一級河川にかかる、巨大な橋。片道三車線の道路、その端。
歩道の隅に、彼女はいた。
「ねぇ、ルナちゃん」
サーサーと響く風の音。
マフラーを巻いた私。対峙する、少女。
「――どうして、あんなことをしたの?」
尋ねると、彼女は涙を流して、口角を上げた。
「こうすれば、ハルカゲにいとまた会える。そのはずだから――ジャマ、しないで!」
叫びながら、彼女は石造りの欄干をよじ登り始めた。
私は、そんな彼女を後ろから引っ張る。
「ジャマ、しないでってば――なんで、やめてッ」
振り切ろうとする彼女に、私は必死でしがみついた。
果たして、一分もしないうちに彼女は歩道に引き戻された。
「はぁ……はぁ……」
荒く息をする私を、少女は睨み付ける。
「…………なんで、ジャマするの。なんで、なんで――にぃと会わせてくれないの!」
叫ぶ彼女に、私は怒鳴った。
「あの人が、こんなことをして喜ぶと思う!?」
「…………え」
「きっと、あの人はあなたが会いに来ても喜ばない。蘇ってもまたすぐ死んでしまうわ」
「……でも、お兄ちゃんなら、きっと――」
「表面上は喜ぶでしょうね。あなたを喜ばせるために。でも、その本心を、一度でも慮ったことはあるの!?」
もはや怒りにまかせて口走ってしまった言葉に、しかし彼女はあっけにとられたように口を開けた。
「……少ししか知らない私でもわかるわ。あの人は、あなたたちを楽しませ、喜ばせ、生きながらえさせるためだけに生きていた。――自分の心をも無視して。軋む心の悲鳴を無視して!」
「…………でも」
「私と会ったとき、あの人はなんて言ったと思う? ――『もううんざりだ』って。ああ、納得だわ。生きているだけで、勝手に期待されて、それに報酬すらなく応え続ける人生ッ!」
「……………………」
「……私なら耐えきれない。耐えられなかった」
告げると、彼女は俯いた。
「そう、だったんだね」
俯いて、呟いて、しかし。
「でも、そんなの関係ないッ!」
言い切った。
「わたしを――ルナを受け入れてくれるのは、ハル兄ひとりなんだ!」
高らかに叫ぶ彼女。
「だから、呼び出そうとした。死者蘇生を試した。でも、出てきたのは別の人だった!」
叫ぶ彼女の声を聞きながら、私は考えていた。
「……異世界にいるのなら、会いに行きたい。だって、わたしをアイしてくれるのはハル兄だけだから」
そう言いながらまた欄干によじ登る彼女。
「わたしを愛さない人間に、世界に、意味なんて無い。――だからわたしは、飛び降りるの」
柱の上に立ち、荒く呼吸をしながら、彼女は笑う。
「異世界に行くために。――死ぬためにね」
ひときわ強い風が吹いた。
彼女の影がふわりと傾いた。
「――さよなら、世界」
目を細め、呟いた彼女。
その手を、私は掴んだ。
「行かせない」
「どうして――」
強い風の中、ぶら下がった彼女。手を離せば、水面にぶつかる状態。
そんな彼女にも聞こえるように、わたしは叫んだ。
「あなたを、愛してるからっ!」
――私も、誰からも愛されていなかった。
地元では疎まれていたし、家族からも半ば無視されて育った。
ようやく掴んだ皇妃の座も、あっさりと捨てられた。
後宮でも避けられてたし、話せたのは同じ廃妃の仲間たちだけ。
愛されてたとは、とても思えなかった。
だから、自棄になった。自分を愛さない世界に生きる意味を見いだせなくて、首を吊った。
でも、ここに来て、ようやく少しだけ、愛を知れた気がした。
「私はあなたに、いなくなってほしくない。一緒にいてほしい」
実利とか損益とか、そういったものを無視した感情。それこそが『愛』なのかもしれない。
「この世界は醜いよ。残酷で、不平等で、不確かなものばかり! でも――そんな世界でも、あなたと一緒なら楽しめる。生きていける。そんな気がするの!」
叫び――私は手を引いた。
「そんな世界を一緒に生きてほしい。――だから、私はあなたを助ける」
引き上げた彼女の顔は、泣きはらして真っ赤に染まっていた。
気がつくと、朝日が差していた。
暁光に照らされた彼女の涙が、頬を伝って落ちていった――。
*
「……おねえちゃん、もう朝だよ」
身体を揺さぶられる。
ベッドの上。陽光が差していた。
少し恥ずかしい夢を見ていたようだった。
「荷造りしなきゃいけないの、忘れちゃった?」
あれから、さらに何ヶ月か経過した。
現在、三月の末。……施設にはもう、ほとんど何も残っていなかった。
「ここも解体かぁ」
ルナちゃんは寂しげに告げる。幼い頃からここで過ごしてきたのだ。寂しさもひとしおだろう。
二人でくるまった毛布をたたんでスーツケースに突っ込んで、私たちは建物を二人で見て回る。
「……あの夜のこと、覚えてる? その、わたしが家出しちゃった……」
「あのときって……あの、異世界に行っちゃったハルカゲくんに会いに行こうとした」
「言わないで! その……恥ずかしいから……」
頬を染めるルナちゃん。かわいい。
ともかく、玄関。
「朝になって帰ってきたとき、お兄ちゃんたち泣いて私を抱きしめて、迎えてくれたよね」
「そりゃあそうなるよ。そのくらい、ルナちゃんは愛されてたんだから」
「…………」
ルナちゃんは俯いて、しばらく黙った後に。
「そうだね。嬉しいや」
なんて微笑んだ。
「……ねえ、ずっと一緒だよね。おねえちゃん」
不安そうな声音で、彼女は私を見上げる。
私はきょとんとして、それから。
「当然だよ」
そう言って笑ってやった。
「離ればなれになっても?」
「なんないって。一緒のアパートの部屋で住むんだから」
「そうだった……」
頭を抑えて大げさに落ち込んで見せた彼女。冗談なのは解ってる。……冗談だよね?
少しだけ見つめたら、少しだけ笑えてきて。
お互いに笑った。大笑いした。
それから少し、低い天井を見上げた。
水滴が頬を伝った。
……そうだ、最後にピザでも頼もう。みんなでそれを囲んで――それから、それぞれの道へ旅立つのだ。
初めて目覚めたあの日のように。
それまで、少しだけ文章をしたためようか。書き出しは――
閑章・転生文豪少女