「この世界では、魔王を倒す人を勇者と言うんだっけ」
「……いや、魔王を倒したら、勇者という称号を……」
「あぁそうか、逆なんだ。魔王を倒す
「……そもそも魔王という存在が、ここ数百年は復活していないと……」
「じゃあ、ルルイェは魔王の居城になるかもしれないね」
不思議そうに自分を見てくるジョンに、アレンシールはリリを起こさないように身体を起こしてから軽く膝を立てた。
もしもルルイェに住まう者の事を「魔王」と呼ぶのであれば、恐らくは勇者となるべき存在はエリアスティールと、リリと、フロイトだ。現在【魔女】と呼べる魔力を持っているのは彼らしか居なくって、あの地下のドームにあったレリーフの事を考えればそれが妥当だろう。
例えばそこで、数あるファンタジー小説のように彼らのバックアップを行う国の王子がパーティに加わるのだとしたら、勇者の中にはカイウスも数えられるのかもしれない。今後がどうなるかは分からないが、彼らならば勇者と呼ばれるのに遜色ないように思える。
だが重要なのは「勇者」の存在ではない。ルルイェを封印する事が出来る人間こそが、今一番重要な存在だ。
「あの地下で、【魔女】がどういう存在なのかは見たよね」
「……はい」
「これから私たちはまたピースリッジに行く事になるだろう。そこで、海からやって来る魔王と戦うんだ」
魔王の気配は、最初からこの世界には漂っていた。
エリアスティールではない「彼」が現れた事も、本来は死んでいたというアレンシールとリリが「彼」に救出された事も、アレンシールの中では大きな事だったのだ。
アレンシールは「彼」の言う「赤い悪夢」の日から逃れた事は何回かある。だが「アレンシール」がリリを救出する事は出来なくて、あの処刑台からは逃げる事が出来てもすぐに捕まって殺された。【魔女】の力があってこそ、「アレンシール」はあの日を越えて生きる事が出来たのだ。
リリ・バーラントという存在を知ったのは、前回だったように思う。「エリアスティール」と話をして、彼女が「この世界を守るために出来る事をする」と決断した時に、彼女の存在を知った。アレンシールにとっては、その程度の少女だった。
今まで何度も何度もやり直したと、「エリアスティール」は言っていた。何故アレンシールが一緒に繰り返したのかは分からないけれど、それでも何か意味があるのだろうと、彼女は言った。きっと貴方にだけ気付ける「違い」があるのだろう、と、そう言って、彼女はまた死んだ。
「エリアスティール」の死も、「アレンシール」にはすっかり見慣れたものになってしまっていた。違ったのは、今回の「彼」くらいだ。
「彼」は、あちら側のエリスなのだろうか。
アレンシールには、そのあたりの細かい事は分からない。自分の表裏すらも分からず何度も自分で自分を殺してやり直していたアレンシールにとっては、まだまだ分からない事は沢山あるのだ。
何しろ今回の旅が、すでにアレンシールにとっては真新しい発見ばかりだった。
今までは生きて王都を出る事すら出来なかったのに、今回は王都を出て冒険をした。あまり行ったことのない場所へ行って、知らない人にも出会った。
「エリアスティール」の言っていた違いがあるのならば、きっとこの旅の途上なのだろうなと思えるくらいには、今回の「世界」は広くて、明るい色をしていたのだ。
「きっとね、何か変えるチャンスがあるとすれば、今回だけだと思うんだ」
「……? 変える、とは……」
「今までは、何度繰り返しても同じ人とは必ず出会った。最初は知らない人でも、次のときには違いシチュエーションでも必ずその人と再会したんだ。でも君は今回初めて、旅の中に現れた」
リリの髪を指で梳いてやりながら語るアレンシールに、ジョンは首を傾げながらも黙って話を聞いている。
過去と、今の違い。「エリアスティール」が違うというのもそうだが、今まではどんな状況であっても死ぬ前に会っていた見知った顔の中にジョンは存在していなかったのだ。
「彼」がここに居る事で変わった全ては、きっと「彼」でなくなったらまた元の因果律に戻されてしまうだろう。
きっと、この旅をやり直す事は出来ない。
確証はないが、アレンシールはどうしてかそう確信していた。
これだけ違って、これだけ「元凶」に肉迫している状況なんていうのは初めてだ。だが、こういう状況が存在している事を「元凶」が知れば、この世界は修正されてしまうかもしれない。
この現象に関して、アレンシールはジョンたちに話す術を持っていなかった。何しろルルイェとその支配者に関しては、「あちら側」の知識だ。
この世界には元々存在しない概念をどう伝えればいいのか。
ただでさえ国王を失って混乱している状況の中にさらに混乱を投げ込んではいけないだろうと、アレンシールは思うのだ。
きっとそれは、この国の中にまた大きな火種を作ってしまうような気がして、出来ない。
「……変わったものは、変わったままでいないといけない、って事、かな……」
「!」
「もしも……オレとの出会いが変化の切っ掛けなら……でも、その切っ掛けを一度記憶してしまったら変化の切っ掛けにならない、とか……えぇと」
「そう、そういう事なんだ。だから、新しい要素がある状態でこの戦いを終わらせないといけない」
「……よくわからないけど、その、魔王が悪さしていてそうなっている?」
「魔王……うん、まぁそうだね。魔王が悪い。私たちは、その魔王を倒してこの世界のおかしな状況を正さなくちゃいけないんだ」
「……新しいものが、あるうちに」
そうだよ、と頷くと、ジョンはやっと得心がいったと言いたげな表情をした。
驚いた。あの説明だけで、断片的とはいえ「新しいものがなければいけない理由」を理解してくれるとは。アレンシールはひとつため息をついて、少しいたんでしまっているリリの髪に触れた。
が、ガバッといきなりリリが顔を上げたので金色の美しい髪はスルリとアレンシールの指から逃げていってしまう。まるで勝利の女神の前髪を掴みそこねたような心地になって、ちょっと惜しいなと目を瞬かせる。
「わたし! やります! アレンシール様!」
「起きてたんだね。ごめんね、髪に触って」
「大丈夫です!」
もうちょっと寝ててよかったのに、なんて思いながらも、やる気満々のリリにちょっとだけ安心する。
前回のリリは、アレンシールが彼女を助ける前に眼の前で死んでしまったから、彼女が元気であるというだけでとても嬉しい気持ちになる。
「私にはお二人の話はあんまりよく分からなかったけど……神殿が魔王を信奉してるなら、神殿も魔王も倒してみせます!」
「心強いなぁ」
「絶対に……もう神殿の好きにはさせませんっ」
ガバッと立ち上がって拳を作るリリは、一眠りするまでは可哀想なくらいに泣きじゃくっていた。
エリアスティールの腕の事、ノクト侯爵の事、辺境伯夫妻の事……何より、自分が何の役にも立てなかったこと。その全てが悔しくてたまらなかったようで、拳を作って泣きながら謝り続けていたのだ。
まだ17歳の女の子だ。つい何ヶ月か前まではただの学生だった、普通の女の子。そんな彼女にそんな気持ちを抱かせてしまった事が、とにかく申し訳なくてたまらない。
彼女がこの戦いにキャスティングされている以上は平和な人生なんかは望めなかっただろうけれど、それでも「普通に生きていてほしかった」と思わずには居られなかった。
この世界を、この戦いをプロデュースしているのは確実に、間違いなく、ルルイェの向こうの支配者だ。あの邪神が自分の好きなように、楽しいものを見たいがために何度でも、様々なルートを分岐させてシナリオを繰り返している。
「こんなクソゲー、君たちには勿体ないよね」
【赤い月の女神】と【蒼い月の男神】が存在する世界。それぞれに信仰が存在している以上はその信仰と信者の違いが頭の先に引っかかってしまうだろうが、実際にはこの2つはシナリオには何も関係ないのだ。
重要なのは、信仰があるという事。信仰する対象が存在し、その信仰を一身に集める存在がいるということ。
この世界を何度も繰り返して、奴は一体どれだけの信仰心を集め、どれだけ世界に浸透し、それだけ人々の中に根付いた事だろうか。
一気にぶっ壊すには、その信仰心を破壊する所から始めないといけない。
アレンシールは、「くそげーとはなんぞ」と首を傾げている若者二人に笑みを向けると、信仰を上書きできるものを頭の中で幾つかピックアップし始めた。