アレンシールは、充てがわれた部屋のベッドに横になりながら無言で天井を見つめ続けていた。
さっきまでアレンシールの看病をしていたリリは鼻の頭を真っ赤にしながらベッドに突っ伏して眠っていて、繋がれたままのアレンシールの手を離しはしないとでも言わんばかりの力でぎゅうと握っている。
この局面で死者が出てしまった事を、アレンシールは酷く俯瞰的な目で見つめていた。
アレンシールは何度も、何度も、この世界を繰り返している。正確にはこの世界だけではなく、「あちら側」も繰り返しているようなものだ。
アレンシールが目を閉じれば世界は切り替わり、別の世界が目の前に広がる。だがただの瞬きの瞬間には勿論そんな事は起こらなくって、アレンシールの意識が完全に熟睡に切り替わった時にだけ意識が切り替わるような、そんな感覚だった。
最初はまったく意味が分からなくて、どちらが本当の自分なのか、世界は全て妄想なのではないかと精神病院に駆け込んだ事だってあった。その結果色々と病名はついたけれど、両親はとても心配してくれたし薬を飲むタイミングに声をかけてくれたりして、とても優しくバックアップをしてくれた。
しかし、「あちら側」でそうやって薬を飲んで眠れば、アレンシールは「アレンシール」で居るのにより確かな実感を得たものだった。今にして思えば、睡眠導入剤も併用していたからより熟睡していたというだけの事なのだろうけれど、「あちら側」の自分は絶望してばかりだったなと思う。
最初は、そんな自分を儚んでの自殺だった。そうするとアレンシールだけの世界になり、本当の自分は「アレンシール」なのだと思えてほっとしたものだ。
しかしアレンシールが殺されると、今度は「あちら側」に引き戻され、まったく同じ時間をもう一度繰り返す。次の死はその瞬間だった。「あちら側」だと気付いた瞬間に、そのままマンションから飛び降りたのだ。あれは、すぐには死ねなくて痛かったなと思う。そうしてまた「アレンシール」になったが、その時はアレンシールも5歳で病気で死んでしまったのでまたすぐに世界は切り替わった。
そうなると今度は「どちらが正解なのだ」と思うようになり、じっくりと人生を生きてみる気になった。世界の切り替わりを理解したのは、その時だ。熟睡した時に切り替わる。脳波の計測なんかはしたことがないから推測でしかなかったが、多分そうだろうと思った。
だがそれを理解すると余計に人生は面倒くさくなった。疲れが取れないのだ。眠れば世界が切り替わり、そちらでは「起床」なのでそのまま活動をする事になる。そして疲れ切って眠れば、また違う世界での起床だ。これには参った。
確かに眠っている感覚はあるのだが、脳がちゃんと眠っていないかのような感じで疲労がどんどん蓄積していって、「アレンシール」の時にはよくベッドでウトウトしているばかりになり、世界が切り替わってから病院に行ったがただ病弱だという診断結果しかもらえなかった。寝不足、はなかったので、一応身体は眠ってはいたのだろう。
疲れて疲れて、カフェインや栄養ドリンクを過剰に摂取したせいもあるのだろうが、結果的に「あちら側」の方が早く死んで、その後の「アレンシール」はそこそこ元気に生きる事は出来たと思う。しかしやはり、ある程度の年齢になるとアレンシールは死んだ。殺されるのだ。
その次は、どういう人生を歩むのかをノートにまとめる事にした。覚えている限りの事をノートに書き、それから覚えている限りの死因も書き出す。どちらの世界の場合でもだ。
それから、その死因を避けるために頑張った。熟睡しないでも身体が休まるという睡眠方法のようなものを聞いて、眉唾だと思いつつもそれを実践して疲労の軽減にも取り組んだしアレンシールは剣術の手ほどきなんかも受け始めた。
その結果、「あちら側」では仕事の帰り道にトラックに轢かれて死んで、「アレンシール」は家を襲ってきた神殿の騎士に刺されて死んだ。
このあたりで流石に「自分は何をしても死ぬ運命で、またやり直さなければいけないのだろうか」と思い始めた。
流石にこれだけ死んでいればそのくらいは理解出来る。理解というよりも、嫌でも分かってしまうものだ。しかしそれと同時に、「いくら死んでもやり直させられているということは自分はやるべき事があるのでは」という事にも思い至った。
何かやらなければいけない事をやっていないから、完全に消滅をする事も出来ないのだと。
「ルルイェというのは、都市の名前なんだ」
寝転んだまま、ぽつりとアレンシールは言う。その声に反応をしたのは、ソファでピクリとも動かずに黙っていたジョンだった。他には誰も居ない。フロイトはエリアスティールの怪我の様子が心配だと彼女につきっきりだし、カイウス王子は別に用意させた執務室で仕事中。ノクト侯爵夫人とジークレインは侯爵と辺境伯夫妻死亡による後始末でバタバタしていて、日が昇ってからはまだ顔を合わせていない。
このエリアスティールの作った即席の【魔女の指先】に守られた部屋に居るのはアレンシールとリリとジョン、だけだ。
しかしジョンは余程ショックが強かったのかろくに眠りもせずに水を1杯飲んだきり何も口にせず、アレンシールが口を開いてやっとノロノロと視線を上げた。
「ルルイェは……私もあまり詳しくないけど、確か、地下深くに沈んでいる都市の名前で……その都市には、世界を制服しようとしている邪神が居る、と」
「……まおう?」
「ふふ、そうだね。この世界風に言うならば魔王というのは正しいかもしれない」
でもあの神は魔王よりも強大で、遠くからやってきていて、恐らくただの人間ならば一瞥されただけで発狂して死ぬだろう存在だ。
勿論アレンシールは直接見たことはない、はずだが、その恐怖だけは知っている。「あちら側」ではエンターテイメントに昇華されてしまっている存在だが、実際にその存在が身近な世界に居るのだとしたらただただ恐ろしいだけじゃあ済まないだろう。
人間が勝てる相手ではない。
でもきっと、あの口ぶりからして神殿はルルイェの浮上と、それに伴う邪神の復活を狙っている。
ジョンは言葉を止めたアレンシールを不思議そうに見ているが、アレンシールにとっては頭の痛い問題だ。邪神と戦う方法なんて、流石のアレンシールも知らない。今までの「人生」の中でそんなものを学んだ事も経験した事もないのだ。
だが一度だけ。
一度だけ、アレンシールは「エリアスティール」と【魔女】の話をした事がある。「エリアスティール」が、「アレンシール」は何度も人生を繰り返していると看破したその人生での事だった。
彼女は「アレンシール」が繰り返している事に気付くと、
「もしかしたら、私のせいかもしれない」
と告白をした。
彼女は自分の人生を何度も何度も自主的にやり直していて、それは彼女自身のためではなく「
何度も繰り返している「アレンシール」でなければ、そんなもの一笑に付していたかもしれない。そんな馬鹿な事があるものかと、思春期の妄想がひどすぎると、妹に対してだって酷いことを言ってしまったかも。
だが「アレンシール」には心当たりがありすぎて、「エリアスティール」と様々な事を話した。
今まで自分がチャレンジしてみた事や死因、いつ頃死んだのか、他人の手が入った死だったかどうか。それから、その人生の中で今までとは違う事をしてみたかどうか。
ノートにまとめていたくらいだからしっかりと記憶をしていた「アレンシール」は「エリアスティール」に全てを話した。そして、確信に満ちた彼女とひとつの約束をしたのだ。
誰にも言ってはいけない、自分の胸の中に収めておくべき約束。
アレンシールは、リリと繋いだままの手にぎゅっと力を入れてから反対の手で目元に影を作った。
『ねぇ、お兄様。もしもわたくしが死んだら、その時は――』