勇者の守り手と勇者候補の戦いは、先ほどとは打って変わり一方的な展開を見せていた。
「……シッ!」
「くっ!?」
アナの苛烈な攻めを、ライはやや大きすぎるほどの動きで回避する。先程からその繰り返しだ。
『うおっ!? オレ様の整った毛並みがぁっ!?』
「リアっ!? ……はあっ!」
今もまた、アナの一閃がリアをかすめ真っ赤な毛がパラパラと宙を舞う。そこに反撃しようとするライだったが、
『フッ!』
とぷん。
アナを背に乗せたまま、黒狼が再び影へと潜り姿を消す。
そう。こうしてアナ達が一撃離脱を繰り返す事から、ライ達は苦戦を強いられていたのだ。
勿論それだけならライにも手の打ち様はあった。被弾覚悟でカウンター気味にアナなり黒狼なりに一撃見舞う事自体は容易だ。だがライにはそう出来ない理由があった。それは、
「リア。毛はともかく直撃はしてないよな?」
『まぁにゃ。してたら流石のオレ様もこんな余裕は見せていられない』
「ああ。まさか
ライが愚痴るのも無理はなかった。なにせ今のアナは、
「今この一時のみ、この短剣は聖剣へと昇華する」
片手には触れたモノを侵食破壊する闇の聖剣。そして、
「先に言っておくわ。
口元に年相応とは言い難い妖艶な笑みを浮かべながら、もう片方に勇者をも縛る猛毒の短剣をくるりくるりと手で弄びそう宣言したのだから。
聖剣と剣で打ち合えば破壊は必定。身体に毒短剣がかすりでもすれば戦闘不能は必然。
真っ向勝負でならどちらもさせずに打ち勝つ自信がライにはあったが、影から影へ神出鬼没に出入りし奇襲されるとあっては回避に徹するしかなかった。とはいえ、
「……ふぅ」
『大丈夫か? 我が宿主よ』
「平気。……少し、疲れただけ」
アナと黒狼も、決して楽勝という訳ではなかった。
勇者の力の一つである聖剣昇華。それを常時続ける負担は大きく、アナの方もライの一撃が直撃すれば戦闘不能になりかねない耐久力しかないため精神的にも疲労している。
そして黒狼の用いる魔法“
少しでも集中力が途切れれば逆転されるのは実はアナ達の方。しかしその事をまるでライ達に悟らせないのは、ジャニスの下で鍛え上げられた胆力によるものだろう。
しかし如何に薄氷の上のような、或いは綱渡りのような有様であろうと、現実に今優勢なのはアナと黒狼の側。このまま進めばいずれはライかリアのどちらかが一撃を受け力尽きる。……その筈だった。
「リア。そろそろ行けるか?」
『あいあい! 細工は流々。後の仕上げはお前さんにってにゃ! 仕掛けるタイミングを見誤んなよ』
「毎回お前の言い回しはイマイチ分からないけど、要するに行けるって事な。……じゃあ、次で仕掛けるぜ!」
ここから、勇者の守り手の反撃が始まる。
ザンっ!
『ウニャァッ!?』
黒狼の爪が傲慢の獅子……リアの皮膚を掠め、悲鳴を後に再度影へ潜る。先ほどからその繰り返し。黒狼がアナを乗せて縦横無尽に奇襲をかけ、その度ライ達の心身を削っていくのだが、
『妙だな』
影の中で機を伺うアナ達だったが、そこでふと黒狼がそんな声を零した。
「……何かあった?」
『
アナの怪訝そうな声に、黒狼はどこか懐かしむような表情を見せる。
『奴は一見ちゃらんぽらんだがその実相当な策士だ。それにしてはさっきから防戦一方。何を企んで』
ちろちろ。
一瞬、闇の中に
(光? ……はっ!?)
「いけないっ!? 黒狼。高速浮上っ!」
アナが鋭い声を上げ、一拍遅れて黒狼は『そういう事かっ!』と影から急浮上し始める。それは、
『影から……追い出されるっ!?』
その頃、リングは
リングの所々に真っ赤な火の粉が舞い、どこか幻想的とさえ言える中で、
『にゃ~っはっはっは! 燃~えろよ燃えろ~よってにゃ!』
「あちちっ!? こっちもちょっと熱いぞっ!?」
炎を正しく煽るように笑うリアと、自らにも降る火の粉をぱたぱた払うライの姿は一層際立っていた。
『それは錯覚にゃ宿主さん。
「気分的にでも熱いってっ!? にしてもまさか、そこら中に舞っている毛がこんなに燃え盛るなんて驚いたよ」
そう。燃えているのは正確にはリング中に散らばるリアの毛。リアの意思一つで自在に発火、鎮火する仕掛け焔。
これまでの戦い、リアはわざと攻撃を肉体に当たるぎりぎりで受け、気づかれないように毛を撒き散らしていた。全てこの一瞬、逆転のチャンスに繋げる為。
『炎の光は影を生み出すが、同時に影を照らす物でもある。こう滅茶苦茶に照らされちゃおちおち影に潜んで居られない。……さあ! オレ様は炎の制御で忙しい。バッチシ決めてきな!』
「おう!」
ライは瞳を閉じ、大きく息を吐いて神経を集中させる。聞こえるのは大気の揺らめく音。炎の燃える音。リアの身じろぐ音。己の鼓動と呼吸の音。そして、
ゆらり。
「捉えたっ! 三秒間。その俊足はイダテンの如し」
一瞬水のように揺らいだ影。そこから出てくるという予兆を捉え、ライは目を見開き駆ける。
『くっ!?』
予想は的中。一拍を置いてその場から、黒狼に乗ったままのアナが飛び出した。
あのまま影の中に居ては余計な消耗と精神力の枯渇を強いられていたため、その判断は間違っていない。だが、
「なっ!?」
「はあっ!」
待ち構えていたライに気づくまでの一瞬、アナ達は完全な無防備。それを見逃すライではない。
キィン!
一閃。澄んだ金属音と共に、ライの振るう鉄剣がアナの毒短剣を弾き飛ばす。そして、
『これ以上はやらせんっ!』
ブオン。ガキンっ!
返す刀のもう一撃は、黒狼の爪で受け止められる。だが、
『おっと。オレ様を忘れちゃ困るにゃ』
ザンっ!
そこに炎の制御を止めたリアが強襲。鎮火し始めるリングを駆け抜ける一撃が、黒狼の脇腹に文字通り爪痕を残した。
『ウグッ……オオオオっ!』
「やっ!」
黒狼はそこで痛みを堪えながら決死の咆哮。至近距離で受けて一瞬ライとリアの動きが止まる中、渾身の力で距離を取りつつアナは懐から短刀を投擲。
流石にライ達もそれ以上の追撃は出来ず、両陣営は距離を取って再び向かい合う。……だが、
『おいワン公。そろそろ諦めな。その程度の傷は大罪の獣にとっちゃどうって事はないが、それでも集中力は落ちる。もう自分だけならともかく、相方を連れて影に潜るなんて芸当は出来ないね』
リアの言葉に、黒狼も図星ではあるのか脇腹の怪我から黒い靄を噴き出させつつグルルと唸る。
そしてアナもまた、その手に残るは聖剣と化した短剣と、ローブの中に仕込んだ投擲用短刀数本のみ。
まともに戦えば油断なく剣を構えるライに分があり、リアが言うように勝敗は決したかに見えた。だが、
(宿主よ。……
そう頭に直接響く黒狼の言葉に、アナは一瞬瞑目する。そして、
「ねぇ。結論を出す前に、一つ聞かせてほしい事があるの」