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#39 優しい歌


 ——歩く。ふらふらと、ただ歩く。

 手を引かれて、歩く。

 街を。夜の中を。


 どこをどう歩いたかなんて覚えてはいなかった。

 ようやくたどり着いた場所は、この世界ではあまり見ないような建物だった。

「ついた! ここが私の家!」

 あばら屋のような、掘っ立て小屋のような、まあまあ大きめの建物に、扉がいくつもついている。

 軋む外階段を上がって、一番奥の扉を、彼女は開けた。

「ただいまー」

 誰もいない狭い部屋に反響する声。どうやらここは、向こうの世界で言うアパートらしいということがわかった。


「ほら、ここに座って。——えーっと、何か食べるものあったかしら」

 言いつつ、彼女は生活感のある——有り体に言ってしまえばほどほどに散らかった部屋の中を漁る。

 俺はというと、言われたとおりに床に座って、ただぼうっと彼女を見る。


 ここらじゃ少し珍しい——自分の身の回りにはまあまあいたが、街の中ではめったに見ることのない白っぽい金髪。それも地毛らしく、縮れたロングヘア。

 見るからに西洋の人らしい彼女は、青い目をこちらに向けて。

「……あなたって美人さんだね」

 唐突にそんなことを言った。

「でも、そんなに顔が曇ってたら折角のきれいな顔が台無しだわ」

 わざとらしく明るい言葉に、さらに俯く俺。

 けれど彼女はそんな俺を見て。

「……そうだっ」

 一つ何かを思いついたようで、部屋の隅から何か、細長くて大きなものを持ってきた。

 黒い革の用いられたそれを開けると、中から出てきたのは。

「……ギター」

 口にすると、彼女は少しだけ目をしばたかせた後、「ザッツライッ」と言ってにっこり笑った。


 それは、聞いたことのない音楽だった。

 鼓膜に入ってくる六弦の響きは、不思議とどこか柔らかく、優しい印象を抱かせる。

 弾き語り。彼女の透明感のある歌声と、調和するギター。

 あまり長くないその一曲を聴き終えると、俺は自然に拍手していた。

「ありがと。……あまりうまくは出来てないけどね」

 謙遜する彼女に、俺は首を横に、少しだけ振って。

「……すご、かった」

 そう口にした。彼女はまたにっこり笑った。


「…………なんて呼べば良い?」

 尋ねると彼女は。

「名乗るの忘れてたね。ごめんっ」

 てへ、と舌を出してちゃらけた謝罪をして。

 それから、名乗った。

「シレーヌ。……ただの、シレーヌ。あなたは?」


「……ハルカゲ」

 咄嗟に名乗った偽名、もとい元の名前に。

「じゃあハルちゃんだねっ」

 彼女――シレーヌは、愛称をつけた。


「ハルちゃんハルちゃん!」

「……なに?」

 話しかけてくる彼女に、俺はにらむ。しかし、シレーヌはにっこりと笑って。

「あなたのこと、もっと聞かせてよ!」

 そうせがんできた。

「……ごめん、話したくない」

 告げると、彼女は「えー? なんで?」と聞いてくる。

 話せない。話したらどうせ、笑われるだろうから。

 口をつぐむ俺に、何かを察したような彼女。少しの沈黙の後に、彼女は。

「まあ、話したくないなら話さなくてもいいや」

 あっけらかんと言い放つ。「え……」と戸惑う俺。

「話したくなったら話してくれると嬉しいな。……あなたのこと、もっと知りたいもん」

 そう言って笑う彼女に、俺は少しだけ俯いた。


「照れてるの? かわいーっ」

「うっさい……」

 目線をそらす俺の頬をうりうりと小突いてくるシレーヌ。

 かわいいのはアンタの方だと伝えたら、きっと冗談だと思われるのだろう。


「あ、今度は少し笑った」

「……うっさい」


    *


 それから何日かが経った。

「ハルちゃんハルちゃん。調子はどう?」

 そう尋ねられて、俺は真顔で目を伏せた。

「まずまず」

「そっか」

 そんなやりとりが、朝の恒例になっていた。


 俺はシレーヌの家、というか部屋でご厄介になることにした。

 家事代行と自宅警備員という名目の引きこもりとして。

 ……後宮がどうなっているか、考えたくなかった。

 けど、自分がいなくなったところでどうなるわけもない。

 あの性悪の側近——吉谷里はきっと喜ぶのだろうけど、それ以上に良いことも悪いことも起こらないだろう。


 起きがけにささっと作った朝食。味噌汁を飲んで、彼女はほうっと息を吐いた。

「ハルちゃんって料理上手だね。この……ミソスープ? どこの料理かわかんないけど、おいしい!」

「それはよかった」

 極東の島国に伝わる伝統的な料理、と言ってもたぶんあまり伝わらないだろうか。というかそもそもこの世界にも日本はあるのだろうか。

 いや、たぶんあるだろう。中国っぽい国やロシアっぽい国が存在するらしいし。「日本」という名前かどうかはさておいて。

 そんなくだらないことを考えていたら、彼女は「そういえばさー」と何かの話を切り出す。

「宮廷にいる、廃妃様が逃げちゃったらしいね」

「!?」

 俺はびくりと背筋を震わせた。

「どうしたの?」

「いや……なんでもない。そうなんだ」

 なるべく冷静を装って、話を聞く俺。

「ならいいや。でも、街の中は物騒だし、廃妃様が出てきたら殺されちゃうかも。あの人、すっごく嫌われてるから」

「……なんで?」

「なんでも、一度皇帝様からの寵愛をもらってて、皇妃様の特権である一生の衣食住も既に保証されてるのに、皇妃選抜にまた参加しようとしてるんだって。嫌われちゃうのも無理ないわ」

「……そっか。そうかもしれない」

 俯く俺に、彼女は「でもでもっ、わたしはそうは思わないけど!」とフォローする。

「…………なんで?」

「だって、誰だって愛されたいもの。廃妃様って、一度結婚して、けど皇帝様から嫌われて離婚しちゃった人のことじゃない?」

「そう、そのはずだけど」

「だからさ、もう一度皇帝様に愛してもらうために、リベンジしたいんじゃないかなって。……ヘンかな」

 えへへ、と笑う彼女に、俺は少しだけ呆れつつ。

「……いいんじゃないかな」

 そう言って少しだけ微笑んでみた。


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