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第100話 魔女の一味の最後の敵

『エリス、2人だけで話したい事があるんだ』

 目覚めたのだろうアレンシールがオレにそう言った時、オレは正直ちょっとびっくりしていた。だって、アレンシールがオレに向けて使ったのが日本語だったから、だ。

 今までは普通に「頭に浮かんでいた言葉」で話していたけれど、そういえばそうだ。この世界は日本じゃない。地球でもないのだから、使っている言語が違っても当たり前で。

 その別の世界で唯一日本語の分かるオレに、アレンシールが日本語で話しかけてきた。その状況を見て心配そうな顔をしたのは、フロイトだ。

 オレの腕の切断面はまだ完全に出血を止めておらず、その治療のためにフロイトがつきっきりになっていてくれたのもあって日本語だってバッチリ聞かれていて、言葉の意味はわかっていないだろうけれど真剣な話だっていうのは言葉のニュアンスから分かったことだろう。

 でもオレもいい加減フロイトを休ませたかったし、アレンシールが「2人だけで」と言うという事は何か意味のあることだろうというのも何となく分かった。

 さっきまでアレンシールが寝ていた部屋からはジョンとリリが心配そうにこちらを覗き込んでいるが、そちらにも片手を上げてフロイトに一声かけて席を立つ。

 夜からヴォルガとオレをメインにずっとみんなの怪我を治療し続けていたフロイトがソファに沈んだのは、オレが離れてすぐだ。【治癒】の系統の魔術は体力の消耗が激しいという。オレはそこまで感じたことはないが、エリスの日記にはそう書かれていたからきっとフロイトも疲れてはいたんだろう。

 それでも、流石に千切れた腕の治療と血液の補助ってのは時間がかかるようでずっとオレにつきっきりにさせていたのは申し訳なかった。

『お兄様、お話とは?』

『ルルイェの事だよ。知っているかい』

『ルルイエ……って、あのバルハムが言っていた名前ですよね。その、それは……』

 それは、オレの知っているルルイエと同じものなのだろうか。

 言葉を濁してごにょごにょと言いつつアレンシールを見上げると、アレンシールはうっすらと笑いながら否定をしなかった。

 アレンシールが否定をしないのは、つまりはほぼ肯定、って事だろう。うえぇ、と思わず舌を出しそうになるがそれは我慢して、顎に手を当てて自分の知っているだけの「ルルイエ」の情報を頭から引っ張り出す。

 ルルイエは、元の世界に存在していたクトゥルフ神話の中に登場する本の名前だった、気がする。多分、あの不気味な顔面の張り付いた本がルルイエ異本なんだろうが、ぶっちゃけオレはそれ以上はクトゥルフに詳しくはない。

 知っているのは、元々クトゥルフは創作された神であり、作者が生み出してから数々の作家がアンソロジーとして同じ設定を使った「別のクトゥルフ」を生み出し続けて広がったもの、だったはずだ。

 オレも、大学のサークルで話題に上がっていた範囲の事しか知らないが、何となくそのストーリーの出生自体はSCP*1によく似ていると思う。

 どっちもあんまり興味のなかったオレは、コンシューマーゲームの中にちょこちょこ出てくるそれらに遭遇するくらいの軽い触りしか知らないが、好きな人にはたまらん類の一部には大人気のものだったはず。

 正直、バルハムからルルイエの名前が出てきた時には「何の冗談だ?」なんて思ったりもした。だってクトゥルフは、ルルイエは、オレたちの元いた世界の作品だから。

『ルルイエじゃなくて、ルルイェ、だね』

『こちらの言葉での発音は難しいですわ』

『日本語で話しているとなんとなく、異国の言葉だって意識しちゃうよね』

 危険だとは思いつつも、オレとアレンシールは隣の部屋のバルコニーに移動して少しだけ風に当たりつつ、日本語のまま話を続ける。

 不思議な気持ちだ。今まで使っていたのはエドーラの言葉で、同じようにここに来るまでは日本語が当たり前だったのに、意識して使うとどちらも違うもののように感じる。

『ルルイェは……倒せるものなのですか?』

『うーん。実は私もあまりクトゥルフについては詳しくなくてね……でも、ルルイェは都市の名前で、その裏にクトゥルフが眠っていると聞くよ。ルルイェが浮上すれば、クトゥルフは目覚めると』

『……なんだか、ムー大陸みたいですわ』

『同じようなものなんじゃなかったかな? なんか、同時に浮上するとかなんとか……』

『つまりこの世界にはムー大陸もある、と?』

『そこの議論をし始めると、よくわかんなくなっちゃうんだよなぁ』

 苦笑するアレンシールに、オレも苦笑で返すしかない。

 正直、言葉として出したはいいもののムー大陸だってオレは詳しくないんだ。なんかそういう雑誌が一時期オカルトブームを作ったとかいう話は有名だけど、オレはその世代じゃない。

 アレンシールもあの試験現場に居たという事は地球ではきっと同じ世代の若者なのだろうし、やっぱり世代じゃあないだろう。

 あちこちでブームが起きていたとはいえ、興味のない人間の知識はまぁこんなものだ。オレなんか、高校時代にちょっと興味が出たけどどれから読めばいいのかわからなくって結局読まなかった作品でもある。

 何しろオレは海が嫌いだ。ルルイェは海底に沈んでいるというし、クトゥルフ神話の神様のうちの何割かは大いなる海からでて空を埋め尽くすとかなんとかなんかそんなような事を聞いたことがあるような、ないような……

 もしそんなものがこの世界に居るのだとしたらとんでもない事だ。

 見るだけで発狂してしまうと言われている神が海に沈んでいるかもしれなくて、しかも神殿はルルイェを浮上させるための儀式をすでに完遂させているとなると時間はそう無い。

 なんとなく、責任を感じてしまってグッと唇を噛みしめる。あの時は知らなかったとはいえ、儀式を完遂させてしまったのは、結果的に見ればオレだ。

 あの場面で言えば【魔女の異形】を倒さない選択肢はなかった。仕方がなかったと言えば、仕方がなかった事だ。

 でももしあそこで【魔女の異形】を倒したのがアレンシールやアルヴォルであったなら、儀式は成立しなかったはずだ。勿論そのルートがあったらの場合だけれど、アレンシールの技量であれば出来ない話ではなかったのではないかとも思う。

 たらればを語るのは簡単だ。わかってる。

 わかっているが、この先に相手にするのがクトゥルフとかいう元の世界ではくっそデカい大物なんだと思うと、気が重くなった。

 どんな存在かは知らない。

 どうやって戦うのかも知らない。

 そもそもクトゥルフとは一体何なのかも、オレたちは知らないんだ。

 そんな奴と戦わなければいけないと言われたって、どこをどうポジティブに受け取ればいい?

『エリス。私はね、この戦いは設定されたシナリオの上に成り立っているのだと思ってるんだ』

『……シナリオ?』

『そう』

 ぐるぐると考え始めると、アレンシールが背中をぽんと叩いてきた。

 シナリオ、と言われてどう返事をすればいいのか悩んでいると、アレンシールはバルコニーから見える城下町に視線を向けて、

『この世界はクソゲーなんだよ。元々のエリスと私は何度も何度も……そうだな、キャラのデータだけ引き継いたニューゲームをさせられていて、何度も何度も同じシナリオをプレイして、でも違う道を模索していたんだ』

『強くてニューゲーム、みたいな』

『あはは、そうそう。それでね、色々な道を行ってその先にいるボスと戦ったり、途中で負けたりしてシナリオを繰り返して今がある……そう実感出来るものが、いくつもあった』

 だからね、結局この世界がシナリオ上のものなら、きっと解決策だって用意されていると思うんだ。

 アレンシールの言葉は、びっくりするくらいにポジティブだった。


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