せて力を吸い上げていたお前との繋がりが断たれたから、こうして目を覚ましてやってきただけの事。……夢の中で目を覚ますというのも変だけど」
『そして、その分まだ残っていた俺との繋がりを強めた。そうすればこういう事も出来る。宿主を契約相手ではなく単なる糧としか見ていなかったお前では思いつかなかったかもしれんがな』
起き上がったアナに巨人は狼狽するが、アナと黒狼はどこか嘲笑するようにそう返す。
「そしてさりげなく戦っている最中に俺にこの事を伝え、黒狼はずっと隙を窺っていたという訳だ。お前が追い詰められたらまた最後にやらかすと踏んでな」
俺はゆっくりと直剣を大上段に構え、ふぅ~と呼吸を整える。
“なっ!? ……こ、このっ!? 放せっ!?”
『逃がさんぞ』
巨人は慌てて憤怒の衝撃を放とうとするが、首に渾身の力で食らいつく黒狼が邪魔して上手く行かない。そんな中、
「……今この一時のみ、この剣は聖剣へと昇華するっ!」
キンっ! というどこか澄んだ金属音と共に、俺の持つ直剣を薄い光が膜のように覆い、それに応じて身体が少し軽くなる。
「アナっ!」
これは聖剣昇華。勇者が使える秘法であり、この場では使えるのはアナのみ。しかし以前とは違い闇ではなく光を纏わせた事を不思議に思って声を掛ければ、アナは軽く首を横に振る。
「術を掛けたのはわたしだけど、その力はジャニスの物じゃない。……あの子の、最後の餞別」
その言葉にハッとして振り返れば、そこにはすっかり朧げながらも残った手でガッツポーズを決めるヒヨリの姿があった。
『あとは、開斗様にお任せしますね』
「……ああ。任せろっ!」
ダッ!
“待て。待て待て待てっ!? 止めろっ!?”
駆け出す俺の姿を見て自分の末路を悟ったのか、巨人は惨めったらしく喚きたてる。
ダッダッダッ!
“私こそ“憤怒の狼”。世界に圧制を敷く神族を穿つ大罪の牙なのだぞっ!? 私が消えてはそれこそ世界にどんな影響が出るかっ!? ……そうだっ! お前も神族に怒りを覚えないのかっ!? 世界で我が物顔に振る舞う神族達を討とうとは考えないのかっ!? それならば私達は同士の筈だっ! 何ならお前を新しい我が宿主として従ってやっても”。
「うるさい。まず命乞いより先に、お前が散々食い物にしてきた者達への謝罪が先だろうがっ!」
ダンっと高く飛び上がり、俺は渾身の力を込めて巨人の顔面に向けて剣を振り下ろす。
「これはそんな人達と、友人を傷つけられた俺の怒りだっ! めええええんっ!」
“うぎゃあああああっ!?”
ザンっと巨人の顔面から入った刃は剣自身と俺の重みと怒りを乗せ、そのまま唐竹割りに巨人を両断した。