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#閑12 転生文豪少女 伍


 一級河川にかかる、巨大な橋。片道三車線の道路、その端。

 歩道の隅に、彼女はいた。


「ねぇ、ルナちゃん」

 サーサーと響く風の音。

 マフラーを巻いた私。対峙する、少女。

「――どうして、あんなことをしたの?」

 尋ねると、彼女は涙を流して、口角を上げた。


「こうすれば、ハルカゲにいとまた会える。そのはずだから――ジャマ、しないで!」


 叫びながら、彼女は石造りの欄干をよじ登り始めた。

 私は、そんな彼女を後ろから引っ張る。

「ジャマ、しないでってば――なんで、やめてッ」

 振り切ろうとする彼女に、私は必死でしがみついた。


 果たして、一分もしないうちに彼女は歩道に引き戻された。

「はぁ……はぁ……」

 荒く息をする私を、少女は睨み付ける。

「…………なんで、ジャマするの。なんで、なんで――にぃと会わせてくれないの!」

 叫ぶ彼女に、私は怒鳴った。


「あの人が、こんなことをして喜ぶと思う!?」


「…………え」

「きっと、あの人はあなたが会いに来ても喜ばない。蘇ってもまたすぐ死んでしまうわ」

「……でも、お兄ちゃんなら、きっと――」

「表面上は喜ぶでしょうね。あなたを喜ばせるために。でも、その本心を、一度でも慮ったことはあるの!?」

 もはや怒りにまかせて口走ってしまった言葉に、しかし彼女はあっけにとられたように口を開けた。

「……少ししか知らない私でもわかるわ。あの人は、あなたたちを楽しませ、喜ばせ、生きながらえさせるためだけに生きていた。――自分の心をも無視して。軋む心の悲鳴を無視して!」

「…………でも」

「私と会ったとき、あの人はなんて言ったと思う? ――『もううんざりだ』って。ああ、納得だわ。生きているだけで、勝手に期待されて、それに報酬すらなく応え続ける人生ッ!」

「……………………」

「……私なら耐えきれない。耐えられなかった」

 告げると、彼女は俯いた。

「そう、だったんだね」

 俯いて、呟いて、しかし。


「でも、そんなの関係ないッ!」


 言い切った。

「わたしを――ルナを受け入れてくれるのは、ハル兄ひとりなんだ!」

 高らかに叫ぶ彼女。

「だから、呼び出そうとした。死者蘇生を試した。でも、出てきたのは別の人だった!」

 叫ぶ彼女の声を聞きながら、私は考えていた。

「……異世界にいるのなら、会いに行きたい。だって、わたしをアイしてくれるのはハル兄だけだから」

 そう言いながらまた欄干によじ登る彼女。

「わたしを愛さない人間に、世界に、意味なんて無い。――だからわたしは、飛び降りるの」

 柱の上に立ち、荒く呼吸をしながら、彼女は笑う。

「異世界に行くために。――死ぬためにね」


 ひときわ強い風が吹いた。

 彼女の影がふわりと傾いた。

「――さよなら、世界」

 目を細め、呟いた彼女。


 その手を、私は掴んだ。


「行かせない」

「どうして――」

 強い風の中、ぶら下がった彼女。手を離せば、水面にぶつかる状態。

 そんな彼女にも聞こえるように、わたしは叫んだ。

「あなたを、愛してるからっ!」


 ――私も、誰からも愛されていなかった。

 地元では疎まれていたし、家族からも半ば無視されて育った。

 ようやく掴んだ皇妃の座も、あっさりと捨てられた。

 後宮でも避けられてたし、話せたのは同じ廃妃の仲間たちだけ。

 愛されてたとは、とても思えなかった。

 だから、自棄になった。自分を愛さない世界に生きる意味を見いだせなくて、首を吊った。


 でも、ここに来て、ようやく少しだけ、愛を知れた気がした。

「私はあなたに、いなくなってほしくない。一緒にいてほしい」

 実利とか損益とか、そういったものを無視した感情。それこそが『愛』なのかもしれない。

「この世界は醜いよ。残酷で、不平等で、不確かなものばかり! でも――そんな世界でも、あなたと一緒なら楽しめる。生きていける。そんな気がするの!」

 叫び――私は手を引いた。


「そんな世界を一緒に生きてほしい。――だから、私はあなたを助ける」


 引き上げた彼女の顔は、泣きはらして真っ赤に染まっていた。

 気がつくと、朝日が差していた。

 暁光に照らされた彼女の涙が、頬を伝って落ちていった――。


    *


「……おねえちゃん、もう朝だよ」

 身体を揺さぶられる。

 ベッドの上。陽光が差していた。

 少し恥ずかしい夢を見ていたようだった。

「荷造りしなきゃいけないの、忘れちゃった?」


 あれから、さらに何ヶ月か経過した。

 現在、三月の末。……施設にはもう、ほとんど何も残っていなかった。

「ここも解体かぁ」

 ルナちゃんは寂しげに告げる。幼い頃からここで過ごしてきたのだ。寂しさもひとしおだろう。

 二人でくるまった毛布をたたんでスーツケースに突っ込んで、私たちは建物を二人で見て回る。

「……あの夜のこと、覚えてる? その、わたしが家出しちゃった……」

「あのときって……あの、異世界に行っちゃったハルカゲくんに会いに行こうとした」

「言わないで! その……恥ずかしいから……」

 頬を染めるルナちゃん。かわいい。

 ともかく、玄関。

「朝になって帰ってきたとき、お兄ちゃんたち泣いて私を抱きしめて、迎えてくれたよね」

「そりゃあそうなるよ。そのくらい、ルナちゃんは愛されてたんだから」

「…………」

 ルナちゃんは俯いて、しばらく黙った後に。

「そうだね。嬉しいや」

 なんて微笑んだ。


「……ねえ、ずっと一緒だよね。おねえちゃん」

 不安そうな声音で、彼女は私を見上げる。

 私はきょとんとして、それから。


「当然だよ」

 そう言って笑ってやった。

「離ればなれになっても?」

「なんないって。一緒のアパートの部屋で住むんだから」

「そうだった……」

 頭を抑えて大げさに落ち込んで見せた彼女。冗談なのは解ってる。……冗談だよね?

 少しだけ見つめたら、少しだけ笑えてきて。

 お互いに笑った。大笑いした。


 それから少し、低い天井を見上げた。

 水滴が頬を伝った。

 ……そうだ、最後にピザでも頼もう。みんなでそれを囲んで――それから、それぞれの道へ旅立つのだ。

 初めて目覚めたあの日のように。


 それまで、少しだけ文章をしたためようか。書き出しは――


閑章・転生文豪少女《拝啓、一人ぼっちだった私へ》――完


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