「少しで良い。時間稼いでくれっ!」
『アレ相手にぃ? 無茶言うにゃぁ』
瞳を閉じ瞑想するライにぼやくリア。リングを粉砕しながら憤怒の衝撃は目前に迫っていた。だが、
『ハアアア……ウニャァっ!』
ボウッ! ザザザザンっ!
突如リアの毛並みが炎を帯び、炎ごと爪を衝撃波に向けて振るう。一、二、三、四。振るう度に炎の爪撃が衝撃波に向けて飛ぶ。しかし、
『ムダだ。我らが憤怒。そう簡単には止められん』
そう黒狼が呟くように、衝撃波にぶつかる度に炎の爪撃は砕け霧散する。それは一見何の意味もない悪あがき。だが、
『はっ! 舐めてもらっちゃ困るなワン公』
ズガガガガっ!
それは、直接衝撃波とリアの爪がぶつかり合う音。瞬く間に爪は削れ、纏う炎は消え去り、皮膚も肉も裂けていく。しかし獣は不敵に笑う。
『オレ様はいずれ神族を打倒し最強の座に至る者。それが宿主の願い程度容易くこなせなくてどうするよぉっ! ウニャァアっ!』
たった数秒。しかしリアにとっては長い長い数秒が経ち、
「七秒間。
『……チッ!? どうなっても知らないぜっ! 承認するっ!』
後方から聞こえた大それた願いを、リアは舌打ち交じりに叶えてみせた。それは、
「今この一時のみ、この剣は聖剣へと昇華するっ!」
聖剣昇華。全身に赤い靄を纏い、リアの炎が刀身を包む聖剣を手にライが疾走する。
「待たせたな」
「ぶちかましてきにゃ!」
すれ違い告げる言葉はそれだけ。ライは炎の聖剣を迫る衝撃波に向け、
「勇者じゃなきゃどうにもならないって話だったな。なら……
ズバアアンっ!
その疑似勇者の一撃は、見事憤怒の衝撃を波を割るように両断した。その間をライは足を止めずに直進する。狙いは憤怒の衝撃を出して疲労しているアナと黒狼のみ。
「なっ!?」
その接近にアナ達が気が付いた時、ライは目前に迫っていた。だがその手に聖剣はない。疑似勇者の聖剣昇華では、憤怒の衝撃を両断した時点で剣自体が耐えられなかったのだ。
残るは己の身体のみ。だがライには最後の武器があった。それこそは、
『クッ!? ならば』
『させるかよっ!』
ボンっ!
疲労を押してライを止めるべく拳を振るわんとする黒狼だが、リアもほんの僅かに黒狼の近くに残っていた自らの毛を発火させて妨害する。そして、
ガシッ!
「これで……決めるっ!」
ライは殴りかかると見せかけ、ギリギリで拳を開いてアナのローブを掴み腕ごと巻き込んでいく。開斗から教わった柔道の技だ。丸腰の状態でも使える無手の技。この体勢に入った時ライは勝利を確信した。
「それを待っていたっ!」
「……えっ!?」
そのローブを掴む腕が、ぬるりと逆に絡められるまでは。
(これは……
そう。アナはずっとライが柔道の技をかける瞬間を狙っていた。
たった数日。しかし数日もの間、アナは開斗から柔道の手ほどきを受けた。当然普通にライと同じ内容を教わっては勝ち目はない。かけた時間も才能もライの方が上だと開斗のお墨付きだ。なのでアナが教わったのは、受け身と
と言ってもまず使わないというのが開斗の見立てだった。何せ柔道を知っているのはおそらく自分とライのみ。おまけに剣があるのにわざわざ使う機会などほぼない。
だが付け焼刃であってもアナはその僅かな可能性に賭けた。少しでも開斗から教わった技を自らの糧にし、開斗がやってきた事は無駄ではなかったと証明したかった。その結果が……これだった。
完全に虚を突かれ、一瞬硬直したライの腕をアナは逆に自分の側に巻き込んでいく。あとはそのまま倒れ込みつつライを叩き伏せるだけ。
(ああ……これはダメだな)
ライは敗北を覚悟した。あと三秒もしない内に疑似勇者の力も切れる。そうすれば反動で敗北は必至だ。
しかし不思議とそれもアリかとライは思っていた。大罪の力や勇者の力ではなく、
巻き込まれた腕が引かれる感覚。それがこのまま肩から全身へ伝わり体勢を崩され投げられる前兆だと、ライははっきり感じとる。
(ごめんなユーノ。リア。先生。皆。……オレ、どうやら負け)
「兄さんっ!」
どこからか、大切なヒトの声が聞こえた気がしたとライは思った。そして視線の先、リングの外にちらりと
開斗は何も言わず戦いを見守っているが、ユーノは必死に声を上げていた。壁が隔てているというのに……ライにはその内容が聞こえた気がした。そう。
「兄さんっ!
「ふんっ!」
ガシッと力の抜けかけていた手でアナのローブを掴み直し、その行動にアナの表情がピクリと動く中、ライはその言葉を口にする。
「
『承認するっ!』
ズンっとライは残った疑似勇者の力を足に込め、崩れかけていた体勢を無理やり固定。重心を崩せず一瞬戸惑うアナの身体全体を自分ごと巻き込み回転させる。
「これ……はっ!?」
スパン。ブオンっ!
崩そうとした足を逆に払われ、絡めていた腕はいつの間にか相手が投げられやすいようにずらされ。自らの身体が宙に浮くのを感じながら、一瞬ライの動きがアナの目には開斗にダブって見えた。
「悪いな。今の勝負は完全にそっちの勝ちだった。でも、
ズダァンっ!
「かはっ!?」
壊れかけながらも僅かに残っていたリングの床に、アナが勢いよく叩きつけられる。受け身こそ取れていたが、その身体がもう戦えない事は明らかだった。つまり、
「この試合、オレの勝ちだ」
「……あたしの、負けね」
勇者の守り手と勇者候補の戦いは、こうして終わりを迎えたのだった。