「ちくしょう……」
俺は机に向かっていた。
机の上には、紙。幾多もの筆を試した痕。
「……どうしてだよ」
書けそうだと思ったのも、幻だったようだ。
頭を抱える俺の横に「おつかれ」とマグカップ――。
「マグカップが喋ってる……」
「そんなわけないでしょ」
――カップの横から、シレーヌが顔を出した。
「ココア作ったの。休憩にしましょ?」
「あったけぇ……」
ほうっと息を吐く。白い息が口から零れる。
……外はすっかり寒くなって、ともすれば雪まで降ってきそうだった。
宮廷の瓦葺きの屋根や後宮の赤い柱とか、雪に合いそうな風景がこの国には多いので、少し楽しみな気もする。
寒いし濡れるので降らない方が良いって本音は、まあ無粋だろう。
「何書いてたの?」
と尋ねられる。俺はあまり考えずに「なんか」と答える。
「なんかってなによー」
唇をとがらせた彼女に、俺は伸びをしながら。
「なんかはなんかだ」
そう言ってはぐらかす。が。
「じゃあ見せてっ」
「え」
言うが早いか、シレーヌは机の上に散らかった紙類を見る。
「ちょ、待って!」
アレはまだ完成してない。それどころか没にしようと思ってた奴だ。だから、人に見せたくは——。
しかし制止もむなしく、紙は手に取られてしまう。
彼女はわなわな震えた。
息を呑んだ。絶対悪い評価しかくだらないと思っていたから。
故に、次に帰ってきた言葉に、俺は目を見開いた。
「すごい!」
「……え」
「これって詩ってやつでしょ! すごいすごい! なんか意味はよくわかんないけど!」
その紙には、直訳すれば「死にたい」とか、「生まれてきてごめんなさい」とか、そういった意味合いがこもった言葉が羅列されていた。
そういう言葉しか考えられないし、人々はそういう感情をよく思わない。一言で言えば、「こんなものは売れない」。
だから、ゴミに出してしまおうと思っていた。
「……こんなの、誰でも書けるよ」
「わたしには無理だよ! ハルちゃんすごーいっ!」
そんな単純な言葉を言ってはにかむ彼女に、俺は急に恥ずかしくなって。
「返してっ」
「きゃっ」
彼女の手から紙を奪って、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。
「なにするのー?」
「……」
だってはずかしいんだもん。
背けた顔の、赤く染まった頬を見て、彼女はニヤニヤ笑っていた。
「夕飯の材料買いに行ってくるっ」
「あんまり遅くならないようにねー」
ささっと準備して出かける。
――止まっていた歯車が軋み、動き出す。
*
一方、宮廷は大騒ぎであった。
「何だと? ——奉景がいなくなったというのは本当か」
皇帝の言葉に、少女たちは頷く。
「……ある朝、起きたら居なくなっておりましたの」
豪奢な服をまとった少女——朔月の言葉。額にしわを寄せる皇帝。
「風邪を治してくれたから、おれいを言いに行こうとしたら、いなかった」
もう一人の、小さな少女。灼苑の言葉に、皇帝はさらに首をかしげる。
「……探してはおるのだろうな」
「ええ。無能なあなたに代わって、私が捜索命令を出しましたわ」
「無能とはなんだ、朔月」
「あら。私たちがいま報告するまで、この騒ぎを知りもしなかったのはどこの誰ですの? 最高権力者というのはつくづく耳が遠いのですわね」
それを聞いた皇帝は、さらに驚愕したように尋ねる。
「……奉景がいなくなったのは、何日前だ」
「一週間も前ですの。どうしてそんなに前から騒ぎになっていることに——」
「…………確かに、おかしい」
「は?」
朔月が上げた声に、皇帝は震えながら告げる。
「その辺りから、吉谷里がいない。病と聞いておるが……それに、そのような騒ぎが報告されていないのもおかしい。……偶然にしてはできすぎている」
「…………」
あっけにとられた朔月に代わるように、灼苑は告げる。
「このことについて……こうていさま、あなたはとっても不安で、おかしいと思ってる。ちがう?」
「……貴様に理解されるのは癪だが……確かに、認めよう」
「わたしたちは、さっき言ったように、自分たちで奉景おねえちゃんを探してた。でも、わたしたちだけじゃ手が足りないし……なにより、この国に何かが起きている気がするの」
「何が言いたい」
皇帝が睨み付けると、灼苑は告げる。
「つまりね……協力してくれる? わたしたちの、おねえちゃん捜しに」
皇帝は暫く思考し、やがて。
「……うむ。解った」
と返した。
「…………いいんですの? 私たちは——」
廃妃。あなたの捨てた存在。だから、協力など出来ないだろう。そう言いかけた朔月を遮って、皇帝は告げる。
「そもそも、貴様らが持ちかけた提案だろうが。——一度自分を捨てた相手にモノを頼むのは苦渋の決断だったやも知れぬ。それに報いずして、何が皇帝か。——民の声に報いるのが、皇帝の仕事だというのに」
「……綺麗事ばかりを吐き散らしますのね」
ため息をつく朔月。
けれど、彼女は手を差し出す。
「まあ、よろしくお願い致しますわ」
皇帝は目を見開き、細め、握手——しようとした、瞬間であった。
ドアが開いた。
玉座に繋がる扉。鍵は特にない。——皇帝代々からの意志によりつけられていない。
故に、防衛上の理由で入り組んでいるほかは、順序さえ間違えなければここまで来るのは容易だ。
——しかし、ここに平民がやってきたのなんて、いつぶりだろう。
彼は狼狽した様子で、荒く息をする。その服装はぼろきれ一枚と言った様相で、この場にはふさわしくない。
「誰だ。名を申せ」
皇帝は慌てたように取り繕い、問う。彼は慌てたように、叫んだ。
「ほ、奉景様とおぼしき人が、捕まって——それを見てた俺も、警備員に殺され——」
パン、と音がした。
男は倒れた。
眼前に広がる地の湖。目を見開く廃妃たち。そして——。
「何をしに来た、大和」
「害虫が入り込んだもので——処理をしに参りました」
白い髭を立派に生やした男が、ニタニタと笑う。
「民を傷つけ、あまつさえ殺すなど——評議会がやって良いことか!」
「ええ。良いのです。『国民は我々の所有物』でしょう?」
その男の全てが、皇帝の神経を逆なでする。
「——何故奉景の失踪を報告しなかった」
「些事でしかないためです」
「これが些事なわけあるか」
「いまから起こる出来事に比べれば、些事なのですよ。皇帝閣下」
「何だと——」
立ち上がる皇帝。「ふせてッ」灼苑の叫び声。
再び、銃声。
「オートマタ——皇帝様を守って!」
ガシャ、と響く絡繰の音。
「それは——」
「もういいのっ!」
立ち上がった機械人形は、すぐさまその胸元を射抜かれ、歯車が飛び出す。その先にあったのは——皇帝の、頭。
「皇帝様、逃げてッ」
怒鳴る灼苑。「させぬ」どこかでふたたび、銃手が弾を込める。
「しかし、灼苑。お主は——」
「いいからッ!」
もうすぐ二発目が来る。その刹那、朔月は皇帝を殴った。
不意を突かれた皇帝。しかし——いままで頭があったところをかすめる銃弾。
「いまは逃げますわよ。——落ち着けば、何かが見えて来ますわ。きっと」
「…………生きて戻れよ、灼苑」
走って逃げる二人を見送った灼苑。
「……皇帝様のために死ねるのなら、わたしは本望なの」
「追えッ!」
「追わせないっ!」