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第96話 魔女の首魁と生命の終わり

 やばい、この世界で淑女が足を開いて座り込んでいるだなんて大失態だ。とは思うんだが、失血のせいか頭が回らない。

 せめても片方立てていた足を下ろして、両膝でなんとか姿勢を保つ。

 しかしオレがこんなになっても、形勢は一気に逆転していた。

 この執務室を中心とした部屋で魔術が消失する原因となっていた【魔女の指先】を破壊した事でリリが魔術を使えるようになり、ジークレインと騎士たちが入ってきた事でカイウス王子とアレンシールの所への援軍も入った。

 大丈夫だ。もう、大丈夫。

「エリス!」

 そう思った瞬間に頭がぐらんぐらんしてきて、オレは残った腕を床についてなんとか姿勢を保った。倒れそうになった所でギリギリオレを抱きとめてくれたのは、フロイトだ。

 血が止まっていない腕を抱えるように抱きとめたから真っ白な司祭服はあっという間に血で染まっていき、その赤だけがやけにはっきりと見える。

「フロイト……血だけ、止めて下さい……奥へ行かないと……」

「何を言ってるんだ! 大怪我なんだぞっ!」

「腕がなくなった程度では人は死にませんっ。でも、お父様たちが……」

 反論とようとして、また頭がグラッとして今度は後ろに仰け反るように倒れかける。

 今度はリリが走ってきてオレを支えてくれたおかげでそのまま倒れはしなかったが、無様この上ない姿だ。

 しかしすぐにフロイトが傷に触れながら魔術を唱え始めてくれたから、痛み自体はすぐにひいていくのが有難い。腕を再生するのは、現状では無理だろうっていうのはわかっている。

 例えばただ腕をつなぐだけであれば出来ないでもないだろうが、神経を接続し直して動くようにするのはまた別の問題なのだ。

 オレのちぎれた腕はすでにべムードだとかオレの魔術だとかでめちゃくちゃになってしまっているから再接続も無理だろうし、可能性があるとすればフロイトの魔術の腕が成長する事だろう。

 現代医療と、この世界の医療は違う。

 オレやアレンシールは腕を動かすのに骨だの神経だの筋肉だのが動いていると知っているが、この世界の人間の知識では「腕は腕」なのだ。だから、フロイトの魔術で腕を生やす事が出来たとしても、それはただの「腕というもの」であり、「元通りの腕」ではないはず。

 魔術は万能ではないと思うのはこういう時だ。

 漫画だとかアニメの中の魔術は何でも出来るかもしれないし、なんなら聖女だとか呼ばれる人間であったなら千切れた四肢だって再生させてしまうかもしれないけれど、この世界が「現実」になったオレたちにとってその世界は夢の世界でしかないのだ。

 そんでもって、いつだって現実は厳しいもので。

 フロイトが治療してくれている腕は、千切れた所から新鮮な肉が盛り上がってゆっくりゆっくり、塞がっていく。皮膚を再生して傷を閉ざすのは簡単だ。見えるもの、だから。

 でも、中身はやっぱり、無理だろう。

「エリアスティールっ! 大丈夫かっ」

「カイウス王子……」

「……すまぬ、バルハムは取り逃がした。だが肉体は破壊したからもう王宮内には居らぬはずだ」

「肉体は……?」

 リリに支えられながら治療されていく腕をぼんやりと見ていると、カイウス王子が壊れた壁やら何やらを飛び越えて執務室に戻ってきた。

 後方にいるアレンシールはまだなにかに剣を突き刺していて、あの大神殿のときのように念入りに、何かを破壊している。

 アレが、多分、国王陛下の身体だろう。

 バルハムの肉体だったもの。どうやって入り込んだのか、アレは憑依系の魔術なのか、それとも何かの呪いなのか……それは流石に分からないが、実の父の亡骸を息子に始末させなかったのはアレンシールの温情だろう。

 カイウス王子だって、父の肉体だったものと戦って辛かったろうに、それ以上の傷をあたえるのは心苦しいから。

「……奥の部屋へ行きましょう」

「エリス様っ! まだ動いちゃ駄目ですっ!」

「腕の傷は塞がったのでしょう? なら、大丈夫ですわ」

「……傷を塞いでも血は抜けたままだ、エリス」

「……奥を見たら、すぐに戻るから」

 心配そうな双子に手をヒラリとさせて、オレは再び王の寝室へ踏み込んだ。

 こうなってはオレが頑固なのを知っているのか、アレンシールもカイウス王子も特に止める事はせず、ただ足元が崩れているからかカイウス王子が黙ってエスコートをしてくれた。

 血と、衝撃波でズタボロの王の寝室。この国の中で一番防御が堅固な場所だったはずなのに、なんだってこんなボロボロになってしまったのだろうか。

 そもそも、あの衝撃波は魔術ではなかった、っていう事でいいのかな、これって。だって、オレやリリの攻撃魔術が撃てないような場所でも使えたんだから、多分分類的には魔術じゃないんだろう。

 いや、でも、エリスは最初に【火】を奥の部屋に撃った。その後は、撃てなかった。

 その違いは、なんだ?

「ヴォルガは……」

「息はある。大丈夫だよ」

「……はい」

 執務室からどやどやとやってきたジークレインの麾下と思われる騎士たちが、びっくり眼をしながらもヴォルガの応急処置を始める。

 生きているのであれば、フロイトが治療してくれればヴォルガは大丈夫だろう。だが、部屋の隅で立ち尽くしている騎士たちのその足元にいる女騎士にその希望はない。

 一瞬泣きそうになったが、しかしカイウス王子が無言で手を引いたのでオレはやっぱり無言で寝室を進んだ。途中で踏みそうになったのは、多分国王陛下の腕か足だったものだろう。カイウス王子が蹴飛ばしてベッドの方に落ちたから、良く見えなかった。

 あんなものを見てしまうと緊張してしまって、胸が苦しくて、オレは無意識に視線を下に向けていた。

 多分オレは、予感しているんだろう。国王陛下の肉体を乗っ取ったバルハムが、イングリッド女史を殺してヴォルガを撃退してから入った部屋――その部屋に居た人物の生存は、絶望的だと。


「あぁ……」


 消し炭になっていたドア枠を蹴飛ばして一歩中に入ったカイウス王子の口から、ため息のような声がこぼれて落ちた。

 王子よりも先に中を確認していた騎士たちは慌ただしく動いているが、その中にオレの知っている人の姿はない。それを見てオレも、「あぁ」と、心の中で思う。

 血液不足でフラつきながらも奥の部屋に入った瞬間、オレたちの鼻をくすぐったのはぶどうっぽい匂いと、アルコールの匂いと……それから、血の匂い。

 あぁ、あぁ、わかっていても、言葉が出ない。

「……エリス……」

 豪奢なソファ。こちらに背を向けて座っている鎧姿の背の高い男性には、首がなかった。

 その向かいのソファの足元にはソファから転げたのだろう人影があり、その背には深々と鉄の杭のようなものが突き刺されていて上半身が半分、潰れていた。

 死後硬直で固まってしまったのだろう腕に抱かれていたジョンが、自分のものではない血で頭から顔からを真っ赤にしながらこちらを見る。

 何とかジョンから死体を引き剥がそうとしているのは、メイド服の隠密だった。

 あぁ、と、またため息が出る。

「ジョン……無事か? 怪我は?」

「おれ、は……」

「ないんだな? あぁ、くそ、そうか……そっか……」

 そうか、そうかと、繰り返してしまう。

 父は――ノクト侯爵は、どうやらジョンを守った、らしい。

 狙いが誰だったのかは分からないが、あの辺境伯の首を一撃で飛ばした一撃で狙われてはよくて片方が……悪くて両方即死だっただろう。

 だからノクト侯爵は、瞬時に動いたのだ。

 例え死んでも……いや、死して尚ジョンを守ろうと、彼は一切の躊躇もしなかったのだ。


 今度こそ、膝が折れてその場に座り込んでしまう。カイウス王子と後ろについてきていた騎士たちが何かを言っているが、耳には入っても少しも理解が出来ない。

 あぁ、あぁ、と、何度も言ってしまう。

 そうか、そうかと、繰り返してしまう。

 目を閉じれば、浮かぶのは試験を受け損ねて家に戻ったオレを見る父の、汚物でも見るような見下した瞳。

『認められるまで戻ってくるな』

『あぁ……本当にお前が無事でよかった。分かっていても、とても不安だったんだよ』

 二人の父の声が、頭の中がごちゃごちゃになってくしゃくしゃに崩れる。

 オレは、しばらくはノクト侯爵の顔を見る事は出来なさそうだった。

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