「何だよ? 聞きたい事って」
アナの問いかけに、ライは構えは解かないがどこか余裕を持ってそう返した。
「さっきの一撃。何故
先ほどの一瞬、アナ達は完全に虚を突かれていた。胴体や頭を狙えばそこで勝負は着いていた可能性もあったのだ。
だが実際は毒短剣を弾かれ、二撃目もライはアナの持つ聖剣。正確にはその持ち手を狙っていた。黒狼が防がなければ聖剣も取り落とし丸腰になっていただろう。……だが、
「ずっとアンタはあたし自身への攻撃を避けていた。もしくは当たっても大事ない場所だけを狙っていた。……何故?」
馬鹿にしているのかと言外に怒りを混ぜて問いかけるアナに、ライはどこか不思議そうな顔で返す。それは、
「だって、
ライの言葉にアナは少し目を見開く。
「……一応言っておくけど、それは神族同士の建前よ。特にジャニスからしたらね」
「本音がどうだろうが建前は建前。そっちは勇者候補で、
アナはちらりとリングの外、実況の神族二柱が見守っている方を見るが、その二柱はどこか上の空といった感じ。
「勿論怪我は覚悟の上だし、打ちどころによっては死んでしまうかもしれない。でも殺そうと思って切りかかりはしないよ。……そっちもそのつもりだろ?
ライはごそごそ片手で懐をまさぐり、一通の手紙を取り出す。それは以前神族同士の茶会でブライトが帰る間際、開斗がライ達へと託した近況や伝えたい事を書き込んだ物。
「先生が知らせてくれたからな。……“アナは悪人じゃない。信じられないようなら試合の中で見極めてほしい”って」
「それで? わたしが悪人じゃなさそうだから加減したとでも? 舐められたものね」
「いいや。加減はしてないさ。死ぬかもしれない攻撃をしないだけで最初からずっと本気だよ。じゃなきゃ切り札の“傲慢の獅子”だって使わない」
『ついでにオレ様も言った筈だぜ? 良い試金石になってくれよってさ。ガチの殺し合いならオレ様がそんな事言う訳ねぇだろ』
アナが鋭い目で見つめる中、ライはまっすぐその目を見据えながら返し、ついでリアもまるで子猫のように顔を擦りながら追随する。
「多分お前ならユーノとも殺し合いにはならないと思う。でも一度戦うって決めた以上負けるつもりもない」
そう言ってライは手紙を仕舞うと、一歩力強く前に踏み出す。
「降参するなら良し。しないなら……はっきり負けって分かるまで完膚なきまでにオレが勝つ。どうする?」
そこで広がるのは一瞬の静寂。黒狼が黙って見守る中、アナは少し考えて、
「……そうね。武器も片方飛ばされ、黒狼もわたしを連れた潜影は難しい。勝ち目は薄いわ」
そう言うと、アナの持っていた聖剣が纏った闇が霧散していく。
「聖剣を解いた……それじゃあ!」
「勘違いしないで。聖剣を解いたのは、このスキルと勇者の力は併用が難しいから。……黒狼っ!」
『おう!』
一瞬アナが降参するのかと期待したライだったが、黒狼が寄り添うようにアナの下に移動するのを見て顔をしかめる。まだ戦う気だと分かったからだ。そして、
ズズっ!
『……っ!? おい宿主さんよっ!? こいつはちょいとマズいにゃっ!?』
「ああ……分かってる」
アナの身体から以前式典で戦った時のような雰囲気……破壊と憤怒の衝動が周囲に放たれ、慌ててライ達は警戒する。
「アンタの気持ちは分かった。無暗にヒトを傷つけようとしない所はカイトの教え子だけある。それに理由はともかく、一度戦いの中で貸しを作ってしまった。だから先に言っておく」
アナはそう言うと僅かに、ほんの僅かにだけ口角を上げ、凄味のある微笑みを見せた。
「……
降伏勧告。自分の側からしていた事を、今度はアナの側からしてきたことにライは驚きを隠せない。だがアナの表情は真剣そのものだった。
「吹き飛ばすって」
「わたしは必ず勇者に成る。降参なんかしない。その為なら……ここで切り札を切る事も厭わない」
その瞬間、黒狼が黒い靄に覆われる。そして気が付けば、
それはアナの精神世界に居た巨人の姿。しかし黒狼が変じたそれは、憤怒を静かに制御していた。
「“憤怒の狼”の権能。それは受けた痛みや感じた憤怒を溜め込み放出するモノ。今からわたしはこの戦いで溜まった分を解き放つ。リング外は壁があるから被害は出ないでしょうけど、内側は確実に避けられない。その威力は……そうね。
アナは一瞬だけ間をおいてそう付け加えた。だが、ライはそれを聞いて少しだけ微笑む。
「やっぱお前悪い奴じゃないよ。本当に悪い奴ならわざわざ降伏勧告なんかしないだろ?」
「単に降参してくれた方が無駄な消耗をせず勇者に挑めるというだけよ。ただ降参しないなら容赦はしない。今のアンタなら全力で防御すれば死にはしないでしょ。それでも戦闘不能は免れない……黒狼っ!」
『……ああ』
巨人に変じた黒狼が拳を握り力を溜める中、ライ達は動けなかった。下手に攻撃を加えればそれだけで爆発しかねなかったからだ。
(どうする宿主さんよ。オレ様の見立てだと、確かに今のワン公の一撃はこのリング内じゃ逃げ場がない。勿論向こうもタダじゃすまないだろうが、こっちはオレ様ごと吹っ飛ばされて終わりだな)
「さあ。降参か敗北か。……返答は?」
冷静なリアの見立て。そしてアナの静かな問いかけに、ライの脳裏に次々と考えが浮かんでは消える。
ここまでやったならもう十分じゃないかという妥協。
降参しても許される場面という甘え。
この技を使う時点でアナも消耗は避けられず、次に戦う
それらが流れ流れて、最終的に一つの結論に辿り着く。それは、
ガツンっ!
「なっ!?」
『……っ!?』
『にゃっ!? 宿主っ!?』
その場にいた誰もがライの行動に目を丸くした。ライが突然自分の額を殴りつけたのだ。
「いててて……だが、これでしゃきっとしたぜ。降参とか敗北とか、そんなの考えていた自分はこれでサヨナラだ」
そこでライは、獰猛な笑みを浮かべてびしっと指をアナに突きつける。
「憤怒だかなんだか知らないが使うなら使うが良いさ。最初から最後まで、オレは勝ちしか狙ってないぜ! 降参も敗北もするもんか」
「……そう。なら覚悟する事ね。うっかり死んでしまわないように、全力で防ぎなさいっ!」
アナはそう言って巨人となった黒狼の肩に飛び乗り、黒狼は大きく腕を振りかぶる。
『合わせろ宿主。この一撃は、我らが憤怒っ!』
「あたし達の討つべき者と自らへの憤怒を乗せた拳。今ここで受けるが良いっ!」
「『
ドゴオオンっ!
巨人とアナの憤怒を込めた一撃がリングに叩きつけられ、その衝撃が波となって周囲に放たれた。一瞬ごとにリングを捲り上げ、全てを薙ぎ払っていく衝撃波がライ達に迫る。
『おいおいおいっ!? 来るぜ宿主さんよ。何か手はあるのか?』
「リアが手伝ってくれるなら一つ。だけど滅茶苦茶無茶する。……ぜ~ったい後でユーノや皆に怒られると思うから、リアも一緒に謝ってくれ」
『OK。実を言うと、さっき勝ちを諦めなかったのは気に入った。……きっちり付き合ってやるからよ。勝ちに行こうぜ!』
こうして、最後の長い一瞬が始まる。