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第104話 魔女と彼と亡くした彼の人

 両親は、いつだってオレにだけ厳しかった。長男だから、なのかは知らないが、弟には許すのにオレには許さないことは沢山あって、父はいつだってオレが何かを失敗しないかどうかを監視していた。

 何を褒めるか、じゃない。何を失敗するか、だ。

 父はオレが何かを失敗すれば罵倒とも言える言葉をあびせ、次に同じことをしたら許さないと折檻した。弟は、そんなオレを遠くで見ながら笑っていた。オレが先に失敗をするから弟は同じことで失敗することはなくって、だから父は弟が可愛くて可愛くて仕方がないようだった。

 母は、母は、どうしていただろう。記憶があまりない。

 父からの理不尽な罵倒も、折檻も、庇ってくれた記憶はない。唯一ハッキリ覚えているのは学校行事の遠足ではいつもおにぎりだけを持たされていたことと、オレが家を追い出される直前に見たなんとも言えない表情だけ。

 父たちと一緒に笑っていたのか、それともオレを憐れんでいたのかもよくわからない。もうすでに、記憶がおぼろげになりつつある。

 だから、そんなオレだから、正直に言えば「エリアスティール」になってからもオレは両親とは積極的に関わってこなかった。

 怖かったからだ。

 この人生はエリアスティールのものであってオレはエリアスティールではない。それは分かっているのに、両親というものがとにかく怖かった。

 でもそれが彼らに対する裏切りだということを考える余裕もなく、理解をする時間もなく。

 ただ、今真っ直ぐに俺を見つめている宝石のような赤い瞳を見てやっと、オレはエリアスティールは愛されていたのだと、見守られていたのだと、知った。

 同時に胸がぎゅうと苦しくなる。

 オレはエリアスティールじゃない。この目を向けられるに値する人間ではない。

 エリアスティールの人生を損なった。腕だって失った。オレは、彼女に優しくされる価値なんかは、ないんだ。

「……ごめんなさい、お母様」

「いいのよ、エリス。でもね、忘れないで。貴方が魔女だからと言って、わたくしたちは貴方を嫌ったりなんかしない」

「……ありがとう、ございます」

 あぁいい家族だなと思う。なくなった腕のことも何も言わず、ただありのままのエリアスティールを愛しているのがわかる。

 涙が出そうだ。でも、出ない。

 ここでオレが泣いてしまったなら、ノクト侯爵への申し訳無さで立ち上がることが出来なくなってしまいそうな気がする。

 オレは、だってオレは、ただ父親というだけで、父親という名前がついた血縁という関係であるというだけで、ノクト侯爵との接触を避け、死んでも涙の一つをこぼすことすら出来ないでいる。

 こんな、こんなにも優しい人なのに。


「……約束いたしますわ、お母様。わたくしは、魔女の首魁として、クトゥルフを必ずや封印してみせます。もう絶対に、誰も死なせません」


 オレに出来るのは、そんな約束だけだ。

 エリアスティールが望んだものは、アレンシールやリリの生存だ。彼女はその先をどこまで見据えていたのかは分からないけれど、彼らが生存しているのであれば最低限彼女の希望は叶えられるだろう。

 でも、その後はどうなるんだろうか。

 エリアスティールはどこかに行ったままなのか?

 オレは、この世界で何かを達成したならば元の世界に戻されてしまうのだろうか?

 元の世界に戻る、という事を想像するだけで心臓のあたりが痛くなるような、全身の血の気がひいていくような気がして言葉が出てこない。

 その日の会議は結局オレとアレンシールでこの本の精査をする、という結論で終わったけれど、カイウス王子はピースリッジに騎士を追加で派遣するらしい。

 海辺の街に通達を出して海の様子を見守りつつ、何かあった時にすぐに動くことが出来るように、と。

 それには、アレンシールが「辺境伯の領地をくれぐれもよろしく」と言い含めていた。そりゃあ、そうだ。辺境伯夫婦がこんな所で亡くなったのだ。すぐにでも変わりの統治者が必要になるだろう。

 今すぐに娘たちが誰かを夫として迎えるか、息子が嫁を迎えるか……どちらにしろ、まだ年若い段階での継承になるだろう。

 それだってルルイェの問題が終わってからになるだろうけれど、主を失った領地はいろいろな意味で脆い。ただでさえ国境の盾だったジークムンド辺境伯領だ。代わりの戦力を送らなければ、すぐに魔物に潰されてもおかしくない。

 まだフローラに駐屯しているだろう辺境伯の騎士団にだって、一体何をどう説明すればいいのか。

 オレは一人ではそれらを解決させられそうになかったから、それらは全部カイウス王子に丸投げしてしまった。異本の確認という役目もあるけれど、やっぱり、まだそこまでの情を抱いていなかったのかもしれない。

 それとも、何かが麻痺してしまっているのか。

 なんだか、もう色々とわからなかった。


「エリス、ちょっといいか」

「どうぞ」


 日が落ちて、夜になって、深夜になった。

 それでもオレはひたすらに異本を読み続けていて、アレンシールは夜になった段階で休んでもらった。オレとアレンシールの英語能力は同じくらいだったけれど、母国語ではない言語をずっと見ているのは脳みそが疲れる。

 だからオレたちは交代して異本の解読を進めつつ他のことにも対処していこうということに決めて、一先ずアレンシールは今は休憩中だ。

 兄妹とはいえ年頃の紳士淑女が一緒の部屋で眠るのは望ましくないとして部屋は別だが、多分フロイトかリリか、アルヴォルはアレンシールと一緒に居てくれているはずだ。

 オレと違って、アレンシールはノクト侯爵や辺境伯夫妻の死にきちんと、ショックを受けていたから。

「まだ起きてたんか」

「こっちのセリフだ、そりゃあ。お茶、淹れてきた」

「泥のように濃いコーヒーが飲みてぇ……」

「胃を悪くするぞ」

 今日あんまり食べてないんだろ、なんて言いながら、向かいに座ったジョンはクッキーを差し出してくる。

 チョコチップのたっぷり入ったクッキーは、この世界ではちょっとした贅沢品だ。チョコは正直オレたちに馴染みのあるチョコとはちょっと違った風味をしていて、甘いは甘いがやはりカカオそのものはこの世界にはないのだろうと思わされた。

 それでも、疲れた時に甘いものはうまい。

 ジョンが自分のカップにも紅茶を注ぐのを眺めながら、オレはちょっとしっとりしているクッキーを一口、食べた。

 サクッとしていてポロポロこぼれるが、そんなものはジョンの前では気にしない。リリやアレンシールの前では「あらいやだわホホホ」なんつってお嬢様のフリをするかもしれないが、ジョンの前ではなんでかそうしようとは思わなかった。

 案の定、オレがポロポロ落としながらクッキーを食べているのを見たジョンが立ち上がって、呆れながらスカートの上に布をかけてくれる。布の下のクッキーの欠片は、ジョンが丁寧に回収して紙に包んでくれた。

 律儀な男だな。

「なんか用でも?」

「いや、なんとなく……話がしたくて」

「なんの」

「……なんだろうな。特に話す内容とかは、ないんだけど」

 ジョンは、目に見えて疲弊している。丸一日休む時間はあったけれど、逆に言えばまだノクト侯爵が無くなってから丸一日しか経過していない。

 ノクト侯爵に守られ命を拾ったジョンにとっては、日本での計算で言えばたったの24時間で心を癒やすことなんかは出来なかったはずだ。

 ノクト侯爵の血を頭からかぶって血塗れで呆然としていたジョンの姿を、思い出す。その姿は、ある意味ではピクリとも動かなくなったノクト侯爵の姿よりも凄まじく、オレの脳に刻まれている。

 あぁ、あぁ、そうだ……そうか……


「なぁジョン。父親を亡くしたのに泣けないのは、親不孝者かなぁ」

「……え?」

「なんだか、泣けないというか、泣かないというか……自分でもよく分からないんだけど、なんかちょっと、出てこなくて」


 涙が。そう言うと、ジョンはティーポットを置いてからしばし無言になった。

 オレはジョンが持ってきてくれたお茶を一口飲んで、それがミルクがたっぷり入っているロイヤルミルクティーみたいなものだと気付く。

 きっと夜だから、ホットミルクにも近いものを選んで作ってくれたんだろうなと思うが、それだけだ。心に氷が張り付いてしまったみたいに、心が動かない。

 これはショックを受けているということなのか?

 それともただ疲れているだけなのか。

 わからない。

「……俺もきっと、父親が死んでも泣きはしないと思う」

「そうなのか」

「父上は俺が嫌いだから、いい思い出もないし……母についてもよく覚えてないし、なんていうか、親っていうものにいい思い出がないんだ」

「お……そうなんだ」

「うん。だから……正直ノクト侯爵が亡くなったことの方がショックかもしれない」

 それは、ノクト侯爵がいい人だった、からだろう。

 そう考えると、オレとジョンの立ち位置はよくにていて、なんとなく少しだけ親近感が湧いた。オレとジョンの家族関係なんて地位も違えば世界も違うのだからまったく同じとはいかないものだけど、それでも。


「だからさ、エリス。無理に悲しむ必要はないよ。悲しくないのも、侯爵からの贈り物なのかもしれないから」

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