「ピザうめーっ」「おい御門。三田が困ってんだろ」
目の前の色鮮やかな円盤状の食べ物を前に、私――奉景はただ、固まっていた。
「早く食わないとなくなるぜ?」
マコトにせかされ、三角状に切り取られた一枚を口に運ぶ。
私は目を輝かせた。
「おいしい……こんなの食べたことない……」
その未知の味に、もう一枚もう一枚とそれを口に運んでいく私。それを見て。
「それはよかった」
ヨータはニッと笑った。
ピザを頬張る私を、ルナちゃんは怪訝な目で窺う。
「あんまり食べ過ぎると太るよ」
唇をとがらす彼女の言葉に、思わず「……そうなんですか?」と尋ねる私。そろって首を縦に振る三人。
私の顔は途端に熱くなった。
「あはは……ちょっと食べ過ぎちゃったみたいです」
この世界に来る前は何ヶ月も、なにも口にしないでいた。だから、余計なのかもしれない。
けふ、と息をついて私はベッドに寝転んだ。
「ごちそうさま」
「えーっ、もう終わりかよ」
「御門、落ち着け。えーと、ハルカゲも無理させちゃって――」
「やっぱおかしいよ」
ルナちゃんが、ふと口にした。
「ねえ、ヨー兄。なんでこの人にそんなに無遠慮なの?」
「えっ、それは――」
「あとマコ兄も。なんでこの人にそんなに優しくするの?」
「それはな――」
ヨータとマコトは互いに顔を見合わせて、わかってんだろといわんばかりに声を重ねた。
『それは』「こいつはハルカゲ」「彼女は他人」『だからだ』
そして、もう一回顔を見合わせた。
「……なんでそうなるんだ?」
「そっちこそ。……目の前のこの人は、僕の知っている彼ではないはずだろ」
「いやいや、何言ってんだよ。こいつはハルカゲだろ? 戸籍上も、そもそも、体が――」
「姿も変わって、精神はもう他人そのもの。それを、どうして同一人物だといえる」
「何もかも変わったって、友達だったことに変わりはねぇだろ!」
「そんなの、『彼』が『彼女』になった時点で変わってしまったも同然だろう!」
ものすごい剣幕で互いに怒鳴りあう二人。
……どっちの気持ちも分かった。私の体は紛れもなく「彼」で、けれど私自身は「彼」ではなくて。
「ハルカゲはハルカゲだ! ほかの誰でもない!」
「彼女があいつなわけあるか。……僕は認めない」
だからこそ、私には彼らを止めることができなかった。
*
「ピザ、冷めちゃったね」
ただ一人、病室に居残ったルナちゃんが告げた。
息をついた私。
「……私は、私でしかないんだけどね」
「ふたりとも、さよならできてないんだよ。もちろん、わたしも――」
告げた彼女の横顔は、まるで。
「妹みたい」
「奉景さん、妹居たんだ」
「義理の、だけどね。仲良くしてた年下の女の子がいてね」
「過去形なんだ」
「……一方的に仲たがいして、そのままだった。私が……そう、ここに来るまで、ずっと」
「死ぬまで?」
「…………」
黙って頷くしかなかった。
せっかく言葉を濁しても無駄らしい。……思い出したくない過去が、まるで潰した膿のように、どろどろと湧き出してくる。
「どうして死んだの」
「自分で、ツタを編んで、首を吊って」
「だから、どうして?」
なんで傷を抉る事ばかり言うのだろう。
もう自棄になって。
「だって……だれにも求められなくなったからッ!」
叫んでしまった。
荒く吐いた息。過ちを悟ったのは数秒の後だった。
廊下にいた看護師が、怪訝な目で私を見ていた。
同じ病室、向かいの病床にいる老人も、驚いたように私を見ていた。
病院では静かにという張り紙が、叱るように私を見つめていた。
目の前の少女はどこか憐れむように、私を優しく見ていた。
「……ごめん、なさい」
「いいんだよ。……たくさん泣いて、いいから」
それからは大変だった。
ナースコールを呼ばれるまでもなく、看護婦や医者が押し寄せてきて、体に異常はないかとか何か思い出したかとかそういったことを聞いてくる。
何を話したかはもう覚えてはいなかった。
泣きながら言葉にならないうわごとを言い続けて、優しい医者を困らせたことだけは覚えている。
どうやらその間に面会時間は終わったようで、ルナちゃんはいつの間にかいなくなっていた。
残ったピザは一人で食べた。
*
それから数日後。
「……部屋、狭いね」
「どれだけ広かったの? もともとの奉景さんの部屋」
二段ベッドが二つ並んだ小さな部屋を見て言い放った言葉に、ルナちゃんは苦笑する。
「ここで一緒に暮らすんだ、私たち」
「ね。……お兄ちゃんたちは何を考えたんだろ」
元の「彼」は一人暮らしをしていたそうだが、常識のない私を一人で過ごさせるのはちょっと問題があるとのことだった。
病院で過ごした数日間で必要最低限の常識や言葉を学んだ。主に、目の前の一回り以上年下の女の子から。
それもあったのだろう。しばらくはこの施設――向こうの世界でいう孤児院みたいなところ、すなわち児童養護施設で、ルナちゃんと一緒の部屋でご厄介になることとなったわけである。
「ここを出てく前のハル兄――もとのお姉ちゃんは、あの二人と同じ部屋だったんだよ?」
「あっ……そうなんだ」
なおこの施設で養っている子供は、今のところルナちゃんだけとのことである。
なるほど。いい年した男女が同室で暮らして、何も起こらないわけない。私は理解した。
しかももともと親友なのだ。……うん、これ以上はやめよう。
「ねえ、これからどうしよう」
私のふとした問いかけに、ルナちゃんは「さあ」と答える。当然だった。けど。
「いっしょに考えてこうよ。……私は、いつまでも一緒だから」
微笑んだ少女に、私は「わかった。ありがと」とだけ告げて。
「これからよろしく」
「こちらこそ」
手を繋いだ。
《転生文豪少女》――To be continued.