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第97話 魔女の首魁と疲れた心

 あんなにも疲れていたというのに、気が昂っていたのかオレは少しも眠れないまま朝を迎えた。

 バタバタと片付けられる部屋、運び出される人間だったもの、外から誰も招聘することも出来ずに王宮の中で急遽決められた新たな指示形態は、一晩では流石に中々うまく機能はしないようだった。

 魔力を使い切るまで治療を続けたフロイトがソファで崩れるように眠りについたのは、もうすっかり日が出てしまった頃だった。

 真っ先に【治療】を受けたカイウス王子はジークレインと共に様々な後始末を始めていて、アレンシールは連戦だったからか流石に隣の部屋でぐっすりと眠っている。それだって、フロイトが【治療】と共に【睡眠】の魔術を混ぜてやっとで、そうでもしなければきっとアレンシールは今も動き回っていただろうと思う。

 さっきまでフロイトと一緒に動き回っていたリリは、アレンシールと一緒に居るはずだ。起きてきたらベッドに引き戻してやります、と言っていたリリの表情も暗くて、重くて、彼女の心だって決してダメージを受けていないわけじゃないのが目に見えていたのに。

 でもオレは、彼女の言葉に甘えた。

 アレンシールとリリの護衛にはアルヴォルもついてくれるだろうし、アルヴォルが言うには他のラムスたちも情報収集から戻ってきて王宮の警護に入ってくれているらしい。あと一歩、あと数時間でも早く戻れなかった事を、彼女はただただ悔いていた。

 ヴォルガは、フロイトの治療によって一名をとりとめた。

 肩から肺までを大きく抉られていた彼女だったが、オーガ種の頑丈さのおかげで命が助かったのだろうと、応急処置を請け負った騎士たちが言っていた。オーガの大きさでなかったら、失血死していてもおかしくなかっただろう、と。

 カイウス王子の怪我は軽微で、けれど決して無傷というわけでもなかった。

 国王陛下があんな事になったのだから彼だって休んで欲しいのだけれど、国王だけでなく国王の補佐として動いていたノクト侯爵を失った今は、王子が積極的に動くしかないのだろう。

 イングリッド女史と、ジークムンド辺境伯は恐らくは即死だっただろうと、ジークレインが言っていたのがせめてもの救いだった、だろうか。ノクト侯爵は攻撃をされていくらかは生きていたようだったが、御夫婦は痛みを感じる間もなく逝ったのだ。

 故郷に遺された子供たちが心配だったが、子供たちについては自分たちが何とかしようとジークレインが言っていたので、それには協力をしようと思っている。あの二人の子供たちはまだ小さかったはずだから、血縁者として何かをしてやらねばならないだろう。

 ノクト侯爵の死に関しては、ジョンは何も話さなかった。

 衝撃が強かったのか呆然としているばかりだったジョンは全身の半分以上をノクト侯爵の血で汚していて、死後にも彼を守ろうとしているかのように抱きついていたノクト侯爵の掴んでいた痕が、肌に痛々しく残っていて。

 その痕に触れながら言葉を失っているジョンは、多分、オレよりも彼の死を悲しんでいるだろう。オレよりも真っ当に、まるで実の息子のように、ショックを受けているのだ。

 そんな彼に助けの手を差し出したのは、ノクト侯爵夫人だった。あの瞬間に違う場所に居て難を逃れた彼女は、ノクト侯爵たちの訃報を聞くとすぐさま執務室に駆けつけて事態の把握に動いていた。強い人だ。

 起きていると言い張ったアレンシールを落ち着けて、夫の遺体が運び出されるのに立ち会うとヨロヨロと別の部屋に案内されるジョンの顔や髪を拭いてやった。涙は、流していなかった。

「エリス、まだ休む気はないのか?」

「まだ何も収拾がついていませんもの」

 あの場に残された国王陛下の頭のない遺体を調べるのは周囲の騎士たちの視線が痛かったが、オレは粛々と陛下の遺体を調べて、見つけたものを回収した。

 国王陛下の身体には、幼い頃から交流のあったオレにも、息子のカイウス王子にも覚えのない真新しい入れ墨のようなものが入れられていたのだ。

 心臓あたりに埋め込まれた宝石のようなものから二の腕を通って背中で交錯し再び胸に戻って来る帯状の入れ墨。当たり前だがこんなものは国王の側近たちも見たことがなかったらしく、その新しそうな感じから「バルハムが施したものだろう」という事で意見が一致した。

 胸に埋め込まれていたものは、十中八九【魔女の指先マジックアイテム】だ。アレのせいで、国王陛下の肉体そのものには魔術が届かず、消えてしまっていたんだろう。

 執務室にあった机自体に掛けられていた「外部からの魔術的干渉を阻害する」効果のある【魔女の指先マジックアイテム】はブラフで、執務室に存在していた【魔女の指先マジックアイテム】の本命は国王陛下の肉体そのものだったわけだ。

 バルハムは、それを利用した上で国王陛下の肉体をいじり、利用するための媒体にした――本当に、腹立たしい話だ。

 良く見れば、入れ墨の中に書き込まれていた小さな文字のようなものに見覚えもある。あの地下ドームの生贄の儀式に使われていたおかしな魔法陣のような、アレに描かれていたものとよく似ていたのだ。

 バルハムは、「魔女を」「魔女の手で殺す」のが生贄の儀式であると言っていた。オレたちはまんまと罠に引っかかってあそこで【魔女だったもの】をオレが殺して儀式を完成させてしまったんだろう。

 あの儀式が何に直結しているのかは、まだ分かっていない。

 ルルイェ。

 バルハムの言っていたその名前の意味はまだ分からなくって、ただ海に関するものであるという事しか分かっていないのだ。

 襲撃するにしても何にしても、その速度のはやさったらない。

 オレたちはオレたちでジョンの救出だとかで急ぐ理由があったはあったが、もしかしたらそれまで何らかの作戦の上だったのではないかとも思ってしまう。

 だって、フローラについてから今まで、オレたちはほとんど休みなしで動いていたのだ。

 フローラで遭遇した神殿騎士たちとその横暴な振る舞いに、町の人々の拉致。

 そのままジョンが王都に連れて行かれて、俺達は彼の正体は知らなかったけれど一刻も早く助けなければとひたすらに急いだ。

 辺境伯たちに合流出来た事は唯一の「良い事」だったけれど、こうなってしまうと彼らと行動を共にしたのは「良い事」だったのかどうか分からなくなってしまう。

 彼らの手を取らなければ。

 一緒に行くと言う彼らの言葉を断っておけば。

 少なくとも彼らはまだ王都に戻る途上の道にあって、ここで死ぬことはなかったんじゃないか。

 そんな事ばかりを、ぐるぐると考えてしまう。

 もうちょっと、もう少しだけ違った方法をとっていれば誰も死ななかったのじゃないかと、思ってしまうのだ。

 酷い話だとは思うが、オレはノクト侯爵や辺境伯夫妻を失って泣き喚く程には、まだ彼らへの思い入れというものが存在していない。

 だってこの世界で初めて出会った人で、辺境伯たちはつい数日前に出会ったばかりの人たちなのだ。エリスとの関係性はともかく、北条直オレとしてはそこまで悲しくも辛くもない。

 ただ、悔しかった。

 悔しくて悔しくて、残った腕にグッと力を入れてしまうたびに失った腕の切断面に血が滲む。

 ジークレインは、首のない辺境伯の遺体を担架に乗せながらその手を震わせていた。父親をジョンから引き離す時には、もしかしたら父はまだ生きているのではないかという希望があったのか何度も何度も父を呼んでいて――父もまた冷たくなっているのだと気付くと唇を噛み締めて項垂れていて。

 騎士たちは、泣きながら遺体の処理をしていた。国王と、侯爵と、辺境伯夫妻だなんて国家の重鎮を一気に喪った彼らの心痛は如何程のものだろう。

 本来はオレが泣き喚いているべきなのだろうな。

 そうは思っても、オレは何も言えずにぼんやりと状況を見守るだけで。

 喪った腕なんかもどうでもいい。

 なんだか全てがどうでも良くって、王子には「まだ収拾がついていない」とか言ったものの何かをするような気にはなれなかった。

 眠れない。

 でも動けない。

 それがショックを受けているということならば、きっとオレはとてもとてもショックを受けているのだろうとは、なんとなく思った。

 そう思う事しか、出来なかった。

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