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第102話 魔女兄妹と異本の秘密

「だから! 何があるかわかんないって言ってんだよっ!」

「わかってるって言ってるだろ。それでも読まないと、進まない」

「だけど、」

「ノクト侯爵はオレのせいで死んだ」

 ジョンの手から異本を奪おうとした手が、ピタリと止まる。良く見れば異本の表紙はジワリと色を変えていて、一瞬焦ったけれど異本の表紙の素材を思い返してこれはジョンの手汗が滲んだものだと気がついた。

 それに、震えている。

 ぎゅうと異本を握りしめた手が、力を入れすぎて血の気が失せて真っ白になるくらいにぎゅうと、震えていた。

「お前を異本の所まで連れてきてしまったのも、オレがフローラで連れて行かれたからだろう?」

「それはっ、でも、」

「オレはもう皇帝に捨てられてるのと同じだ。こうなったら、オレに何があったって問題にならない」

 ここに居る誰よりも、オレは自由だ。

 ジョンのその言葉に、この場に居た誰もが言葉を続けられなかった。

 自由。祖の言葉がこんなに苦しく聞こえるなんて初めての事だ。

 オレは、前に生きていた頃にはいつも自由になりたかった。放課後に部活動に参加してみたかったし、友達と遊んでもみたかった。塾じゃなくってプールとかピアノを習いたかったし、字が綺麗になるからと入れられた習字は本当は手が汚れるから大嫌いだった。

 弟は誕生日に欲しいものをもらえたり遊園地に連れて行って貰えるのに、オレはいつも父親の選んだ図鑑や辞書や参考書しか買ってもらえないのも、漫画やアニメを見れなくてクラスメイトの話についていけなかったのも、辛かった。

 そのうちそんな生活にも慣れてしまったけれど、自由になれたらって、何度思ったかわからない。大学に入って自由になったら何をしよう、読んでみたかった漫画を読もう、テレビを1日中見てみよう、なんて思っても、成人してしまったオレはそれらを実行するには歳を重ねすぎていて、結局自由にそれらを味わう事もなく死んだ。

 自由になりたかった。

 でもその「自由」は、「自分に何があってもよし」という事なんかじゃない。何のしがらみもなくなったからどうとでもなるという事なんかじゃ、絶対ないのに。

 でも、でも、ジョンの言う通り、今は本を開く事しか先の情報を手に入れる術はない。

 もし彼が本を開く事で彼の中の罪悪感や義務感が払拭されるのであればジョンに本を開かせるのは正しい事だとも、思う。でも、あまりにも危険だというのも、わかっている。

 もちろん危険がある以上、ジョンだけじゃなくこの場に居る誰が本を開いたと言うとしてもオレは反対をしたと思う。

 でもジョンが、こんな事を言う男がこんな悲壮感でいっぱいの顔で「オレが」と挙手をするのはやっぱり、受け入れる事は出来ない。

「ボブくん、ここで君になにかあったら、父上の想いがここで途絶えてしまうよ」

「っ!」

 黙り込んだオレとジョンの間にアレンシールが割って入って、オレとジョンの肩を叩いた。

 彼の言葉に一瞬カイウス王子やジークレインたちが「ボブとは」っていう顔をしたけれど、そこは雰囲気で受け取ってもらうしかないだろう。

 アレンシールはいつまでジョンをボブと呼び続けるのかは、オレにも分からない。

「間違えないで。君を責めているわけじゃない。でも、父上が君を守ろうとしたのは、その後はいつでも君が死んでもいいと思ったからじゃ、ないんだよ」

「わかってる……」


「というわけで、本はみんなで開けばいいんじゃないかな?」


「「えっ」」

 オレとジョンの声が重なる。いや、オレとジョンだけでなくジークレインやカイウス王子やリリやフロイトや、とにかくこの部屋に居た全員の声が重なった。

 いやそう、そうなんだけど。

 確かに一人で開けなきゃいけないワケじゃないんだけど!!

 オレたちが困惑している間に、アレンシールはジョンの手からサッとルルイェ異本を取り上げると、なんでもないような顔をしながら部屋の中央までのんびり歩きつつ表紙を開く。

 ぎゃー! と声を上げたのはリリで、その声にびっくりしてフロイトがソファからひっくり返る。オレは咄嗟にジョンの前に出て壁になっていて、同じようにジークレインもカイウス王子の前に立っていた。

 今は腕が一本だから、ジークレインのように全身でジョンを庇えないことに少しばかり唇を噛んで、薄く塗られたリップの香りが口に入ってきたのに妙な違和感を覚えた。

 しかし、アレンシールの手がパラリと表紙から本文に移っても、何も起こらない。

 当然あるだろうと思っていた光がピカ―とか、風がゴゴゴとかも、ない。

「あぁ、やっぱりね」

 身構えながらきょとんとしているオレたちをよそに、アレンシールはペラペラと本をめくりながら勝手に何かを納得したような顔をしている。

 それから、オレを見た。

 なんだなんだと王子の執務室の中がザワめき、オレもアレンシールの行動に首を傾げながら、それでもジョンの前から足を引き剥がしてアレンシールに近寄る。

 それから、差し出された本に恐る恐る、顔を寄せる。

 文字は結構小さくて、この世界の文字や漢字なんかみたいに真四角みたいな、マスの中に文字を埋めていくようなタイプのものではなくて、流れるようなフォントの見慣れたアルファベット文字が遠くからも見えた。

 そして、気付く。

『英語だよ』

「えぇ! なんでっ!」

「もしかして、とは思ってたんだよね」

 アレンシールが意味深に日本語で言った言葉を、当たり前だがオレ以外は誰も聞き取れなかったようで身構えていた身体の力を解きながら、不思議そうな顔でこちらを見ている。

 オレは、アレンシールが持ってくれている本をペラペラとめくって、確かに中に書かれている文字が全て英語なのを確認した。

 転生者ボーナスというか、オレはこの世界に来てからも文字や言葉で苦労したことはない。頭の中で「エリスの記憶」が勝手に変換してくれているから、「そういうものだ」と普通に受け止めていたからだ。

 間違いなく言葉の響きも、見ている文字も、どちらも日本のものとは違うのに、それでも脳が自動で処理をしていく感覚、というべきだろうか。表示されている文字が日本語で上書きされていたような、そんな感じで今まで違和感を覚えた事はなかったんだ。

 でもこの本は、間違いなく英語だ。オレやアレンシールの母国語でもない、異国の言語。

 目で見たものが自動で翻訳されていくのとは違う、異国語ではあるがある意味一番母国語の次に慣れ親しんだ文字だ。

 この世界にある本だとするとただ違和感しかない文字と不気味な絵が、この本の中にはぎっしりと書き込まれていた。

「クトゥルフ神話って、アメリカ発祥でしたっけ」

「そうだね。アメリカ神話って呼ばれているのを見たことがあるよ」

「ていうことは、これは原書、という事ですか?」

「原書かどうかは……流石にあっちで人間の皮膚張りのこのジャンルの本があったらそれこそ奇書だろう?」

「それは……そうですね」

 オレの大学時代の第二言語はドイツ語だったが、当たり前だが英語は小学校の頃から塾に通って日常会話程度なら使えるようになっている。

 英語は日本語よりも単純だが一つの言葉にいっぱい意味があって、子供の頃はテキストとにらめっこをしていたものだったがある程度の年齢になればスラスラ読めるようになって嬉しかったものだった。

 近所に居る外国人に自分から話しかけるチャレンジなんかをしたのも中学生の頃だっただろうか、あの頃は無謀だったなと今更ながらに思う。

 でも、おかげで今この本を読むのにはそう苦労はしない。時間はかかるけど。

「あの、エリス様。あめりか? とか、くとるふって、何ですか?」

「あぁ、えーと……何と説明すればいいのかしら……この本に書かれている、ルルイェに眠る神の名前……と言えばいいかしら」

「そんなの書いてあるんですかっ!?」

 うーん、と唸りながら分かりやすく説明しようとすれば、また周囲がザワッと緊張する。

 あ、やっちまった。

 そう思ってももう遅く、僅かに怯えの色が見える目でこちらを見つめているジョンとバッチリ目があってしまった。

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