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第95話 魔女の首魁と異世界の青年

 アレンシールが以前、言っていた事がある。

『一度に沢山の選択肢が出てきた場合、絶対に譲れないものを選びなさい』

 確か、旅に出るより前。オレがエリスじゃないんだって告白をした数日後くらいに、まず何から始めようかって悩んでいる時にアレンシールが不意にそんな事を言ったんだった。

 その時のオレはまだアレンシールが普通に「こっち側」の人だと思っていたから、へー貴族ってそういう取捨選択するんだな、なんて思っていて、ソレ以降はあんまり気にもしなかった。

 絶対に譲れないもの。改めて考えるとオレにとってそれはめちゃくちゃ沢山あって、沢山あるがゆえに何を譲れないのか、何を譲りたくないのかがさっぱり分からなかった。

 でもオレの中での優先順位っていうのは確かにあって、オレの中では自分の優先順位っていうのはみんなが思っているよりきっとずっと低い。

 オレが生きている事で出来る事はいっぱいあるのだろうと思うし、オレが生きているからこそ生かす事が出来ている人だって居るのは分かってる。

 それでもオレは、リリと自分でどちらを選ぶかと言われればリリを選ぶし、アレンシールと自分ならどっちを選ぶかと聞かれればアレンシールを選ぶだろう。

 だってそりゃ、そうだろう。

 オレは出来損ないで、オレがこうやって「すげー」「つえー」みたいになっているのはオレの力じゃなくてあくまでも「エリアスティール」の力なんだから、オレが北条直オレを選ぶ理由なんかない。

 そもそもオレは死人だ。元の世界で死んだオレがこっちの世界でやり直しをさせてもらっているっていうだけの、今後はどうなるかも分からないロスタイム。

 エリアスティールという存在は尊い存在だ。

 でもやっぱりそれは、オレじゃない。


 だから、だから、逃げろと言われても、選ばなければいけないものが沢山ある状態でオレを優先しろと言われても、わかんない。


 オレがここから離脱すればカイウス王子とアレンシールは一気に不利になるだろう。

 奥の部屋でまだ生きているかもしれない侯爵たちを助ける事も出来なくなるかもしれない。

 リリたちの方へ逃げたなら、彼女たちだって危ないかもしれない。

 そんな状況で、きっとオレがオレを守ろうとしなければどうにかなるかもしれない場面で、オレはオレを守ろうなんて、どうしても思えなかった。


 オレを見下す父の目を思い出す。

『認められるまで戻ってくるな』

 父のそんな言葉はオレの心に突き刺さっていて、認められるってなんだろうって、徐々に死んでいく精神を抱えながらずっとずっと、考えていた。

 今のオレは、認められている?

 エリアスティールじゃないオレは、誰かに「北条直オレ」として認められた事なんて、ある?

 オレがここで逃げても、みんな許してくれるのかな。オレのせいで誰かが死んでも、大丈夫だって、仕方がなかったって、言ってくれるのかな。

 エリスじゃなくて、オレでも、誰か、言ってくれるのかな?

 オレが、オレなんかでも、オレが、オレ、


『落ち着け』


 オレでも、オレを、誰かが、


『大丈夫だから』


 許してくれる?

『良く見ろ……見えるか? 多分、同じ【魔女】なら見えるんじゃないかな……』

 乱れ始めていた息を、肩を上下させながら落ち着かせていく。痛い。痛いけど、一周回ったのかなんだか妙に頭がツーンとして冷静になったというか、一個壁の向こう側に行ったような、そんな、気持ち。

 なんでアイツの言葉を今耳元で囁かれてるみたいに思い出されるかも、よくわからない、けど、


ろ』


 一度目を閉じて、もう一度開く。まるで意識していなかったのに、腕がなくなったせいか目元がパチパチして、魔力が目に溜まっているみたいなズンとした重みがあって、なんだか虹色の膜が部屋の中にかかったような、そんな風に、見えた。

 なんか、なんだろう、シャボン玉みたいな。

 そう、そういえば昔一度だけ、シャボン玉がやりたくて、滅多に言わないワガママを言った気がする。確か、多分、おじいちゃんとかその辺の人に。両親がオレのためになにかしてくれるとは思えなかったから、モジモジしながらおじいちゃんに言ったんだ。

 父方の祖父で、頑固で気難しくて昔は教授をやっていたとかで、父親すらも頭が上がらない、そんな人。

 でもおじいちゃんは、確か、石鹸液かなんかで作ったシャボン液をオレにくれた。シャボン玉はどういう原理で出来ているとか、そういう解説をしながらだったけれど、祖父と二人で庭で遊んだシャボン玉の記憶はオレの数少ない綺麗な記憶の中に、残ってる。

 シャボン玉は、風であっさり飛ばされて割れてしまったけれど、それだってオレにはどうでもよかった。

 おじいちゃんがオレのお願いを叶えてくれたって事が、シャボン玉を出来たっていう事が、オレにはとにかく嬉しかったから。

 なんか、そう、そんな事を思い出すような光景に、オレは流れてるみたいな虹色の根源を無意識に目で追った。

 風に吹かれて飛んでいってしまうシャボン玉みたいな、流れている動き。

 『同じ【魔女】なら見えるんじゃないかな』って、言葉をなんとなしに思い出しながらそれを目で追っていると、ガシャンって、眼の前に居た白い服の男が凄い音をたてて持っている槍を振るった。

 切り裂かれるソファと、テーブルと、ぐにゃっと逃げるように曲がる、虹色の膜。

 あ、って思った。あ、そうか、って。

 アレはシャボン玉じゃない。「同じ【魔女】」だから気付いた、魔力の流れだ。

「エリス様危ない!」

 リリの声が聞こえてきて、まだ逃げてなかったのかとびっくりする気持ちと、彼女がまた【火】をチャージしているんだろうなって事は何となく、その声色でわかった。

 そうか、そうだったのか。この虹色は、そういう事か。

 振るわれた槍をギリギリで回避しながら、背にしていたカイウス王子の執務机が真っ二つになるのを目で追う。片腕がない分バランスがとりにくくて、尻もちをついてしまったけど逆に丁度いい場所に転がったから良かった。

 リリの【火】のチャージは、そう長い事じゃない。それにきっと、もうすぐこの音を聞きつけて誰かが来てくれる、はず。

「リリ! わたくしが魔術を使ったら2秒待って【火】をうちなさい!」

 また、脳みそがツーンでする。頭痛じゃないなんか変な、不思議な感覚。でもその方が虹色の膜がよく見えて、オレはぶっ壊れた執務机に残った手を置きながらリリに叫んだ。

 自分の声の大きさが分からない。叫んだつもりでも、叫べなかったかもしれない。でもきっと大丈夫。

 そう思いながら、執務机に触った手に魔力を込めた。

 この部屋では、放たれた魔力は霧散してしまう。でも、手の中で爆発させればその限りじゃないんじゃないかって、オレは、さっきぐにゃって逃げた虹色の膜を見て、なんか、そう、思ったんだ。

 飛ばさなきゃいい。

 そんで、あの虹色の膜を、どけちゃえばいいんだ、って。

 だから、オレは右手に滅茶苦茶力を込めて、魔力を込めて、執務机を引き出しの中身ごと消し飛ばすように【雷槍】を打ち込んだ。凄い音だけど、やっぱり頭がツーンてしててあんまり音は気にならない。

 でも、執務机が爆散すると同時にオレに槍を向けてたべムードとかいう男が仰け反ったからラッキーって思った。いつの間にここまで来てたのかは分からなかったけど、ギリギリ生きてるからセーフだ。

 まだ生きてる、って、オレが実感した直後に、べムードの胸から突然剣が生えて、身体が燃え上がる。

 おぉ、って思ってしまったのは、それがオレの言った「2秒後」だったからだ。ちゃんと2秒待って、【火】がべムードを包み一瞬で男の持っていた槍を消し炭にしてしまった。

 背中から生えた剣は、魔力が込められているものだから大丈夫なはず。

「エリアスティール!」

「ジークレイン……お兄様……」

 オレとリリが苦戦したべムードを一撃で始末したジークレインの背後から、ドカドカと騎士たちが入ってくる。やっぱり来てくれた。べムードが開けっ放しにしてたのかはわかんないけど、ドアを開けっ放しにしてりゃ誰かが音もなく来てくれるとは、思ってたんだ。

 机も……それそのものが【魔女の指先】だった机も、壊れれば魔術は使えるようになる。盲点だった。この部屋自体に魔術がかかっているんだと思ってて、一番目立つものがその根源だとは気付かなかった。

 頭を上げているのも重くって、苦痛でのたうち回るべムードの悲鳴を聞きながら顔面からカーペットに突っ伏す。

 どちゃ、って音がして、あぁオレの血のせいかなーなんて、ぼんやり思った。


『落ち着け。大丈夫だ』


 あぁうん……でも、お前がそう言うなら、きっと大丈夫なんだろう。

 オレはぼやける視界をカイウス王子たちの方へ向けようとして、うっかりそのまま膝をついてしゃがみこんでしまった。


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