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#42 逃亡者 Ⅰ


 ——時はわずかに遡る。


 昼。細い通りの真ん中にて、女と男が対峙する。

「お前は誰だ? ひげ面のオッサン」

 女は男勝りな口調で、その男を睨み付ける。

「俺ァ、吉谷里さんの従者で斑鳩ってんだ。ちょいと、アンタに用事があってな。——奉景」

 奉景、と呼ばれた女。舌打ちをして、足を少し開く。逃げるために。

 しかし、ひげ面の男——斑鳩はにたりと笑った。


「アンタ、ずいぶんと廃妃たちに慕われてるそうじゃあねぇか」

「それがどうかしたか?」

「いま後宮はあんたを探して大パニックだと聞く。じきにその騒ぎは宮廷へと波及するだろう」

「……それが、どうした」


「俺たちは、その混乱に乗じて、皇帝を暗殺したいと考えている」

「ッ!」


 一気に緊張感が漂う。

「だから、アンタには俺に捕まってもらう」

「もしいやだと言ったら?」

「アンタ、いま女と一緒に暮らしてんだろ? ——あの長屋を、爆破する」

「……テロリストめ」


 奉景は息を荒げていた。

(疑え。まず、言っていることは本当か? 嘘だとしたら、何ら問題は無い。今すぐ逃げてもいい。——だが)

「ああ、言っておくが、いま起きてることは本当だぜ? その上で、俺は皇帝に死んでもらった方が『この国がよりよくなる』と信じている」

 唾を飲む奉景。斑鳩は演説を続ける。

「この国の惨状を見てみろ。貧困、スラム、犯罪まみれの汚い国の現状を! 誰がこうした。——皇帝だろう。だから、皇帝を殺し、俺たちが国を運営する。それで、全てはうまくいく」

「…………本当か?」

「本当さ」


「一つ聞くが——『お前らは』、何者だ?」

「言えないなァ。首謀者が、吉谷里と言うことを除いては、な」


 女は、呼吸した。一つ、すぅーと息を吸って。

「……取引をしよう」

 奉景の言葉に、斑鳩は耳を疑うように「ほう?」と聞き返す。

「俺が捕まっている間、後宮の奴らには手を出さない。あの長屋にも手を出さない。……俺の周りの人間には、手を出さない。そう、誓ってくれ」

「それだけか。ならば、約束しよう」

「ずいぶんと安請け合いだな。……もし破ったら、わかってるよな?」

「それも承知の上だ。『俺は』手出ししねぇぜ」

 そんな会話。その後に——彼女は、『僕に』目配せした。

 口だけで、ジェスチャーしたのだ。


《つ・た・え・ろ》


 慌てて僕は——ただの通りすがりAだったはずの僕は、駆けだした。

 伝えろ。どこへ? ——わかったことはただ一つ。

『皇帝が、危ない』


 聞こえた足音に反応したのであろう斑鳩が、『追え!』と指示する。すると、衛兵がぞろぞろと寄ってきて——。


    *


「で、命からがら、ここまで逃げてきたのですわね」

「は、い」

 皇帝と朔月様。二人に肩を抱かれ、僕は歩いていた。血を溢しながら。

「よくやった。……お主、名は」

「……英太、と申します。名字はありません」

「そうか、英太よ。よく役割を果たしてくれた」

「ありがたき、お言葉」

 息を荒くしながら、僕は礼に答え。


「して、英太。——その斑鳩の言葉に、お主はどう感じた」


 息を呑んだ。

「どう、とおっしゃいますと?」

「貧困、スラム化、犯罪の増加。まず、そういったことが起こってるのは本当なのか? そして、それが我のせいだと言うことは、本当か?」

 皇帝の言葉に、僕は少しだけ考えて。


「はい、本当でございます。前者は、特に」


「ほう」

 皇帝の嘆息に、僕は詳しく告げる。

「前者については、街を見ればすぐにわかることです。表通り以外活気がなく、薄汚れた街の姿は、あなたからすれば見るに堪えないと思います。……ただ、後者については、少し懐疑的です」

「……ほう」

「街の姿を知る人々は、皇帝に対しての不満を大きく上げています。……でも、おかしいことに、彼ら彼女らは自分の非を一向に認めようとはしないのです。

 ——確かに、国を、街の様子をよく見なかった皇帝や評議会の怠慢は推して知るべきです。自分たちの保身と金儲けのために法律で金をむしり取る彼らに、民衆の不満が向かうのは当然だと思います。けれど」

 皇帝の眉がビクンと動いた。僕は一呼吸置いて「けれど」と続けた。

「僕が思うに、国をここまで汚くしたのは、国民自身の心です。国民が自省の心を忘れ、己の不満を皇帝に向けながら、自分は悪くないと怠惰に過ごした結果がこれなのだと思います。

 だから、あなたが亡くなったところで国はなんら良くならないでしょうし、きっと新たな支配者が現れたところで、これまで通り腐敗していくだけでしょう。

 ……決して、あなたのせいでは、ないのです」

 そこまで話し終えると、皇帝の足が止まった。

「……泣いていらっしゃるのですか」

 足が震えていた。水滴が落ちた。横を見た。

 彼は険しい顔をして、歯を食いしばっていた。


「怒っておるのだ。この国の、真の姿に。評議会の本性に。——我の不甲斐なさに。無力さに。

 ——天に唾を吐くような怒りに、打ち震えている。ただ、それだけだ」


 引きずる足。

「……泣いている場合じゃありませんわ。急ぎましょう。——後宮の、裏門へ」

 後宮にはこの傷を手当てできる人間がいると言う。警備も薄い。逃げるにはうってつけらしい。

 朔月様の言葉に、皇帝は額にしわを寄せたまま頷いた。

 僕は動きにくい足を引きずる。二人に支えられながら。


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