「暇だ」
「急にどうしたの? ハルちゃん」
シレーヌが、ため息をついた俺を見て笑う。かわいい。違うそうじゃない。
——俺はしばらく、何もしていなかった。
シレーヌの家に住み着いて数日間、俺も彼女も引きこもっていた。
とは言っても彼女のほうは何もしていないわけではなく、時々楽器を鳴らしてはあーでもないこーでもないと悩んでいる。
聞くところによると、彼女は音楽家らしい。
——とは言っても見習いらしく、作詞や作曲を個人でやってるだけのアマチュアらしいのだが。
時々深夜に出かけているのは、著名な音楽家に作曲のことを学びに行っているとかなんとか。
で、残された俺は何もやることがなかった。
……実を言うと、やる「べき」ことはある。
皇妃選抜の新作を作らなくてはいけない。なのに何も手をつけてはいなかった。
——というより、つけようがなかった。
アイデアはとっちらかっていて、スパゲッティのように絡まっている。そもそもプロットは後宮に放置したままだ。
そもそも俺には才能が無かった。だから、何をする気にもなれなかった。
「ねー、暇ならいっしょに散歩しよ?」
「え、やだ」
断る俺を、シレーヌは無理矢理引っ張り出した。
「ねーねーハルちゃん。なんでそんな顔隠したがるのー?」
追われてるからだよ宮廷から。いまも衛兵みたいな人がそこら辺をうろうろしてるし。
むすっとした俺の頬を、彼女はツンツンとつついた。
寒いからか、大通りはいつもより人通りが少なく、代わりに銃を持った警備員のような人が往来を監視している。
……そのうちの一人がこちらを睨み付け、思わず俺はハットの帽子を深くかぶった。
いまの姿、たぶん外から見たら少し変だ。
長身なシレーヌの服を借りてるからか、多少服がぶかぶかなんだよなあ。そのうえ胸が窮屈なので、少し違和感が出てるのかもしれない。
しかも、マスクとサングラス、長袖コートにロングスカートと最低限女性には見えつつも不審者じみた風貌だから余計なのかもしれない。服装選び間違えたかなぁ。
ここまでして捕まりたくないのには理由がある、というわけでもなかった。実際、捕まったところで元の何不自由のない後宮暮らしに戻るだけだろう。
でも、あまり戻る気にはなれなかった。なんとなく、嫌だった。
「そういえば、おr……私たちさ、一体どこ行くの?」
一人称でいろいろ勘ぐられたくないので咄嗟に言い直しつつ、俺、もとい私は尋ねる。
すると、彼女は笑って答えた。
「近くに良い楽器の店があるんだ。そこ、行こうよ」
大通りから一本入ったところにあったそこそこ広い楽器屋。
「らっしゃー……しーさん、隣に居るその人、なんすか?」
けだるそうに店員が……待て、俺を見て何をしようとしてる。通報はやめろ。俺は不審者じゃない!
「だいじょうぶだよー。わたしの新しい友達なんだー」
そう言って店員に微笑みかけるシレーヌ。店員のおねーさんはほっと胸をなで下ろしたように電話を置き——。
「同棲してるの」
電話を取り直した。やめろ——!
「なんだ……行くあてのない女の子を拾っただけか……」
店員のおねーさんに事情を説明したシレーヌ。おねーさんはほっと胸をなで下ろし——たように見せかけて。
「なにしてんすか! そういうのを誘拐って言うんですよ!」
一息で言い切った。
「大丈夫大丈夫。こっそりやってればばれないわ」
「大丈夫じゃないっすよ犯罪ですって」
「犯罪なんて日常茶飯事よ?」
「ダメだこの人この街の汚れに染まりきってる……」
店員の人とシレーヌのやりとりにきょとんとする俺。
「えと……二人って相当仲いいんですね」
「腐れ縁っすよ。……というかその」
おねーさんは俺を見て、戸惑ったように告げた。
「そのマスクとサングラス、外してくれません?」
「っ!?」
警戒する俺に、彼女は無表情で告げた。
「その格好じゃ不審者にしか見えないので」
仕方なくサングラスとマスクを外した俺。
「その方がまだ自然っすよ」
彼女はため息をついた。
「アタシはカリン。この楽器屋の、バイトっす。よろしく」
そう名乗った彼女。「わたしの音楽の妹弟子でもあるの」とシレーヌが補足する。
「おr……私はハルカゲ。よろしく、カリンさん」
こちらも名乗り返すと、カリンは少し訝しげな表情をしてから、しかし切り替えたように笑顔になって、俺と握手した。
さて。
「シレーヌ。なんでお……私をここに連れてきたの?」
そんなことを尋ねると、彼女はにっこりと微笑んで。
「暇だって言ってたから」
「え?」
疑問の声を上げる俺に、彼女は告げる。
「あのね。……ハルちゃん、うちに来てから、ずっと暗い顔してたから。音楽をはじめてみたら、何か変わるのかなって思ったの。どう?」
変わらないだろうと言いかけて、しかし口をつぐむ。
……彼女なりに、俺を元気づけようとしてくれてるんだ。それを無碍にしようなんて……できない。
「わかった。……ちょっと、考えてみる」
幸い、音楽や楽器は経験があった。
高校の文化祭、軽音楽部のバンド。風邪で休んだ生徒の代わりに急遽ベースを弾いた経験があった。下手くそなりになんとかやりきって、上手くその場を盛り上げられたと思う。
そこにあったアコースティックのベースを手に取って、少し弾いて調整。
「試奏良いですか?」
「あ、はい」
カリンの了承を得て、軽くスラップしてみる。
……やっぱ慣れないな。でも、鳴らせることはわかった。
弾き終わると、二人は拍手していた。
「すごーい……」
シレーヌは呆然としていて。
「……」
カリンは目を輝かせて俺を見ていた。
「ざしたー。しーさんもハルさんもまた来てくださいねー」
さっき弾いたベースをかついで、店を出て行こうとする俺。
「あっ、ちょっと待ってください。ハルさん」
それをカリンは引き留めた。
「……なんです?」
「あんた……噂の逃げ出した廃妃サマっすよね?」
「――ッ」
やっぱばれてたか。
走って逃げようとする俺を彼女は「大丈夫っすよ。通報はしませんから」と再び引き留めた。
「ただ一言、助言したかっただけっすよ」
「…………なんですか?」
漂う緊張感。それにもかかわらず、彼女は気軽そうに告げた。
「しーさん――シレーヌさん。あの人も皇妃選抜にでようとしてるんです」
「……大丈夫、なのか?」
それがプレッシャーになって、うまく出来ていないんじゃないか。楽器を鳴らしては悩んでいたのも、そのせいじゃないのかと。
――俺は無自覚に、自分の悩みをシレーヌに重ねていたようだった。
しかし。
「大丈夫っすよ」
そう彼女は言う。
どうしてなのか、聞こうと口を開いた。けれどその前に、彼女は笑いながら。
「だって、あの人――楽しんでるんですもん」
そう口にした。
「自分が楽しいから、曲を作っている。皇妃選抜はその延長線上なんです。あの人にとっては」
……思えば、彼女は楽器を取ってる時、いつも悩みながらも楽しそうに弾いていた気がする。
「だから――皇妃選抜云々というより、まずは何事も楽しんでみれば良いんじゃないですかね。知りませんけど」
そう言って笑うカリン。
……なんか、そう言われて少しすっきりした気がした。
「ハルちゃん、行くよー?」
シレーヌが少し遠くから手を振る。
日は既に落ち始めて、オレンジの光が路地を照らしていた。
「ありがと、カリン」
「こっちこそ。……グッドラックっすよ、廃妃さん」
親指を立てたカリンに俺は口角を上げ、走る。
帰ったら文章でも書いてみようか。
……さっきよりも、少しは何か作れそうな気がした。