目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

#閑04 転生文豪少女 壱


 匂いがした。

 煙のような、気持ちの悪い匂いだ。

「ん……んぅ……」

 思わず目を開けた。


「知らない、天井だ……」


 呟いた言葉。少し低い女声。

 白い石膏のようなものが張られた天井。


「おはよう、ハルカゲおにい、ちゃ……ん?」

 鈴の鳴るような少女の声。その声のした方を見る。

 十歳くらいの女の子が、私を見ていた。私を、指さしていた。


「ねぇ、にぃ。わたしを……おぼえてる?」

 少女の言葉に。

「失礼、ですが……」

 私は首をかしげた。


「……どなたですか?」


 少女は目を見開いた。


    *


「……非科学的な現象だと結論づけなければいかないようです」

 白衣を着た老人が言う。

 どうやら、私は異常事態に巻き込まれているらしい、ということはわかった。


 私の体は元々男性のそれだったと、目の前の「ダイガクキョウジュ」を名乗る男は言った。

 何度も、様々な検査を受けた。結果としてわかったことは、自分は完全に女性の体になってしまっていたことくらいだった。

「よぉ、ハルカゲ。マジで女になってら」

「おい御門ミカド、やめなよ。三田サンダのやつ困り果ててるぞ」

「……友達のこと名字で呼ぶ癖、どうにかした方が良いぜ? マコト」

 すっかり慣れた病室。私のことを見舞いに来た二人の男性。

 片方は長身で金色の短髪、細い体つきだがしっかりと筋肉の付いたスポーツ青年といった風。もう片方は眼鏡に痩せこけた体躯、淡い黒の髪は男性にしては長め。

 対照的な二人だが、その互いへの態度から気の置けない仲であることがうかがえる。

「えーっと……どなたでしたっけ」

 遠慮しがちに告げると。

「あー……そいえば、記憶喪失になってたんだっけ」

 忘れていたかのように、彼らは自己紹介をし始める。

「俺は御門 陽太ヨータ。気軽にヨータって呼んでくれ」

「……僕は桐谷キリヤ 真琴マコト。……はじめまして、よろしく」

 右手を差し出してきたマコト。

「おいおい、俺たちは『はじめまして』じゃないだろ?」

 そう言ってくるヨータに対して、マコトは「僕たちにとってはね。けど彼女にとっては、違うだろう?」と諭す。

「そういうもんか?」

「そういうものさ。……すまない、見苦しいところを見せて」

「いや、構わないです。仲、よろしいんですね」

「……幼なじみ、だったから。あなた……記憶をなくす前の、男だったあなたとも」

 目を伏せたマコト。そんな彼の様子を一瞥しつつ、ヨータは言った。

「よーし! 快気祝いだ! ピザでも食おうぜ!」

「ぴ、ざ?」

 きょとんとする私。

「病院に宅配なんて頼めるか?」「近くにピザ屋があるから、買ってこようぜ!」「……荷物持ちは手伝うよ」と盛り上がる二人。


 そこでふと、病室を覗く影に気づいた。

 小さな女の子。年齢は十歳程度だろうか。

 ……初めてここで目覚めた日、見かけた女の子だ。

 小さく手招きをすると、ささっと隠れてしまった。


「……あー、ルナちゃんか」

 マコトが口にした。

「ルナちゃん……あの子のことですか?」尋ねると、彼は「そうだよ」と続ける。

「来てるのか。アイツ、あからさまにハルカゲのこと好きだったもんなー」

「落ち着け、御門」

「おーいルナ。愛しのハルカゲ兄に会えるぞー」

 ヨータが呼ぶと、その少女は再びそっと病室を覗き。


「ヨー兄のばーか!」


 べっと舌を出し、さっと隠れた。たたたっと聞こえたので多分走って逃げたのだろう。

「なんだとこのやろう!」

 走って追いかけようとするヨータ。マコトは大きなため息を吐いて。

「落ち着けバカっ」

 ごつんとげんこつを食らわしたのだった。


 ピザとやらを買いに行った二人。静かになった病室にて、思いふけった。

 ――私は知っている。


 彼らの知っている「ハルカゲ」はもう、この世界には居ないということを。


「――元気にしてるかな。朔月ショウユエ

「いま、誰の名前を言ったの?」


 声がした。

 声がした方を見た。


 少女がいた。十歳くらいの――「ルナちゃん、だっけ」

「あなた、ハル兄じゃないですよね」「え、私は」「『私』っていうのもおかしいです」「なんで」「ハル兄はそんな言葉遣いしない、です」「……私、記憶を失って、女の子で……ほぼ別人で」「言い訳。……ほぼじゃない、あなたは別人です」

 睨み付けて、糾弾する少女。私はそれに言い返すように、叫んだ。

「なんで……なんでわかるの」

「記憶を失ったとして……彼は、わたしたちを『心配させない』。させようとしない。させるはずが、ない、です」

 そんな人間居るはずがない。けれど、目の前の少女の目はまっすぐ私を見つめていた。

「すぐに跳ね起きて、病院飛び出して、俺は元気だーって叫んだりして。……嘘吐いてでも。そんな、ばかなひとなんです」

 泣きそうになりながら、もういない『彼』の面影を探すように、見つめていた。

「きっと、その性質は変わらない。記憶を失ったとしても。だから」

 そして。


「あなたは名実ともに……あの人とは、別人です。……あなたは、だれですか」


 私を見つめながら、問いかけた。

 問い詰められた私は、目を閉じ、大きく息を吸って、吐いて。


「わかった。……みんなには、まだ話さないで頂戴ね」

 自分の正体を告げた。


「私は、『奉景ホウケイ』。こことは異なる世界の……所謂、文豪よ」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?