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#44 スターゲイザー


 皇帝は目を見開いた。


 街の姿は、薄暗かった。


 ——その日は、雨だった。

 さーさーと降る雨の中、皇帝が闊歩する。

「……」

 街はひどく静かだった。

 雨音と夕闇に紛れ、彼らは静かに街を歩く。

 傘もささずに。濡れながら。


 ——石が、飛んできた。

 小石だ。しかし、尖っている。

 静かな殺意を湛えたそれは、放物線を描いて彼を目指し——しかし、届かずに落ちる。


「……」

 雨はなおも降り続く。


 皇帝は、周りを見た。

 ——人影は見えない。けれど、確かに居た。

 彼を睨む人影が。


 幾多の影が、彼を睨む。

 獣のような息遣いで、彼を睨む。

 獰猛な獣のごとく、彼を睨む。


 そして、狙い澄ます。——磨き上げた刃物のごとき殺意を以て。

 諸悪の根源と信じて止まないその男を、この手で殺すために。

 英雄と、なるために。


 男は立ち止まる。

 息を吐く。——吸って、吐く。吸って——吐いた。


 瞬間、投石が始まった。


 無数の小石が彼を目指して飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。

 飛び交い、ぶつかり、砕けながら——しかし、彼に当たり、傷つける。

 民衆が、叫ぶ。

 それは意見だ。野次だ。罵詈雑言だ。有象無象の騒音が、刃のように彼へと飛ぶ。


 しかし、彼は立ち尽くしていた。

 それらを防がず、ただ立ち尽くしていた。

 目を見開いて、それらを受け止めていた。


 小石は次第に石になり、刃になり、家財道具になり、重く重く重く重く、殺意は増していく。

 皇帝おとこは血を流す。よろめき、傷つき、血を吐き、しかし何も言わず、ただ黙って、受け止める。


 やがて、雨は止んだ。


 辺りに散乱した小石や物品の山。その中に、男はいた。

 息を切らし、立っていた。


 傷だらけで、立ち尽くしていた。


「…………」

 黄昏。雲間から光が差した。

 誰かが、息を呑む。声なき声。

 やがて、銀髪の青年が顔を出した。


 青年は、皇帝の胸ぐらを掴んで——殴った。


「これで理解ったか。俺たち——民衆の痛みが」


「ああ。……充分さ」


「ならば、俺たちのために今すべきことも理解るだろう。——いますぐその身を国民に捧げろ」


 懐から取り出した、ナイフ。青年は逆手で持ち、皇帝の首元に突きつける。

 訪れた静寂。しかし、皇帝は。


「それだけは、出来ぬ」

「何故だッ!」

 青年は叫ぶ。けれど、皇帝は青年を、国民を見据え、告げる。

「我が死んで、どうなるというのだ」

「——ッ、この国は、きっと」

「よもや、我が死んだということ一つで現状が良くなるなどと、甘えたことを抜かすわけではあるまいな」

「…………」

 再び静寂が満ちた。


「我は皇帝だ。故、国が良い方向に向かうのであれば——国民のためになるならば、この首など簡単にくれてやる。……だが」

 彼は、国民を見据えながら、告げた。


「いまは、助けねばならぬ人が居る。——許せ、とは言わぬ。今は——今だけは、先に進ませてくれないか」


 青年は、目を見開いた。

「この期に、及んで」

「——頼む」

 皇帝は、真っ直ぐに、青年の目を、見据えていた。


「行かせてあげてください、白銀バイイン兄さん」

 青年の足下に、少女がいた。青年のシャツの裾を掴んでいた。

「……ラン

「皇帝さま。……助けたいのって、きっと、せんせ……大事な人、なんですよね」

 少女は、青年の向こうにいる人物を見上げ、尋ねる。

 ——皇帝は、息を呑む。そして、呑んだ息を絞り出すように。

「……ああ、そうだ」

 応えた。

 聞いた少女は、唾を飲んで、目を細め。

「知ってますか? 西洋の童話では、お姫様は必ず、王子様に救われるんですよ?」

 青年のシャツを引いた。

「何を——」


「だから、行ってあげてください。——お姫様プリンセスを、救いに!」


 皇帝はわずかに笑って。

「ああ。——承知した」

 再び、前を向いて歩き出した。

 沈みかけの夕陽が、街を照らす。


「……ラン。大丈夫か?」

 少女の目から、頬に光が散った。

「大丈夫です。……わたしは、お姫様じゃないので。兄さんこそ」

「……僕も、大丈夫さ。——あの男に比べれば、ね」

 青年は微笑み、男の背を見送る。

 血まみれの背を。——一国を背負う、その背を。


    *


「……大丈夫でしたの?」

 立ち止まった時にすぐさま逃げていた朔月は、合流した皇帝の姿に戦慄していた。

「大丈夫に見えるか?」

 皇帝は深呼吸をしながら、傷を手で拭い、赤い痰を地面に吐き捨てる。

「……見えませんわね」

「そうか」

「…………少し休みましょう?」

 朔月の提案に、皇帝は。

「いいや、そういうわけにもいかぬだろう」

「自分の姿を顧みてから言ってくださる?」

 首を横に振る皇帝に間髪入れずツッコミを入れる朔月。しかし皇帝は、全く笑わずに——空を見た。


「我は、身を以て国の姿を知った。そして、未来を変えねばならぬと知った。——故に、ここで止まるわけにはいかぬのだ」


 皇帝の言葉に、朔月は少し笑って。

「……そう、ですわね」

「それには、様々な者の手助けが必要だ。奉景や吉谷里、灼苑も……そして、お前もだ。朔月」

「…………感謝いたしますわ」

 目を背けて告げる朔月。

「だから、二人を助け出さねばな」

 皇帝の言葉に、朔月は頷いた。


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